とまと日記 2011

最近、映画のイラストばっか。気ままに続けます

07.02.28 劇団ひとり 陰日向に咲く

2007年03月04日 | レビューと僕
最近 劇団ひとりがつぼ。
何がって言われたら、チョウ・ユンファに似ているから。。というかなんだかとにかくツボ。

というわけで、無性に読みたくなって買っちゃいました。小説と呼ばれる書籍を読むのはかれこれ7年近くも読んでなかった。
7年ぶりの小説がひとりの作品。。

いろんなところから評判が良かったので期待して読んではみたももの、…「軽い」!!
いや…軽さがいいのか??バカすぎないか…???これでいいの?…読みものとしてちゃんと評価されているの…??
が素直に思った感想なわけで。。

この本は劇団ひとりのネタ帳なんだ、と思いながら読んでいく必要がある。。思わなくても、
いかにもしゃべりそうな言葉の使い方だったりリズムのおかげで頭の中はひとりがしゃべっている声が聞こえて来ます。ひとりの声が聞こえて来たら少しは面白いです。

これは芸人が書いた小説ってことが大前提であるから評価されたのであって、純粋な読み物としてはあまりに軽い気がします。

でも全く関係ない短編の連なりが微妙に関わっていて、それを探すのはけっこう面白かった。
米テレビドラマのlostでも関係のなさそうだった人たちが微妙につながって行くたのしさがあるけど、あんな感じ。
この本の場合、その関わり方がけっこういいポジションと場面でリンクするので一瞬ドキっとさせられます。

あとちゃんとどの短編にもオチが用意されているのはさすがだな~と感じました。
アイドルオタクの話が一番人物描写の濃さとユーモアが凝縮されてて、是非演じてほしいと思うほどすごい描写だった。
この一遍はめちゃくちゃ劇団ひとりっぽくて面白かった 

07.02.17 国家の品格

2007年02月17日 | レビューと僕
売れている本は賛否両論あるけど、読みやすくて面白いものです。これも例外ではありませんでした。
この本は講演会でしゃべったことをまとめたらしいのですが、だとしたら半端ないほど頭がいい。知識人だーー。やっぱり売れるにはわけがある。。同じ事を言葉をかえて長々と書いて本にする人はいますが、多方面から(しかもけっこう実体験)見ていて情報量の多さにびっくりです。。

要約すると、「アメリカ式国家のように、利潤を追いかけるためにせわしなく動くのではなく、もっと日本がかつて持っていた武士道精神を思い出していこう。その精神こそが、かつて外人が賞した日本人の姿であり、今後私たちがめざす日本人像である。だから1世紀かかっても、資本主義など構わないから情緒、教養、感性、文化、礼節、愛国心などの美しい心を取り戻そうぜ」
って感じ。いささか後半にかけて感情の殴り書きが見えるのも特徴的。。
いや、ちょと言い過ぎだろう。。勝手なこと言ってるな。と思う。。けどそのキッパリ感が逆に読みやすかったんではないかな。でも時々入るワイフネタがいらない…。そんな無性にイライラさせる文も含まれているのも特徴的。。

最も重要な情緒力により結果は大きく左右する。今後、世界の大事を論理立て・ 決定する際には日本人が持つ情緒力が最も必要である。と語っている。
政治経済のことはわからんんがデザインだって合理的なものよりも、もっと琴線にふれようとしている製品があとをたたない。「日本」を強く意識させようと思わせる製品が多くなって来たように思える。
たとえば
富士通の所作ってケータイだったり、日本庭園を望む「丸窓」をモチーフにしたセイコーの時計だったり。塗装にうるしのような質感を好むし。最近ナショナルでは「日本の美意識。グリーンスタイル」とコンセプトをだしてるし。

何かと『和』を好む。。既に大衆製品として世界にまで浸透しちゃった無印だって、あの切り詰めた無駄のない姿は、どこかモノに対して余計すぎる装飾を好まない日本っぽさをもってる。nendoの花咲くような照明も、無駄な機能と思いつつも心をくすぐられる「間」をもっている。きっと数えればきりがない。

そう思うと日本人は日本を意識していると思う。そしてなぜか情緒的な日本っぽさを魅力的に思う。
そういう意味で、政治経済よりも、もっと分かりやすい生活の場に既に日本人は「日本らしさ」を認識しちゃってるんじゃないかな。それが企業の戦略と言うにはちょっともったいないです。

