祈りについて考えてみた。
祈らないカトリック者でいいのか?
仕事が忙しくて、仕事から帰ってきて、ご飯を食べて
テレビを見て、くつろいで時計を見たらもう11時。
普段は祈れないから、それじゃ、
日常を神に捧げてそれを神への祈りとしよう。
確かにそれはそれでいいのかもしれない。
間違ってはいない。
でも、ある時、それでいいのか?
と考えはじめた。
祈りのしないことの代償は、
確実に誘惑に負けやすくなるということを
実感する。
それと共に神と聖母への申し訳なさの気持ちが
増大する
忙しい、疲れた =祈りをしなくていい
とはならない。
それは、神様の救いのみ業に協力することを
少なくすることであり、また、自分自身にも
関わることだから。
この瞬間、多くの罪が世界中で犯されており、
また、自分自身もしかりである、
神様の担う十字架がどんどん重くなり、聖母の涙が増え、
煉獄の霊魂は苦しみ続け、
地獄にいく人が増えていく。
一人一人の人間には限界がある。
今、ミサに制限がかかっていて参加できない。
祈るのは個人の使う時間しかない。
祈らない自分に悩むなどと考えたことはなかった、
神よ、私に祈る力を与えてください。
そして、世界中にいる兄弟姉妹よ、
私の為に祈ってください。
祈らないカトリック者でいいのか?
仕事が忙しくて、仕事から帰ってきて、ご飯を食べて
テレビを見て、くつろいで時計を見たらもう11時。
普段は祈れないから、それじゃ、
日常を神に捧げてそれを神への祈りとしよう。
確かにそれはそれでいいのかもしれない。
間違ってはいない。
でも、ある時、それでいいのか?
と考えはじめた。
祈りのしないことの代償は、
確実に誘惑に負けやすくなるということを
実感する。
それと共に神と聖母への申し訳なさの気持ちが
増大する
忙しい、疲れた =祈りをしなくていい
とはならない。
それは、神様の救いのみ業に協力することを
少なくすることであり、また、自分自身にも
関わることだから。
この瞬間、多くの罪が世界中で犯されており、
また、自分自身もしかりである、
神様の担う十字架がどんどん重くなり、聖母の涙が増え、
煉獄の霊魂は苦しみ続け、
地獄にいく人が増えていく。
一人一人の人間には限界がある。
今、ミサに制限がかかっていて参加できない。
祈るのは個人の使う時間しかない。
祈らない自分に悩むなどと考えたことはなかった、
神よ、私に祈る力を与えてください。
そして、世界中にいる兄弟姉妹よ、
私の為に祈ってください。