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角界を去る人……そして大横綱の死

2013-01-21 12:00:06 | 日記
☆大相撲〈初場所〉では,18日は元 ・関脇で富士桜の中村親方を,19日は元 ・横綱で三重ノ海の武蔵川親方を,それぞれ解説者のゲストに招いていた。

共に来月の誕生日で「定年」を迎え,角界を去る。富士桜は『高砂部屋』でハワイからきた¨巨漢¨の高見山と切磋琢磨……関脇まで上り詰めた。

178センチ,140キロの小兵ながら豪快な突き押し相撲で人気を博し¨突貫小僧¨と言われた。中でも¨ライバル¨麒麟児との取り組みは〈天覧相撲〉でのとっておきの対戦であった…。

大成こそしなかったが,1974(昭和49)年の初場所では北の富士,輪島,琴櫻の三横綱を連破する快挙を為し遂げている。 稽古熱心な事で知られ,連続出場 「1543回」 という大記録を樹立している!

一方の三重ノ海は,出世が遅かったものの31歳の時(1982年)の春場所から三場所で37勝を上げて第57代の横綱に昇進! だが,怪我や病気が多く僅か1年余りで引退。 第10代の理事長に就いている。

2010年には,弟子の雅山の「野球賭博」での監督責任をとらされて謹慎……高血圧で入院,更に胃癌の手術をうける等,理事長として大変な時期を過ごした。 が,親方としては1横綱,3大関を育て上げた。

ちょうど,私がテレビにかじりつく様にして大相撲を見てたのは小3か小4の頃だったろうか…。 一昨日,72歳で亡くなった大鵬さんが出てきて柏戸さんと「柏鵬時代」の第一歩を踏み出した頃か。 私の当時のヒーローは大鵬と力道山,そして月光仮面だった。

あの頃はどこの小学校でも校庭の砂場で相撲をとっていた。 それだけ生活に密着していた……というか人気も高かった時代ですね。 「巨人・大鵬 ・玉子焼き」 の流行語を生んだ。 大鵬さんや力道山…天龍らが汗を流した名門 『二所ノ関部屋』は,もう無いんですね。 〈茨城〉

※写真は大鵬(左)と柏戸の両横綱。 大鵬さんは私の子供時代のヒーローだった!

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