ケータイでは最近ではアロマの香りとか、意味もなくチカチカ表面が光ったり、ユニクロのごとくカラーバリエーションを増やしたりなど訳の分からない変な方向に行ってしまっている。機能に差異が出なくなって来た分、デザインで埋めようと躍起になり、最近ではそういった付加価値へ。。(でもそーゆーの大好き)
その付加価値のなかに「和」も含まれていそう。。いつか木目ケータイ出るに違いない…。

確かに日本らしさに餓えている僕たち日本人にとって「和っぽさ」は、なんかかっこよく情緒的である。きっとそんな感覚がむか~~し昔の日本人の血がささやいているのでしょう。



日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」であると言われちゃうと、自然とお茶をいれて「はぁ~」とリラックスしてしまうお昼でした。。

07.01.12 生き方 人間として一番大切なこと  著者 稲盛和夫

2007年01月13日 | レビューと僕
内定会社の方から「読んでおきなさい」と言われていた本。京セラとKDDIの生みの親、稲盛氏が著者。
けっこう宗教っぽかった。その理由は最後の方に自身が坊さんになったことからも伺えました。
でもただ宗教くさいわけではありません。
仏教で説かれている道徳にそくした生き方と、戦後復興を遂げた勤勉JAPANの大切さ混ぜた内容で、王道の考え方を提唱してます。
その道徳も、小さいときに学んだことのある道徳です。人に親切にしなさい、すぐにあきらめんな、努力と根性とか本当にそのくらいシンプルなこと。でもそんなシンプルなことが、人は何十年も生きていて忘れちゃっている。その道徳ってのは、結局人生をも司る大事な部分なんですってこと。
そしてその人生ってのは、「魂を磨いていくことが、この世を生きる意味」。
このことが手を変え品を変え書いてあります。単純に純粋な原則を一貫して繰り返し述べている。 どれも納得する部分がありました。

本の内容も文面も、著者の性格がとても分かりやすい感じです。誠実で謙虚ないい日本人だなぁ。ってイメージがふつふつと湧きます。世の中こんな人ばかりだったら素晴らしい世の中になるでしょう。


ただきれいすぎ…?。
誰も批判のできない真正面で真っ当なことしか書かれておらず、 ぶっちゃけいちゃえば、どこでも言われる根性の大事さと道徳論です。

著者が書いているように極めてシンプルで単純なことの積み重ねと継続こそがベストパワーなのだな、と誰しも納得します。
会社が入社する前に読んどけって言った理由もうなずけるいい本でした。
ホリ○モンにも読ませてあげるべき。

最後に、
63億人のDNAをすべてかき集めても「米1粒」分にしかならないらしい。


06.12.13 「世界の日本人ジョーク集」

2006年12月16日 | レビューと僕
ジョーク集というよりは日本が世界からどのように見られているのか?という文章をまとめたような本です。
なんで、日本人が馬鹿にされているような記述も多々あって、笑って読めるもんじゃないです。(面白いけど。)

日本の印象として、昔からあるのが『ハイテク』『メイドインジャパン』とかのたぐい。
日本人の印象として『お金持ち』『ポーカーフェイス』『忍者』とかのたぐいが多い。
でも最近は少しずつ、変わってきているようです。メジャーリーガー、サッカー、アニメ、マンガ、日本食ブームのお陰で随分と日本人の印象も変わったんだなぁ、と。松井やイチローや中田の他国の認知度は想像以上で、彼らをよく「サムライ」と称することも多いそうです。ただストイックに自分の技を磨いて、淡々と語る姿にアメリカ人は侍をダブらせるのは容易に想像できます。


どうやら、『日本人』=ハイテクに強いという印象が強いようで、特にアジアなんかではその傾向が強いよう。
県民性ってのが一昔前にはやったように、本書でも国民性を強調して出している。
例えば、
日本人は器用で金のことしか頭にない。
アメリカはすべて軍事力で片付けさせようとする
フランス人は好色。
ブラジル人は踊りまくって歌う。
とか。全ての人がそれに当てはまる訳はないけど、なんとなくわかる。そんな軽いタッチで読みやすい本です。


あと、『いい加減』。
よく世界の車窓からでも、ほかの国では電車の1、2分の遅刻なんて当たり前という話をよく聞きます。
そこで日本人は「テキト~だなぁ」って口走ってしまいます。
でも他の国から来たら日本もずいぶん違う面でテキト~だなぁ、と思う。

