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ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

佐喜眞美術館

2009-09-15 22:40:50 | Private・雑感
事実に対し、多かれ少なかれ人間が介在すれば、
それはメディアでありアートなんだろう。
戦後、その役割を新聞が担い、画家や詩人が担った。
佐喜眞美術館で丸木位里、俊夫妻が描いた「沖縄戦の図」を見て、
圧倒的なメッセージと、「絵というメディアが最も適している事実」
について思った。

ノーベル平和賞の候補にまでなったというこの夫妻を、
知らなかった。
佐喜眞さんが、この絵を飾るために、と美術館づくりに
発起された気持ちがよく分かる。
沖縄戦の図の端には、

「恥ずかしめを受けぬ前に死ね
 手りゅうだんを下さい
 鎌で鋤でカミソリでやれ
 親は子を夫は妻を
 若ものはとしよりを
 エメラルドの海は紅に
 集団自決とは
 手を下さない虐殺である」
と書かれている。


「もの思う空間」としてつくられたこの美術館も、
一種のメディアなんだろうと思う。
沖縄戦について伝え、現代芸術家の解釈を伝える。
天井の階段を上りきると、隣り合わせの普天間飛行場。
沖縄戦終結の6月23日の夕日が落ちる方向に、向かって伸びている。

何が言いたいのかというと、
事実を、後からまとめたり回顧したり解釈を与えたり疑問を呈したりという
仕事は、
こういう美術作品や、美術館、その他本などが「得意」とするんだろうということ。
その分、即応性は低いし、市民も求めてはいない。

その反対を行く新聞は、やっぱりその場その場を追いかけなくてはいけないんだろう。
その日のうちに出すニュースと、その1ヶ月とか半年とか。
研究者が結果をまとめられる前におぼろげな見解を交えつつ、
議論の発破をかけるような文章を書く。
なんでもかんでも新聞に載せたっていいけど、
そこらへんの得意不得意を意識しないといけない。

余談ですが、やるなあと思ったのは、沖縄タイムス。
このときにかかっていた絵の作家は、初期に、大半が沖縄タイムスの主催する
作品展で入賞をしている。
関係ないけど、この日たまたま手に取った沖縄タイムスのブックレット
『観光再生-「テロ」からの出発』が面白くて、
ひとつの国としてだいぶ独立してしまっている、すなわち
県が発展したり衰退したりするのに影響する制約条件が、
国や「地方」ではなく県であることの多そうな
沖縄県紙で仕事するのは面白そうだなと思いました。

実際、沖縄タイムスを読んでいれば、他紙を読まなくても
いいような気がしてくる。
その感覚は、もちろん慣れ不慣れの問題があるが、
中日以上のような感じ。
さて、なぜ沖縄には県紙が2紙あるのでしょう。
戦中の「一県一紙運動」が行き届かなかったのかしら。
掘れば掘るほど沖縄です。

日本の沖縄戦

2009-09-15 21:46:50 | Private・雑感
「鉄の暴風」という言葉、恥ずかしながら知らなかった。
到着2日目は社会見学。
車を借り、平和祈念資料館、ひめゆりの塔のある南部に向かった。

「鉄の暴風」という、沖縄の人が経験した戦闘を表す言葉を知った。
日米合わせて、確か20万人の死者が出た。
うち18万人が日本人。9万5000人くらいが民間人だった。
今読み進めている本『強制された「集団自決」』によると、
集団自決が起こった場所は、軍関係者が内部に入り込んでいたという。

※沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は18万8136人で、沖縄県出身者が12万2228人、そのうち9万4000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は1万2520人で、負傷者7万2千人であった。
(whikipedia)

沖縄は、琉球王国だった。1875年まで、島津藩の干渉を受けつつも、
中国などに対しひとつの国として存在を確立していた。
1875年にあったのは、「琉球処分」。
明治政府が「皇民化」政策だった。

最後の最後に、無理やりに日本国民にされた琉球人。
日米間の戦闘で、日本代表として犠牲を払ったのは
沖縄だった。
集団自決という、恐ろしい異常事態も招いた。

最後に、選択させられた「皇民」だからこそ、
軍の「捕虜となって辱めを受けるな、そのときは自決しろ」という
教えをラディカルに受け入れざるを得なかったのかもしれない。
資料館には、じっくりと証言集を読むスペース、証言者のビデオが
迫力をもって事実を伝えている。

ひめゆりの塔では、「ガマ」での異様な、鼻を突くような、目を覆いたくなるような現実。
貴重な社会科見学になった。
最後は、「安保の見える丘」。
この名前は通称で、嘉手納基地のよく見える小さな丘を言う。
その近くの、「道の駅かでな」から、安保を見た。ような気がした。

やっぱり、中高生の修学旅行は沖縄に行くべきだと思う。
「戦争は何一ついいことがない」
と訴えるもののひとつひとつの意味を考えると同時に、
じゃあ何であるんだ、と自問自答する。
やっぱり、「いいこと」はあるのだ。
土地を得るとか、商売圏が広がるとか、軍事拠点を置けるとか。
物理的に、経済学的に考えれば、戦争の発生は説明できる。
ただ、費用対効果の「費用」に含まれる人の死を、
どれだけ想像力豊かに、痛みや悲しみや後遺症を含めて
念頭におけるかと言うことなんだろう。

「この沖縄戦の実態やその後の沖縄を、アメリカのすべての人は
 直視すべきだ」
そう思った。
と同時に、沖縄戦は、沖縄人という日本人が被害者であり、日本軍を含む日本人が
加害者の一部だった。
この点で、日本人の誰もが見なくてはいけない。
また、そう言うのなら南京大虐殺もこの目で読み、見なくては。
また、旅の目的地が増えた。

つらつらと書いてみた旅の実質一日目。
私は、5年前に持ったガイドブックを持って行った。
最初の夜、それを読んでいるだけで面白かった。
今も出てるのかな、「ひとり歩きの沖縄奄美」。
絶対の信頼を置いているこの本の記述は、とても知的に旅のスポットを教えてくれる。
執筆者の紹介欄をはじめて見たけど、東大出身でした。




そんなわけで、とても勉強になりました。
高校生は沖縄に修学旅行に行くべきです。