John note~ヨハネのひとりごと

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聖職者による性的虐待者のためのミサ

2020-03-15 19:31:10 | のほほん雑記

今日は聖職者による性的虐待者のためのミサだったと思う。

世界中には聖職者による性的虐待があり、日本もそれがあったらしい。

イメージとしては外国のイメージだが日本であったことは数年前まで知らなかった。どの教区でなんと言う神父なのかは今でも知らない。

性的虐待者とは多分幼い子供が多いのだろう。

最近思うのは、何故、そういう人間が神父になろうとしているのか?また、なれるのか、という点にある。

自他ともに見極め期間はあるはずであり、見極める人もいるはずなのではないのか。

最近の神学校には(外国には)ゲイが多数いて、ゲイの司祭も少なくないと聞いたことがある。いくら、神が憐れみ深い方とは言え、神の目には大罪である。ましてや、幼き子供たちの性的虐待となれば、破門どころか地獄行きを宣告されてもいいに値する。

以前、カトリックの壊滅のために神学校に大量に共産党員を入れたというが、それが本当だとすれば、今のカトリック教会の神父の変貌ぶりは納得できる。その共産党員がゲイだったとすれば。

この問題とともにカトリック教会にはもう1つの虐待がある。

聖体拝領の所作による霊的虐待がそうだ。

日本のカトリック教会は、ひざまづいて舌で受ける信徒を拒否したり、罵倒したり、従順ではないと排斥したりしている。

それは、何十年という期間で行われていて、それによって心に傷を負い、苦しんでいる信者は結構いるのである。

立って手で聖体拝領をするという所作は日本のカトリック司教団がバチカンにお伺いを立てて認められただけのものであり、バチカンが推奨しているのはひざまづいて舌で受けるのがいいのである。

聖ピオ神父も、聖ヨハネパウロ2世も、聖マザーテレサも、ベネディクト16世名誉教皇もひざまづいて舌で受けていた。

カトリック教会は聖変化の時ですらひざまづかなくなってしまった。

私達信者は何に対して礼拝、祈り、感謝をしに行っているのだろうか?と思うのだ。

聖堂内には磔刑像のイエズス様はなく、聖櫃は脇に追いやられ、祭壇の中には聖遺物はなく、聖人たちの聖像もなく、あるのは、抽象化されたものばかり。

話はそれてしまったが共同体の一致も大事だか、信者一人一人の信仰を大切にしてほしい。

ひざまづく、舌で受けることは共同体の一致を妨げることにはならない。昔はそうしていたのだから。