Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

もうあれから3年の歳月が流れて……

2009-04-16 18:30:16 | 日記
前回はミスター・ポーゴとの関係の断片をお伝えしましたが,ポーゴは92年頃から日本に戻ってW★INGやFMWで暴れまくり”極悪大王”の名を欲しいままにしましたが,それ以前はアメリカを主戦場にして,20年近く一匹狼として生き抜いてきたわけです。時としてマネージャーがついてその売り出しにひと役買ったわけです。その中でも,サー・オリバー・フン パーデ ィンク,ミスター・マッスル……そしてビクター・キニョネスの3人は,ミスター・ポーゴのレスラー人生において忘れえぬ存在だったといえましょう。フンパーディンクは全米を股にかけて悪名を轟かせ,名物マネージャーとして,その名を馳せていました。通信員として各地を飛び回っていた私は,よくフンパーデ ィンクと色々な所で顔を合わせました。当時の米マット界において”ベスト5 ”に入る屈指のマネージャーだったと言えましょう。ミスター・マッスルは,関川がミスター・セキを名乗っていたカンサスでごく短い期間マネージャーをしていた日本人で……その正体は?(3月末に講談社から発売された関川哲夫著「ある悪役レスラーの懺悔」を読めば一目瞭然です)そして,ビクタ・ーキニョネスはW★INGでブレークした”悪の司令塔”の異名を持つプレーイングマネージャー。サングラス姿に葉巻を燻らせ,手に持った竹刀を振り回し,常にポーゴと共に”レスラーと,観客と” 戦っていた……06年4月2日,プエルトリコの自宅で亡くなってから早いもので 今月で丸3年を迎えた。次回はビクターとの数々の出来事を思い出してみたいと思います。<茨城>

ポーゴとはFatal bonds?

2009-04-16 04:00:16 | 日記
前回のこのコラム(とはいってもまだ 2回目ですが)で,自分とポーゴが会ったのは ,8年振りだった……と,書きましたがこれは嘘偽りのない事実なのです。01年の「W★ING同窓会」の年に何度となく顔を合わせましたがそれ以来の”再会”となりました。そして,01年に会ったのは93年にW★INGを離脱してFMWへ行って以来……だったような気がします。今回の8年振りの”再会"を前に何度も電話では話してましたし,端で思うほど二人の間には”空白”は無く,まるで何日か振りに会ったような錯覚さえ覚えました。この何週間か前に「W★ING としての試合をこの時代に出来ないものだろうか」と,思いポーゴと連絡をとりたいと八方手を尽くしましたが,電話番号が変わっているみたいで結局は連絡をとることが出来ませんでした。 ところが,それから何日ぐらい経ってか深夜に(登録してない見覚えのない番号の)電話がしつこいぐらいに鳴ったのでとってみると何と,ポーゴからの電話だったのです。90年 (平成2年)には当時,中野に住んでいた自宅にアメリカから一時帰国
していたポーゴから突然電話がかかってきたことがありました。が,この時の電話がプロレ
スラー”ミスター・ポーゴ” にとって大きな転機になったのは事実です。 この電話から数週間後, ポーゴはFMWのリングに姿を現すこととなるのです。初めて,アメリカ・ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで会ってから30余年……いまだに付き合いは続いています。こういう関係をFatal Bonds(腐れ縁) とでも言うんでしょうか!?<茨城>