「なぜ人はこんなにもブログを書くのか?」
と、mixiが広まって、周りにもmixi人口が急速に増えたときに切実に思った。いかにも自己表現が好きそうな人たちが書いているわけではない。誰も彼もが書いているのである。
もしかしたら、これは何か大きな変化の始まりなのかも・・・?とぼんやりと思いながらここまで来た。本書が教えてくれるところでは、「Webの進化による表現や開発参入のコストが下がれば、人間の行動は想像以上に大きく変わる」ということである。みんなが表現好きになったわけではない、他人における本来の表現願望は、私の想像以上だったということである。
本書の柱は3つである。
1つは、Webの世界の創造性における新しさ―――知的財産権なんてどこ吹く風、開発した技術をオープンにし、Web世界全体が急速に発展する仕組み
2つめは、グーグルの成功の意味―――「こっち側」と「あっち側」(PC上の機能開発とWeb上の機能開発)の分類において、誰よりも早く「あっち側」に視点を移したこと、実際に全ての機能の「あっち側」への移行、超エリートで知的好奇心の塊のみを採用する経営の方法など
3つめは、Web進化がもたらす民主主義形態の変化―――表現コストの低減、権威に頼らずとも発言できる社会(情報の淘汰機能も発達してきた)
である。ちなみにこれは私のなかの「3つの」柱であって、実際はもっと多くの柱があったと思う。
そして本書を貫く姿勢は、「このインターネット社会の善の部分をもっと直視して評価しよう、肯定的に、楽観的に、この変化に対応して楽しもう」というものだ。どうやら「悪」にばかり目が行くのが日本的な姿勢であるらしく、本書の姿勢がシリコンバレーの空気らしい(著者はシリコンバレーで仕事をしている)。開いて数ページのところに書かれていたこの姿勢が、私にこの本を読ませたと言っていい。もしかしたら、日本の既存メディア(新聞やテレビなど)があまりにも権威的であるために、「悪」の空気を充満させているのかもしれない。いずれにしろ、少なくとも私は本書でインターネットやその未来について考え方が変わった。積極的な関わりにより肯定的なイメージを持ったし、「最低限、自分がやりたいことについて使いこなせればいいや」という姿勢から、「何がインターネットで実現できるのか、それは何を意味しているのか」ということに敏感になった方が、面白そうだと思えるようになった。
私の感想では、パソコンやインターネットに強い、詳しい人は男の子に多い。「よくわからないけど面白そう」と飛び込んでしまう勢いは、どうやら男の子に先天的なものなのかなと思う(他の話題でも然り)。私も、楽天性では他人に負けないつもりだったけど・・・実際ITには保守的だったようだ。
ただ、このWeb進化において懸念すべきは、さまざまな場所で聞かれる「完全競争市場達成の、負の部分」である。インターネットの悪の部分として言及されるのは、対人コミュニケーション能力の低下だとか、オタク化だとか、匿名社会だとか、そういうところだが、それは本書の指摘するような楽観論をとるにしても、「完全競争市場」、「完全な完全競争市場の達成」は念頭に置いておかなくてはならないと思う。
これは、前に読んだ『市場を創る』によっても触れられていたし、特に『勝者の代償』で鋭く指摘されていた。すなわち、製品やサービス、情報の情報コストゼロ、参入コスト低下、多数の消費者、供給者、という完全競争市場の仮定(通常は理論上の非現実的な仮定)を満たすということが何を意味するかということだ。『勝者の代償』では、情報コストの低下→消費者の価格比較能力上昇、オークションメカニズムの適応、価格低下、生産者圧迫→「労働者は消費者としては潤うが、生産者として不幸になる」といったシナリオを描いていた。多くの指摘が当たっていて、それはつまり、Web進化の世界で忘れてはならない側面を提供していた。
とにかく、面白い新書だった。著者の頭のよさも感じられるすっきりした文章もよかった。去年よく売れた本らしいですが、読み過ごさなくて良かった。