それは例えば宗教の面で。。
結婚式は教会で挙げて、七五三の習慣、クリスマス、ちゃっかりお正月で初詣、死ぬときはお坊さんが来て火葬など。
しっかりいろんな宗教のいいところをとっているくせに、日本人の大半は、「無宗教」です。と答えるそうな。
それは他の国の人から見たらから有りえないほどテキトーにうつる。生活に宗教が核となっている人たちにとってはショック以外の何者でもない。特定の宗教ではないという意味で日本人が使っても、相手は無神論者と勘違いするそうだ。

戦争の話にしても、米軍の戦艦のプラモを平気でつくっている日本人が不思議に思うのだそう。考えてみれば、確かにその気持ちもわからなくもないです。
これは教育?国民性?反米と教えられて育てられていたらまた価値観が変わってるんだろうなぁ。
いろんな意味でゆとりというか…まぁ、どの国にもテキトーはあるんですね。

06.11.14 「もう一度学びたい聖書」

2006年11月15日 | レビューと僕
中学時代に聖書をものすごい時間をかけて読んだ。でも8割も頭に入らなかった。ただ読んだだけ。で、どうしたことか、急にもう一度聖書を読みたくなりました。
けっこう前に読み終わっていたんだけどまとめるのが遅れました。

お恥ずかしいことながら、キリスト教はユダヤ教の一派であったなどの基本を知らなかった。
以下、旧約と新約の差。(約とは神と人との契約のことを指すらしい。)


■旧約聖書
・ユダヤ教の聖典。
・イスラエルの民のみが救済対象。
・神に忠実でないモノは恩恵を。そうでないものには容赦しません。
・ストーリー 旧約聖書は天地創造からモーセが神からの十戒を授けられたり、ダビデ王などの、ユダヤ人の歴史(主に戦争)と神と人との交流。
歴史的読み物で伝記に近い。
神によって選ばれた恵みを受ける代わりに唯一絶対の神を慕う。律法に忠実であれ。という契約。

が、人は幾度となくその契約を破りました。

そこで神は自らの子であるイエスをメシアとして地上に遣わした。しかし、イスラエル人はメシアとして認めなかった。(絶対神がいるから存在自体が許せないのだそうだ)そればかりか処刑した。
この時のイエスが流した血によって人々の罪が購われて、全人類を救いの対象とする、新しい契約が結ばれた。

■新約聖書
・キリスト教の聖典。
・キリストを信じるものすべてを救いの対象とする。。(実際はユダヤ教のキリスト一派として世界宣教活動をしていた。世界  的にキリスト信者が増えるにつれ、イスラエルの民ですら守れなかった律法を他民族に強いるのは過酷として、包容に満ちた契約となる)
・忠実でないものも愛と許しを与える。
・イエスの教えを弟子達が広めた宗教。
・イエスを神の子とする。
キリストの教えをまとめているのだけれど、同じ話を4人の作者からの視点で収められている。故に同じ話が4つある。食い違い部分も面白いっす。
って感じ。

ユダヤ教の神(ヤハウェ)の苛烈さには驚いた。律法に背いた者は次々と殺されている。
ノアの箱船で、神様はもう二度と生命を殺さないと誓ったはずなのに、次のエピソードではこじつけを付けて殺す。
もういいかと、次のエピソードからは前?撤回、殺戮。恐!!
イスラエルの民以外にはもっと厳しい。
なんだか国民性がすごい出ている。短気と直球一本の性格。これがユダヤ教の性格なのでしょう。。故に絶対神であるヤハウェ以外の存在が、「自分はメシアである」と言っても、「はぁ?」と突き放したんだろう。
選ばれた民族意識と、雑種民族宗教を幼いころから刷り込まされていると考えると、宗教対立の原因がなんとなく分かった気がした。

反転、新約聖書はゆるい。
元々死の世界は天国しか考えられていなかったのだけれど、後になって、じゃあ行けなかった人は?との疑問から、真逆の地獄が生み出されたり。
有名な十二使徒がかなり人間的。キリストが神との対話しているときに12弟子は寝てしまっていたり。
ペトロが、キリストが捕まった後に三度も「自分はキリストの弟子じゃない」と言って捕縛の手を逃れていたり。キリストが捕まる瞬間、12の弟子は皆逃げ出していたり。何だかとっても人間的。
でも弟子達の最後が悲惨!!ネロ皇帝の迫害などをうけて、凄まじい死に方をしている。

