新聞記者でなければ、医療関係の仕事をしようと思っていた。
「人の命、人生に関わるという点では一緒。人間というものが好きなんだと思う」。
この春新聞社に入社。
現在名古屋で記者研修中である。
短めのボブカットに、相手を真っすぐにとらえる目。
活発な人という印象だが、高校まで他人と交わるのが苦手だったと言う。
それが浪人時代に変わった。
いろいろなことが重なった。
祖母の死去、失恋、知人の引きこもり―― 一人で考える時間もたくさんあった。
「人間には思いがけないことが起こるものだ」と知ったとき、人間への興味が深まった。
「受験勉強そっちのけで一人哲学してましたね」と笑う。
もうひとつの転機は大学時代、オーストラリアへ半年間留学していたときだ。
成人式を迎える日本人留学生に、こっそり彼らの両親から手紙を取り寄せ、渡すというイベントを企画した。
読み上げるたびに再現される、それぞれの思い出の場所、時間。
いつしか会場全員が思いを共有し、涙していた。
「言葉ってすごい」。ビジュアルでなく、言葉にしか伝えられないものの重み。
自然と記者の仕事にたどり着いた。
「事件の被害者などの、埋もれがちな事実や思いを書きたい。
読者が行動を変えるきっかけとなれば」と事件記者を目指している。
埼玉県出身、二十三歳。
・・・
研修中の課題で、新人同士が取材しあい、『この人』コラムを書いた。
よく新聞で見る、ある人を取り上げてのどかに描く囲み記事である。
取材については、普段はまじめに、遠慮せずに根掘り葉掘り聞けないことを聞けて、
ワクワクする瞬間がいくつもあった。
書いてみての反省は、「ストーリー性」、論理性みたいなものに
いつのまにかこだわりすぎていたような気がする。
50行で、その人そのまま描くのは難しい。ある面、個別のストーリーに固執するのは
仕方ない、とも思う。
取材されてみての感想。ナイーブなこと、本質的なこと(どういう人間か、
どうして新聞社か、といったこと)を聞かれると、
本能的に(?)理解してもらいたい、と思ってしまった。
普通の会話では「まあ、わかってもらえなくても別にいいけど」と思う部分って多い。
その部分を「こういう体験もあって、このときこう考えたことが、こう影響して
こういう判断をしたんだと思う」といったようなこと、全部言ってしまう・・・質問されなくても。
一方で、なるべく質問されてないことは答えないようにもしていたけど(なんとなく)。
だから、私のことを取材して書いた彼女は、けっこう混乱というか、変な、つじつまの
合わない人のように私のことを思ったかもしれない。
彼女が書いた原稿を読んだら、まずすごく文章が上手で、読ませる文章だった。
感服、というか・・・。
内容について取材された側としては、「まるで私、超インテリみたい」と感じた。
彼女は彼女で、私の一部分を切り取ったんだろう。
人間、一面だけを知っても、面白くないものだ。
複数面あって、その組み合わせの意外性と言うか、「そうきたか」というところが
面白いのだと思う。
細身で静かな声で話す、家ではヒーリング音楽聴くような彼が、
上級テニスプレーヤーだったり、
常に歩くのが早くて、早口でばしばし取材している先輩が、
登山好きだったり。
と考えると、「この人」という毎日新聞で載る欄で
「犬と散歩が至福のとき」とか、趣味や家族のことによく触れているのは
納得できる。
私はどうすれば、取材相手の彼女の「違う側面」を書けたかなぁ。
以上、研修報告でした。
「人の命、人生に関わるという点では一緒。人間というものが好きなんだと思う」。
この春新聞社に入社。
現在名古屋で記者研修中である。
短めのボブカットに、相手を真っすぐにとらえる目。
活発な人という印象だが、高校まで他人と交わるのが苦手だったと言う。
それが浪人時代に変わった。
いろいろなことが重なった。
祖母の死去、失恋、知人の引きこもり―― 一人で考える時間もたくさんあった。
「人間には思いがけないことが起こるものだ」と知ったとき、人間への興味が深まった。
「受験勉強そっちのけで一人哲学してましたね」と笑う。
もうひとつの転機は大学時代、オーストラリアへ半年間留学していたときだ。
成人式を迎える日本人留学生に、こっそり彼らの両親から手紙を取り寄せ、渡すというイベントを企画した。
読み上げるたびに再現される、それぞれの思い出の場所、時間。
いつしか会場全員が思いを共有し、涙していた。
「言葉ってすごい」。ビジュアルでなく、言葉にしか伝えられないものの重み。
自然と記者の仕事にたどり着いた。
「事件の被害者などの、埋もれがちな事実や思いを書きたい。
読者が行動を変えるきっかけとなれば」と事件記者を目指している。
埼玉県出身、二十三歳。
・・・
研修中の課題で、新人同士が取材しあい、『この人』コラムを書いた。
よく新聞で見る、ある人を取り上げてのどかに描く囲み記事である。
取材については、普段はまじめに、遠慮せずに根掘り葉掘り聞けないことを聞けて、
ワクワクする瞬間がいくつもあった。
書いてみての反省は、「ストーリー性」、論理性みたいなものに
いつのまにかこだわりすぎていたような気がする。
50行で、その人そのまま描くのは難しい。ある面、個別のストーリーに固執するのは
仕方ない、とも思う。
取材されてみての感想。ナイーブなこと、本質的なこと(どういう人間か、
どうして新聞社か、といったこと)を聞かれると、
本能的に(?)理解してもらいたい、と思ってしまった。
普通の会話では「まあ、わかってもらえなくても別にいいけど」と思う部分って多い。
その部分を「こういう体験もあって、このときこう考えたことが、こう影響して
こういう判断をしたんだと思う」といったようなこと、全部言ってしまう・・・質問されなくても。
一方で、なるべく質問されてないことは答えないようにもしていたけど(なんとなく)。
だから、私のことを取材して書いた彼女は、けっこう混乱というか、変な、つじつまの
合わない人のように私のことを思ったかもしれない。
彼女が書いた原稿を読んだら、まずすごく文章が上手で、読ませる文章だった。
感服、というか・・・。
内容について取材された側としては、「まるで私、超インテリみたい」と感じた。
彼女は彼女で、私の一部分を切り取ったんだろう。
人間、一面だけを知っても、面白くないものだ。
複数面あって、その組み合わせの意外性と言うか、「そうきたか」というところが
面白いのだと思う。
細身で静かな声で話す、家ではヒーリング音楽聴くような彼が、
上級テニスプレーヤーだったり、
常に歩くのが早くて、早口でばしばし取材している先輩が、
登山好きだったり。
と考えると、「この人」という毎日新聞で載る欄で
「犬と散歩が至福のとき」とか、趣味や家族のことによく触れているのは
納得できる。
私はどうすれば、取材相手の彼女の「違う側面」を書けたかなぁ。
以上、研修報告でした。