1977年12月に、ジョイ・ディヴィジョン(当時は「ワルシャワ」と名乗っていました)は初めて自主制作のレコードを録音します。イアンはこのレコードのために400ポンドの大金を投入し、デボラとの共同口座からローンを組みました。翌1978年の1月にデビュー盤『An Ideal For Living』が完成します。しかし、このレコードは音質が悪く、馴染みの店に持っていってかけてもらったら、フロアから客が引いてしまったと映画『ジョイ・ディヴィジョン』でバーナードが語っています。この発言のバックに流れる音は、たしかにこもっていてよく聞こえません。発売されたのは6月で(その時点でバンド名は「ジョイ・ディヴィジョン」となっていました)、その後、ジョイ・ディヴィジョンのマネージャーに就任したロブ・グレットンは、7インチ盤のシングルを12インチ盤で出し直すことを提案し、9月にリリースされました。「言う通りにしたら、音が格段によくなった」と言うバーナードの発言にあわせて12インチ盤の音が流れますが、音の違いが明らかに分かります。7インチと12インチシングルでは、12インチの方が音質が良いのですが、12インチシングルが流行し始めるのは1980年代になってからで、当時はまだ珍しかったようです。
また、ロブ・グレットンは、「ジャケットのせいでネオナチだと思われている」と言って、ジャケットも変えさせました。バーナードがデザインした7インチ盤のジャケットには、ヒトラー青年隊員(ユーゲント)が太鼓を叩いている姿が描かれていました。バーナードは、このジャケットを「イアンが書いた歌詞に圧迫について歌ったものがあってそこから浮かんだもの」(『ロッキング・オン』1980年4月号インタビュー)だと語っていますが、このデビュー盤の詞に表れたナチズムのイメージは人々から反感を買いました。メディアからも批判され、バンドの知名度を上げるどころか、どこのギグから締め出されるという結果をもたらしました。このデビュー盤のマイナスイメージをまず変えようと、ロブ・グレットンは考えたようです。
『An Ideal For Living』には、「Warsaw」「Leaders Of Men」「No Love Lost」「Failures」の4曲が収録されています。
・「Warsaw」
バンド名と同じタイトルとなっていますが、ポーランドのワルシャワは、歌詞の内容と直接関係はないようです。
歌詞は3番までありますが、それぞれの冒頭と、一番最後の4箇所に「3,5,0,1,2,5-Go」というフレーズがあります。この「350125」は、ナチス副総統ルドルフ・ヘス(1894-1987)が第二次大戦後に収容されていた、ベルリンのスパンダウ刑務所での囚人番号だと、David Nolan著『Bernard Sumner: Confusion』に記されています。
ウィキペディアの英語版には、「Warsaw (song)」の項目があります。ここでは、この歌詞全体がヘスの生涯を歌っていると指摘されています(Warsaw (song) (February. 21 2010, 11:20 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from http://en.wikipedia.org/wiki/Warsaw_(song))。つまり、1番は1923年11月9日に起こったミュンヘン一揆(ヒトラー一揆)について、2番はヘスのヒトラー(1889-1945)に対する失望と乖離を、3番は収容所でのヘスを歌っているというのです。
少し実際の歌詞を引きながら比べてみましょう。まず、1番の冒頭を見てみましょう。
I was there in the back stage, When the first light came around.
最初の照明がついた時、僕は舞台裏にいた
I grew up like a changeling, To win the first time around.
僕は取り替え子のように成長した、この最初の瞬間を勝ち取るために
ルドルフ・ヘスはヒトラーとともにこのミュンヘン一揆で捕らえられ、ベルリンにあるランツベルク陸軍刑務所に収監されます。そして、ここでヒトラーの『わが闘争』の口述筆記をすることになります。ヒトラーとヘスは裁判で5年の禁固刑を言い渡されますが、ヘスは7ヶ月半後、ヒトラーは9ヶ月後に恩赦を受け釈放されます。その後ナチス党が躍進し、ドイツを支配するようになると、ミュンヘン一揆はナチズム創世の記念日として捉えられるようになりました。ヘスはヒトラーの私設秘書となり、厚い信頼を得、ナンバー2の副総統にまで昇りつめますが、次第に影響力が低下し、他の側近たちと比べて存在感が薄くなっていきます。
2番の歌詞のうち、次の部分などは、『わが闘争』の口述筆記以来、間近にヒトラーの言動に接してきたヘスの告白であるようにとれます。
I hung around in your soundtrack, 僕は君の音声を聴いて時間を過ごした
To mirror all that you've done, 君のやってきたことすべてを映すために
To find the right side of reason, 正しい理由を見つけるために
To kill the three lies for one, 一つのために三つの嘘を葬る
I can see all the cold facts. 僕は冷酷な出来事をすべて見ることができる
I can see through your eyes. 君の目を通して見ることができる
そして、3番の次の一節は、収容されている監獄のイメージでしょう。
I can still hear the footsteps. I can see only walls.