キリスト教は迫害に無抵抗だったけど、信者を励ます目的で最後におさめられている黙示録を書いたらしい。
内容は簡単にすると以下。
■黙示録
7つの角と7つの目をモタ子羊が7つの災いをもたらす。(戦い、貧欲、飢餓、地震、隕石落下)
7人の天使がラッパをふくと、さらに7つの封印が解かれる。
  1 血の混じった火が地上に降り注ぐ。
  2 燃える山が海に投げ出されて、海上生物と舟が3分の1が死ぬ。
  3 燃える星が落ちて、水が苦くなり、多数死ぬ。
  4 太陽と月、地球の3分の1がが失われる。
  5 星が落ちた穴から現れたイナゴが人を襲う。
  6 人の3分の1を殺す4人の天使がやってくる
  7 審判

そして、7つの天使が神の怒りを注ぎ、世界が終わる。
キリスト殉職者の支配する世界が1000年続く。
サタン光臨するも、神に破れる。新たなエルサレムが降り、再臨したキリストが支配する国が永遠に続く。

こんなの映像化不可能!!イナゴが隕石から出て来るなんて、なんてクリエイティブなんだろう。
聖書が、ここまで爆発的なベストセラーとなっている理由、それは『読み物』としてすんごい面白いということです。
まさに映像化不可能。。。途方もない大河ドラマです。

06.10.11 アース・ダイバー 著者 中沢新一

2006年10月12日 | レビューと僕

友達と先生が読んでいて、卒業制作の趣旨とも近い論点があって、前から読みたかった本。
そもそも僕は昔の古代遺産とか、そーゆーのが好きなタチだったので。。本日は長文です。

『アース・ダイバー』は中沢新一の東京小旅行記です。優れた旅行記がそうであるように、本書も読者を変態的にも興味深い観点からでも旅気分に浸らせてくれます。

土地にはその土地が備え持つ力がある。 だから忌み嫌われる土地があったり、ここに住むと変になるとか、自殺の名所があったりします。 今は都会であるこの東京という土地も、縄文時代の土地の記憶が脈々と受け継がれている。
そして今の東京は偶然今の形状になったわけではなく、全ては太古の土地風土が決定していた、という趣旨。

そして東京中にその不思議な深淵をのぞき込めるスポットがいくらでも残されているという。皇居、明治神宮、代官山の古墳群、六本木ヒルズ、東京タワー。面白い。
無理なく東京が全く違った都市に見えて来た。。。今度東京に行く時にはこの本を持って出かけよう。

でも途中、中沢新一自体は相当なヘンタイだな、と思わせる箇所が満載です。

あと、先生が押している「洪積層・沖積層」理論ですが、端的にまとめると
洪積層=乾いた土地、高級、財産。
沖積層=湿った土地、情欲、エロ。
という感じ。例えば新宿などは 高地のほうには伊勢丹などの高級デパート群があって、 低地のほうには歌舞伎町の風俗街がある、というような説明です。え??そんな単純な…

そして人って昔から性欲しかないのか、と思わせるほど性のからみ話が多すぎました。ドンビキします。

以下、おもろかったところ。

東京タワー
50年前に朝鮮戦争で使えなくなった米軍戦車が搬入されて、それを解体して東京タワーの鉄として使われた。
もともと東京タワーのある芝公園は、古墳である。 さらに東京大空襲で人が死んだ。 また、東京タワーに行くためにはどの方角から目指しても墓地がある。増上寺や延々と続く地蔵様。。。 そして東京タワーの足下には南極観測隊に置き去りにされたかあわいそうなカラフト犬達の象がたっている。そして中にはマダムタッソー人形館があって拷問やギロチンの風景がある。
東京タワーは電波塔である。もともと昔から電波っていう目に見えない情報は死霊とも考えられていたそうな。
げえ!!なんとも呪われたシャーマン塔!!

