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”プロレスラー”天龍誕生の功労者

2011-12-28 18:00:19 | 日記
★暮れも押し迫って,本来なら綺麗になっている筈の部屋がいっこうに片付かないというのに,CDや雑誌を買い込んでしまうもんだから,片付かないのは当たり前なんだけど……。(笑)

昨日のブログでも 「書店やCDショップは何時間いても飽きない」 と書いたけど,先日もフラッと入った書店で小一時間ほどいただろうか……。 別に何かを買おうと入った訳じゃあなかったんだけども,つい目に入ってしまったもんで買ってしまいました。(笑)

プロレス専門誌 『Gスピリッツ』の22号を手に取ってしまったのが運の付き(笑)で,全く予定してなかったのに買う羽目になってしまったけど……これ,結構イイ! 1200円の価値ありです。

今号は「相撲とプロレス」を特集。輪島,北尾,曙 ……といった横綱から清美川,グレート小鹿,そして天龍に至る"角界"出身のプロレスラーを実に詳しく調べあげていて,私も一応”編集者”上がりだけども,こんなのやりたくない!(笑)読者にとっては読みごたえあるけど……さすがに”現役”の宍倉さん (週プロ顧問)でもやりたくないみたいですよ。(笑)

元来,相撲好きではあるけれど,本号を手に取って買う決め手になったのは,巻頭の天龍の対談ですかね。 その天龍の対談相手が何と"プロレスラー”天龍誕生のきっかけを作った人なんです!

その人とは……現在<筑波大学>の名誉教授である森岡理右氏,と言う堅苦しい言い方より 「もりさん」 と言う方が自然かな。 (笑) 「もりさん」 との最初の出会いは,私が 『プロレス&ボクシング』 誌で雑誌記者としてスタートを切った時だから40年も前になる。

その頃 「もりさん」 は ベースボール・マガジン社の非常勤の嘱託だった様な気がします。プロレスだけじゃなく相撲や サッカーに精通していたし,なによりも面白い人でしたよね。

相撲は大鵬さんと,プロレスは馬場さんと,それぞれ昵懇(じっこん)にしていた訳ですけどね,お二人には相当信頼されていたって事なんでしょうね。 天龍が相撲からプロレス入りをした時に,私は アメリカに居て 「今度,プロレスに入った天龍が アメリカに修行に行くから取材に行ってよ」 と 『ゴング』誌の竹内さんに言われてアマリロに行ったのがもう35年も前の事になるんですよね。 時の流れって思ってる以上に早いですね。

私はアメリカに居たもんで,その当時の相撲は分からなかったけど,最初に天龍に会った時の印象は「口数の少ない無口な人」でしたね。話してたら”二所”だって言うのでカナダの大剛さんに電話したけど,夏に天龍と電話で話した時に,その時の事を覚えてましたね。(笑)何しろ,丁髷(ちょんまげ)をつけてアマリロに来た時に取材したマスコミは私だけ …… だから表紙にしろ,その頃の写真は私が撮った物って直ぐ分かる!(笑)

「もりさん」は馬場さんと昵懇だった事もあり 《新日プロ》の事は見向きもしなかったが(笑)ドリーやテリー,ブッチャーら《全日プロ》系の外人レスラーから 「リッキー森岡」 って信頼が厚かったですね。 その 「もりさん」 も,もう77歳かあ。 私が "今一番”お会いしたい人だし,何とか来年こそ コンタクトを取ってお会いしたいものです。 さあ,今年もあと三日……来年こそ 「いい一年」 にしたいものです。 ではまた明日……。 <茨城>

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