とまと日記 2011

最近、映画のイラストばっか。気ままに続けます

07.02.19 ヨコハマのメリーさん。ヨコハマメリー

2007年02月20日 | 映画とかと僕
『天井桟敷の横浜 -メリーさんの手紙-

文・山崎洋子 (『BAY m・a』2001年8月号より)

メリーさんは白塗りの老女である。進駐軍相手の街娼だったそうだが、老いてもなお街に立ち続けたこと、頭も髪も真っ白、フリルのついたドレスも真っ白という異様な外見だったことから有名になった。
「白いメリーさん」として都市伝説的な存在でさえあった。
伊勢佐木町、福富町、関内といった横浜の中心地でよく見られたが、白塗りの下にある素顔を見た人はほとんどいない。経歴も私生活も謎だったから、実は大金持ちだとか女装の男性だとか、様々な噂に彩られていた。興味本位で彼女に近づく人も多かったようだ。

しかし元次郎さんは違った。彼は京浜急行日ノ出町駅のそばで「シャノアール」というシャンソニエを経営するシャンソン歌手である。子供の頃、母親と生き別れになった体験を持つ元次郎さんは、メリーさんを見るたびに自分の母親のように思えてならなかった。元次郎さんのリサイタルをメリーさんが観に来たのをきっかけにいっそう縁を感じ、なにくれとなく気にかけ、さりげなく面倒を見てきた。

メリーさんの反応はいつもあっさりしたものだった。どんなに親切にされても心を開いて見せようとはしない。
横浜の名物だったから色々オファーがあったようだ。ドキュメンタリー映画に撮られたこともあるし週刊誌にも追いかけられた。写真集もあるし芝居のモデルにもなっている。だが、誰のどんな申し出にも、彼女は他人事のような反応しか示さなかった。街を風のように漂う生活も決してかえない。そのせいで、少々頭がおかしいというのが通説になっていた。

メリーさんは1995年に横浜から姿を消し、その存在も日々、過去のものになりつつある。だが元次郎さんは忘れなかった。彼女が故郷に帰っていることを知ると、自宅宛てにおいしい物やお金を送り続けた。
彼女が施設に入所すると、今度はその施設宛てに品物やお金を送った。施設からは丁重なお礼の手紙が送られてきた。もちろん元次郎さんはどこからもお礼など期待していない。

自分の名前も顔も覚えてくれないだろうとさえ彼は思っていた。それでいい、あの人は「心の母」なんだからと。

メリーさん自身から元次郎さんに直筆の手紙が届いた。しかも続けて二通も。

実にしっかりした文章だった。なにより胸に迫ったのは、二人の出会いから始まって、元次郎さんの歌のこと、横浜で受けた親切、故郷に帰ってから送って貰った品のことなど、ことこまかに書かれていたことである。頭がおかしいどころではない。表情を隠した白塗りの下から、メリーさんはすべてを見ていた。すべてわかっていたのである。(以下略)』


映画はその後、元さんはメリーさんと再会する。映画がもう他界したかのように作られていたから、最後に出て来た元気に地元のホームで過ごしているメリーさんを見て思わず涙がこぼれそうになった。い、生きてた…!しかもきれいな顔をしていました。

メリーさんはヨコハマの顔であると同時に風景だったと語られていた。
僕は本物ののメリーさんをみたことがない。でも今、各地にメリーさんはあふれている。なぜメリーさんがメリーさんになったのか。なぜヨコハマにずっといたのか。壮絶なる純愛です!!!

風景が変わってゆくせつなさを静かに、じ~~んと染みさせる。
見終わった後、メリーさんの写真を今一度見てみると、なんとも言えない感じになる。あの表情。。なんとも言えない。。


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