東京タワーを立てる上で意識されたのはエッフェル塔であることは言うまでもない。んで、エッフェル塔の方もパリ万博を記念して廃兵院前に作られた。
 
まさしく死霊の大国の地下に、死者に支えられるようにして戦車をつぶした鉄材がつきささる。呪われてますねぇ感100%です。


 秋葉原
秋葉原は「あきはばら」と呼ぶのではなく、『あきばはら』と読むのが正かった。明治の初期に大きな火よけ地よしてつくられ、そこに火防で知られる秋葉権現 (三尺坊とも呼ばれている。身長が1メートルも満たない火をコントロールできる超能力あり。)がまつられたため、秋葉様の原っぱという意味でつけられた。

火は昔、世界を変えるポジティブな意味があたらしい。火事が起きてそれまで裕福だった人達が地震で財産をなくすかたわら、貧乏だった連中が木材の買い付けや建設ラッシュでもうける、といった具合。

戦後に誕生した新興宗教の教祖がラジオ商をいとなんでいた。 ここで「たましい」と「電波」との興味深い関係が示されている。目に見えない空間を飛び交う電子が遠く離れた意味ありげなメッセージを送る事から、しだいに霊的な実存を信ずるようになったのではないか、とのことです。

そんなラジオ商が戦後秋葉原に集って来て、小さな部品やが所狭しと並んできた。そして電子の聖地として今に至る。

ところが電子の築いた内面的空間が次第に想像力や生活様式まで浸透して来ると、それだけで自律をしはじめる。それがオタクとなった。
(ちなみに”オタク”の由来は、80年代の人気アニメ「マクロス」の主役が、人を呼ぶ言い方を”君”や”あなた”ではなく、”お宅”って言っていたことから始まるそうです。そこからアニメファンが使うようになっていつの間にか違う意味になったとか。)

銀座
江戸時代、幕府は職人の工房と生産拠点としての街を作って管理するという計画があった。そのころ職人は座という組合を作って自分達の権利を守ろうとしていた。横のネットワークを作る事で、新参者の勝手を許さないようにするなどをしていた。

銀を吹いたり加工する職人の作る「銀座」があった。 銀職人たちは独特であざやかな婆娑羅な感覚が育っていた。
婆娑羅とは、墓地や処刑所での仕事をしていた人達のこと。
世間が恐れて着ないあでやかな色彩を身につけ人間のきるものとは思えないデザインで人々の目を圧倒した。

死霊の支配する世界に住むと言うのは人間が限りない自由を手に入れるということからきている。 誰も見た事がない色彩やデザインを着るということは自由の心を持っているひとでなければできない。そのためには自由=死に近づいていかなければならない。(青山にファッションブランド拠点がたちならぶのも土地柄に関係している)

金属職人の異様におしゃれな姿はたちまち江戸中にブームとなった。羽織を極端に短く着こなすというもの。裾を極端に長くしてかかとぎりぎりだった。(番長スタイルだ! )
そんな銀座はおだやかな農村感覚ではなく、荒々しくあでやかな金属職人が作ったキレイで造形的な都市として発展して行った。そうい意味でも、「高級さ」の幻想をかき立てやすい条件があった。

ところが明治に大火災にあって、官僚たちが、横浜からの鉄道で降り立った外人のための東京の表玄関にしようと、レンガ作りのモダンな街並をつくる計画があがった。 「高級」さが残る建物や商店が立ち並ぶようになった。


地下鉄
作者は地下鉄乗るとたまらなく興奮するらしい。
地下を走るチューブの中のその周りは地球の熱いドグマの血液が脈打っているのである。 地上にいて、足下を地下鉄が走り抜けて行く振動を感じるたびに東京が性的快感にふるえているかのように思えるんだって。…変態的です。

天皇

歴代天皇たちは皇居の森に行き、ときどき森に身を潜めて何日も籠る。 森の奥に行って、森の霊的なパワーを身につけるのである。平地のくらしているうつに衰えてしまった天皇霊パワーを死霊の領域である深い森に籠る事で復活しようとしていた。実際に皇位継承権をめぐるとにしばしば形成逆転を狙って森に行ったり。特別な時にしかしなかったそうな。 ところが近代天皇は、東京のど真ん中に森を作り、年がら年中そこに住んでいる。
東京のど真ん中が森、という都市もシュールです。
パリなど近代都市は、都市の真ん中に権威の象徴として城がそびえ立つもんなのに、東京は霊的な森!。。


日本人は幽霊が遺伝子レベルから寄り添って好きなんですねぇ。

06.09.16 死にカタログ と お寿司

2006年09月16日 | レビューと僕
寄藤分平のイラストが良い!!『死』というテーマを扱うにあたって、彼のほんわかとした素直な文と柔らかい線で描かれた繊細なイラストと薄黄緑色のカラーが、暗く深刻になりそうなテーマを明るくしている。
本書では筆者が「死」を考え始めるきっかけや、考えている過程や、調べて分かった各国の「死」についての考え方や、有名な人物にスポットをあてた「人生」のストーリー、データから見た「死」。などが順を追って書かれている。最後の章で筆者が出した「死」の答えとは…?