足音が聞こえるけれど、ぼくには壁しか見えない
こうしてみると、「I just see contradiction(ただ矛盾だけが見える)」、「To make believe you were right.(君が正しかったと信じさせるんだ)」という言葉で締めくくられる「Warsaw」に、囚人番号350125ルドルフ・ヘスの生涯を読み取ることは容易であるように思えます。しかし、単純にそれだけであるとも思えません。それは、あくまでも仄めかされるイメージとしてであり、先入観なしに読むと、《舞台裏にいて最初の瞬間をものにする》ことを願う、イアン・カーティス自身を描いているようにも思えるのです。そして、ニヒリスティックな言葉の数々は、自分自身の野心を揶揄しているようにも見えます。
2曲目の「Leaders Of Men」は、タイトル通り《人々の指導者》がテーマとなっています。そして、そこには、「……ヒトラーが1923年11月9日の事件を民族再生の事件として神話的に位置づける時、彼は驚くほど偽予言者の相貌をおびていた。オーストリアの思想家ヘルマン・ブロッホも『群衆の心理』の中で言うように、偽予言者は目が鋭いことにかけては、決して真の予言者に劣らぬ力を持ち、事実正しく予言するすべをも心得ているのである。」(小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』)というような「偽予言者」の姿が描かれているように見えます。
※歌詞の訳は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』をもとに、若干手を加えました。
また、ロブ・グレットンは、「ジャケットのせいでネオナチだと思われている」と言って、ジャケットも変えさせました。バーナードがデザインした7インチ盤のジャケットには、ヒトラー青年隊員(ユーゲント)が太鼓を叩いている姿が描かれていました。バーナードは、このジャケットを「イアンが書いた歌詞に圧迫について歌ったものがあってそこから浮かんだもの」(『ロッキング・オン』1980年4月号インタビュー)だと語っていますが、このデビュー盤の詞に表れたナチズムのイメージは人々から反感を買いました。メディアからも批判され、バンドの知名度を上げるどころか、どこのギグから締め出されるという結果をもたらしました。このデビュー盤のマイナスイメージをまず変えようと、ロブ・グレットンは考えたようです。
『An Ideal For Living』には、「Warsaw」「Leaders Of Men」「No Love Lost」「Failures」の4曲が収録されています。
・「Warsaw」
バンド名と同じタイトルとなっていますが、ポーランドのワルシャワは、歌詞の内容と直接関係はないようです。
歌詞は3番までありますが、それぞれの冒頭と、一番最後の4箇所に「3,5,0,1,2,5-Go」というフレーズがあります。この「350125」は、ナチス副総統ルドルフ・ヘス(1894-1987)が第二次大戦後に収容されていた、ベルリンのスパンダウ刑務所での囚人番号だと、David Nolan著『Bernard Sumner: Confusion』に記されています。
ウィキペディアの英語版には、「Warsaw (song)」の項目があります。ここでは、この歌詞全体がヘスの生涯を歌っていると指摘されています(Warsaw (song) (February. 21 2010, 11:20 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from http://en.wikipedia.org/wiki/Warsaw_(song))。つまり、1番は1923年11月9日に起こったミュンヘン一揆(ヒトラー一揆)について、2番はヘスのヒトラー(1889-1945)に対する失望と乖離を、3番は収容所でのヘスを歌っているというのです。
少し実際の歌詞を引きながら比べてみましょう。まず、1番の冒頭を見てみましょう。
I was there in the back stage, When the first light came around.
最初の照明がついた時、僕は舞台裏にいた
I grew up like a changeling, To win the first time around.
僕は取り替え子のように成長した、この最初の瞬間を勝ち取るために
ルドルフ・ヘスはヒトラーとともにこのミュンヘン一揆で捕らえられ、ベルリンにあるランツベルク陸軍刑務所に収監されます。そして、ここでヒトラーの『わが闘争』の口述筆記をすることになります。ヒトラーとヘスは裁判で5年の禁固刑を言い渡されますが、ヘスは7ヶ月半後、ヒトラーは9ヶ月後に恩赦を受け釈放されます。その後ナチス党が躍進し、ドイツを支配するようになると、ミュンヘン一揆はナチズム創世の記念日として捉えられるようになりました。ヘスはヒトラーの私設秘書となり、厚い信頼を得、ナンバー2の副総統にまで昇りつめますが、次第に影響力が低下し、他の側近たちと比べて存在感が薄くなっていきます。
2番の歌詞のうち、次の部分などは、『わが闘争』の口述筆記以来、間近にヒトラーの言動に接してきたヘスの告白であるようにとれます。
I hung around in your soundtrack, 僕は君の音声を聴いて時間を過ごした
To mirror all that you've done, 君のやってきたことすべてを映すために
To find the right side of reason, 正しい理由を見つけるために
To kill the three lies for one, 一つのために三つの嘘を葬る
I can see all the cold facts. 僕は冷酷な出来事をすべて見ることができる
I can see through your eyes. 君の目を通して見ることができる
そして、3番の次の一節は、収容されている監獄のイメージでしょう。
I can still hear the footsteps. I can see only walls.
足音が聞こえるけれど、ぼくには壁しか見えない
こうしてみると、「I just see contradiction(ただ矛盾だけが見える)」、「To make believe you were right.(君が正しかったと信じさせるんだ)」という言葉で締めくくられる「Warsaw」に、囚人番号350125ルドルフ・ヘスの生涯を読み取ることは容易であるように思えます。しかし、単純にそれだけであるとも思えません。それは、あくまでも仄めかされるイメージとしてであり、先入観なしに読むと、《舞台裏にいて最初の瞬間をものにする》ことを願う、イアン・カーティス自身を描いているようにも思えるのです。そして、ニヒリスティックな言葉の数々は、自分自身の野心を揶揄しているようにも見えます。
2曲目の「Leaders Of Men」は、タイトル通り《人々の指導者》がテーマとなっています。そして、そこには、「……ヒトラーが1923年11月9日の事件を民族再生の事件として神話的に位置づける時、彼は驚くほど偽予言者の相貌をおびていた。オーストリアの思想家ヘルマン・ブロッホも『群衆の心理』の中で言うように、偽予言者は目が鋭いことにかけては、決して真の予言者に劣らぬ力を持ち、事実正しく予言するすべをも心得ているのである。」(小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』)というような「偽予言者」の姿が描かれているように見えます。
※歌詞の訳は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』をもとに、若干手を加えました。