まるで筆者と一緒に「死」についての番組を見ているかのよう。
ただ「死」を明るいイメージで書きました、ってだけの本ではなかったです。実は深いっ。装丁もとてもきれい。

ちょっと面白かったところを抜き出します。

・ジプシーの人達は死ぬと存在そのものを「なかったこと」にする人達がいた。死んだ人の名前や思い出も口にしないのはもちろん、遺品も残しません。

・日本の映画配給収入ランキング20位の中で人が死ぬ映画の比率は、約9割!子供映画以外ほとんどらしい。。。
さらにその5割は、大量に死ぬ映画。
インドやイランで作られる映画では、人が死ぬような映画はメッタになく、人が死なない先進国での映画はこのように死にまくります。人が死なない国では、現実の死を考える機会がないかわりに、死にまつわる物語を通して、死を考えようとしているのかも。

です。あといっぱいあるんですけど、筆者のイラストがないと良さが伝わらないので書けません。

あと、今日、母方の先週手術から退院したばあちゃんと、母方の弟さんが、退院祝いとしてうちに来ました。おじさんは、実は僕の内定先の、グループ会社につとめる人です。(いや、全然コネなんかじゃないです。)やる仕事はあまりに違うんで、まず合うことはないんですが、なんとなく上司??な気分。なぜか緊張しました。
やー、寿司ってうまいなぁ

06.09.08 10年後の日本 著者 「日本の論点」編集部編

2006年09月09日 | レビューと僕
83年、未来の世界像を打ち立てた映画があった。リドリー・スコット監督、最盛期のハリソン・フォード主演の『ブレードランナー』。この作中の2020年は絶えず酸性雨が降り注ぐ薄暗い世界。シド・ミートがデザインした未来のどんゾコ描写世界観は、『暗い未来』というSF設定において多大な影響を与えたものでした。。
が、この本につまっているものはそれ以上にお先真っ暗だった。

近未来の日本を襲う47の大問題。「下流社会」から「ひきこもり」「年金崩壊」「東京直下型大地震」から「北朝鮮」「団塊世代の大量定年」「500万人のフリーター」問題まで多岐にわたって解説してくれています。誰が読んでも説得力があるのでブルーになること必至。

なんとなく生活していて、なんとなくニュース見ていて、なんとなく数年後って「やばそう」と思っていたことが、説得力ある分かりやすいお言葉でいっぱい解説されていた。ヤバ目に拍車をかけたのが、それら問題点についての打開策が提示されていなかったこと。お国の発表したデータなどを元に事実を書いているので、今の所解決案がないと判断してよいのでしょう。
素直な読書感想としては、「やばいじゃん。」


以下、気になった箇所をまとめます。
『階級社会』 
現時点でフリーターの増加で20~24歳の収入の格差が広がっている。あと何年もしないうちうにこれら格差が全年代に行き届くと、格差階級社会の到来である。強者に育てられた子供は強者へ、弱者に育てられた子供は弱者にならざるをえない。
問題なのは夫婦ともにフリーター世帯の増加。生活基盤が弱く、将来の収入増が見込めないのに「できちゃった婚」ケースが多い。このままいけば親子二世代フリーター世帯が日本の底辺を占める事になる。

『団塊世代退職』
2015年には65歳以上の高齢者が3277万人になる。そのうち700万人が団塊世代。2010年には彼らの大量リタイアにより16兆円もの国内総生産を失う。700万人もいるので、退職金でつぶれる会社は少なくはない。
これまで生産管理をしていたベテランが去ると自己やミスが続出する。ノウハウの継承問題もある。三菱ふそうの脱輪なども。

『ひきこもりの高齢化』
「6ヶ月以上家にひきこもって、会社や学校に行かず家族以外との親密な対人関係がない状態」を定義としているんだとか。100万世帯が苦しんでいる。
ひきこもりの年齢は20~30代が全体の60%。最高年齢の47歳を頂点に90%が成人だ。このまま続くと、親が高齢化したひきこもりたちの収入はどうなるのだろうか。

『日本地震列島』
30年以内に関東大震災が来る。マグニチュード7クラスの直下型が来たら、死者13000人、700万人の避難者、650万人の帰宅困難者。建物の全壊は85万棟。それらの直接被害と企業の生産力停止をふまえると、被害額は112兆円。国家予算は82兆円。
また、いつ起きてもおかしくない東海地震は、37兆円の被害の他に、原子力発電所の被害が入ると、救助にも行けない状態となる。
また、過去の東海地震は東南海地震と南南海地震と連動していた。同時発生した場合、2万8千人もの死者が出る。

『エネルギー危機』
石油は2003年から中国が日本を抜いて石油消費国第二位になった。このまま中国が高度経済成長をばく進したら、アメリカと中国で使い果たしてしまうことになる。
ところが、石油はどうやら無尽蔵にあるのだとか。「30年後に席石油がなくなる」と言い出したのはオイルショックの時代であった。ところが、2003年時でも石油可採年数はあと41年ある。
実は確実にあるとわかっている石油のうち、現在の技術力、経済力で採掘できる量という計算に基づいている。したがって採掘技術向上や、新たな油田の発見があれば増える。

また、石油は元来動物等の化石が蓄積して生成されたと説明されているが、地球内部に大量に存在する炭化水素が地表に向けて上昇して形成されているという説がある。もしそれが本当なら、石油は無尽蔵にある!

『財政破綻』
2005年度の国の借金は781兆円。2010年に返済の満期が来る。
2005年の予算は82兆円だが、税収は44兆円で不足分の34兆円は借金でうめなきゃいけない。借金で借金を返すような構図になっている。最悪やん。
借金が増え、利払額が増えると政策につぎこむ金がなくなる。国内資金が不足し、国民は将来不安から消費をおさえるようになり、個人消費の縮小=経済の低迷になる。

『反日』
反日愛国教育を受けた1万人が目に余るデモをした。中国側はこの問題に黙視している。それは中国のうちなる問題、貧富の格差の拡大、失業といった内政問題に対する民衆の不満のウップンの矛先が、政府に来るのを恐れて、一連の反日を取り締まるより、ガス抜きとして黙認している。

ここに書いてなかったけど、携帯電話の未来はどうなるんでしょうねぇ。もうすぐ動画の時代がくる。それは確か。でもコンテンツは??それをまともに見ていたら時間なんでいくらでもなくなる。10年後のケータイは、もはやパソコンと化しているのかな。。

まぁ、日本の破綻を防ぐのは国民一人一人なのである。そう考えると、僕の浪費癖もお国のためと思えばよろこんで消費しますとも。いっぱい欲しいのがあるんだ☆  どうしよう。。


06.08.24 やばいぜ!デジタル日本  著者 高城剛

2006年08月25日 | レビューと僕
レビューです。
全体的に、デジタルが大好きで、結構認められていて地位のある人が今後10年の日本の一部おれ様的予言書でした。なんだか安直だったが素直な感想だった。世界を旅しているらしいからデジタル分野で鎖国化した日本に憤慨したんだろうなぁ。

本書でずっと語ろうとしている、「スタイル」という言葉。う~ん。ケータイを2個も3個も使いこなしていったり、テレビ見ながら双方向
サービス+ケータイを使った新しいサービスなどって。。。
もはや製造業で日本は中国にシェアを奪われ、日本がシェアをとれる戦場は「新たな文化、ライフスタイル」だと。
元々日本人はコピーをするのがうまい。漢字だってウォークマンだってケータイだって元々は海外産なのだ。コピーして、いいとこ取りをしていく、いわゆる「ハイブリット」が日本が提案する文化やスタイルなんだとか。具体的に言うとガソリン+電気カーのことですな。
確かに日本産世界最先端です。(ガソリン+エタノールもあるが)

僕は思うんですけど、ケータイ電話がたとえ小型pcとなっても、町中でピコピコ操作をしながら歩く姿(スタイル)って”ダサイ”と思いません?
今僕は美大で情報という分野をデザインする科にいて、本書が語る未来のスタイルを模索していくことがデザイナーの仕事になって行くのだと思う。筆者が語るスタイルは技術ありきの技術者が語る未来になりかねない。その危険性は、さきほどのケータイを町中で使う話に例えて尊敬する教授の話を簡単にまじえてみる。

旅専用の情報の道具の提案として、携帯電話とは別に、小型PDAみたいなものを作ったとする。それには旅先で出会った事を記録することができ、現地での情報も手に入る。そのような道具を作るための実証実験をしたそうだ。教授はそれら被験者を10m先で見た時、ヤバいと感じらしい。操作している被験者たちが、まるで水道の検診に来たおばちゃんが持つ機械をおぼろに操作しているように見えたらしい。それダサイでしょう。

まぁ そうしないためのインターフェースが早急に必要なのは確かではあるのだが、筆者の言うスタイルはそれに近い。当然そうならないための研究が行われているのですよ。


とはいえ、結構面白い部分もいっぱいあった。例えば世界的に見るゲーム離れの理由。
「街全体がゲーム化したから」だと答えている。ドラクエでポイントを稼ぐより、アフェリエイトで稼いだ方が面白いのである。よって、人が作り出した世界で遊ぶより自分から情報を配信していった方が有意義だと感じている人が多いはずだ。

記録メディアの普及のポイント。
「コピーしやすい方が勝つ。」LP→CD→DVD→データといった具合に。故にHDかブルーレイどっちかと言われればコピーしやすい方になるって見解。納得。でもせっかく買ったDVDも10年後再生できない世界になってたら嫌だなぁ。。なので僕はHD派です。

最後に、ハイブリット人になるためには少なくとも2つの専門性を掛け合わせる必要性がある。つまり本職と+α。それは趣味を極めるのでもいいし復職でもよい。マルチスペシャリストにならないとこれからの個人で見られる社会で生きれないと。

なるほど。昨日読んだSNSの本で言いたい事がここでも書いてあったわけです。
そのためにツールであるSNSその他を活用し、専門性を自ら増やして行くことが必要なのであると。ヤバい。僕も何か考えねばいけません!!

装丁が原研哉だった。え~~っ 







06.08.23 SNS的仕事術

2006年08月24日 | レビューと僕
レビューです。
今流行のSNSといっても、結局は道具であって、このコミュニケーションツールをうまく利用するのはやっぱり人間しだいってことをずっと書いてあった。
そうなんですよね。 僕もmixiやってるけど日記は書かないから情報発信すらしていない。たまにコメントを書くくらい。
書いて、反応がきて、また対応する。その面白さはわかる。

が、本書が語るほどsnsを頑張りたいとは思わなかった。正直な話、僕はwebが嫌いです。今こうしてブログを書いているのは、道具として便利だからに過ぎません。 なにが嫌いかっていうと、仮想空間上のコミュニケーションに足が立っていないからだと思う。
人に見られる事を前提に物事を書き込む。反応がある。それはそれでいいんだけど、僕は自分のための、記録媒体ツールとして今こうして書いているのです。 日記だったら手帳に書けば他人に見られずにすむじゃんと思うでしょう。 しかしブログにすると、1人でも見に来る人がいるかもしれない。そうするとてきとへなへなに書いた僕の手帳のような内容ではいられないと感じるんです。 ある程度の、公開するという緊張感があるから書いているんです。 公開しているのに見られたくない。でも見られる可能性あるから少しちゃんとする。矛盾しているけど僕にとってなんとなくいまのブログ状態が記録媒体としてベストかなって思う。

要は、これはツールなんだっていう認識。 snsを使って人の輪を広げていって仕事にするのも大いによい。 知り合った人に、名刺代わりにsnsアドレスを教えて、その人がサイトを見ると、僕が考えていることがまるまる分かってしまうわけです。 筆者はこう言っていた。 「sns上の自分のページはいうなればその人個人のポータブルサイト」と。 僕は今までmixiは知り合った人達との近況報告サイトと位置ずけていた。 が、僕はそこまで自分をふか~く知ってもらいたいと思う欲望はそんなにないんだろう。この考えが将来どう響くかは分からないが。。 「ポータブルサイト」と言われてしまうと、なぜか慌ててしまってこのブログを作ったわけだ。確かに。。

筆者はもう一ついいことを言っていた。 「これからは会社*会社の社会でプロジェクトが動くのではなく、個人で見られる社会になる」 なるほど。sns上で近況報告しあい、ある程度の距離感を維持していたら人間関係はよりよい関係へなっているだろう。 だから個人の売りこみというか、自分の強みを言える人になりなさいってこと。それは趣味であったり仕事のことであったりなんでもいい。テーマを決めて、その専門家になるまでやり遂げなさいと。
分かる。分かるよ。 そこを利用して、あのことだったら「○◯さんに頼もう」という発想が生まれる。知り合った中での理想的な人物を活用してプロジェクトを進める。そしてまた知り合う。といったこの連鎖が、筆者がつたえたかったSNS的仕事術であった。ううむ。 僕は時代に乗り遅れてしまったのか…?単純にmixiめんどくさいんですよね…キーボード叩くのも