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ケセラ・イズム

~人生の微分理論~
今が大事,先の事なんて知った事か!

史上最も淫らで魔性って言われると記事にしたくなるよな

2020-06-11 04:39:17 | 歴史浪漫
いやー,

今夜は歴史の記事を書こうかなー

って思い,

ちょっと"11歳"ってワードで検索したんですよ。

そしたら,

 11歳少女が浴槽で出産

 "100回性交した"と供述の17歳親族らを緊急逮捕

なんて記事がいきなりヒットしました笑。

今年2月にアメリカで起きた事件らしいが,

これから書こうとしてる記事を超えないで欲しい笑。



って事で,

今回の主役は

 11歳にして"大人の愛"を知り,

 しかも初体験の相手が実の兄

と噂され,
(どこまでが真実かは不明)

フランス史で"最も淫らな王妃"と呼ばれる,



マルグリット・ド・ヴァロワ。
(デュマの小説『王妃マルゴ』でも知られている)

フランス国王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスとの間の娘ですね。

1番上の兄は,

後の国王フランソワ2世であり,

その王妃がスコットランド女王メアリー・スチュアート。


さて,

アンリ2世が馬上槍試合中の不幸な事故によって命を落とし,

息子のフランソワ2世が国王として即位したとき,

カトリーヌは得も言われぬ不安にとらわれていました。

そして,

占い師に託宣を仰ぎます。

すると,

 息子達全員が玉座につくであろう

との事。

この時点では,

フランソワ2世を含め4人の息子が健在でした。

そうなると,

 各地の国王の座を息子達が独占し,

 かのハプスブルク家にも匹敵する領土拡大が見込まれるのでは?

と期待される。

しかし,

その結果は…。

少しはずれ,

大部分が当たりって感じ。

ただし,

悪い方向に当たった。

と言うのも,

四男だけは国王となる前に病死してしまったが,

他の3人はフランス国王になるんです。

つまり,

それぞれ世継ぎを残さないで死んでいき,

同じ王冠を順番に手渡していくだけの不毛な事態と相成ったってわけ。


まず,

病弱だったフランソワ2世は在位1年たらずで病死。



跡を襲ったのは,

10歳のシャルル9世です。



当然,

母カトリーヌが摂政として全権を握る。



夫アンリ2世が健在の頃は,

公式寵姫ディアーヌ・ド・ポアチエ(愛人の筆頭)の後ろに立たされ,

長男フランソワ2世の治世では,

王妃かつスコットランド女王であるメアリーが光り輝いていた。

日陰を歩んできたカトリーヌにとっては,

この摂政時代が人生の絶頂だったんですね。


しかし,

この頃のフランスは,

最悪の宗教内乱へと突入していました。

カトリック対プロテスタントの,

血で血を洗うユグノー戦争。

カトリーヌは,

ユグノー(カルヴァン派プロテスタント)の首領であるブルボン家のアンリを懐柔する目的で,

娘のマルグリットを花嫁として差し出します。
(ようやく主役の登場…)

ただ,

マルグリットは嫌で仕方なかったみたい。

すでに数々の浮名を流し,

ルーブル宮殿の廊下でもヤッてる最中を目撃されているほどの彼女でしたが,

相手が誰でもいいわけではない。

このブルボン家のアンリ,



容姿が田舎者めいているだけでなく,

体臭が死ぬほどきつかったんだとか笑。

結婚式の途中,

司祭からの

 アンリとの結婚を認めるか

って問いかけにもすぐには返答できません。

んで,

業を煮やした兄シャルル9世にどつかれ,

彼女が頷いたように見えて儀式が続行されたらしい笑。

それはそうと,

この2人の結婚を祝福するため,

パリには各地から大勢のプロテスタントが集まっていました。

そして,

1572年8月24日,

1発の銃声が引き金となり,カトリックの憎悪が噴出する。

群衆がプロテスタントに襲い掛かり,

無差別な殺戮が始まったんです。

死者は3,000人を超え,

パリは死体の山,

セーヌ川は血で赤く染まりました。

いわゆる「聖バルテルミーの虐殺」ですね。



もちろんの事,黒幕はカトリーヌって噂。

王宮のバルコニーから,

この異様な光景を目撃していたシャルル9世は,

その2年後に結核で身罷ります。
(後悔に苛まれ体調を崩したって説もある)

事件後,ブルボン家のアンリは,

ユグノーの指導者に返り咲く事を恐れられ,

無理やりカトリックに改宗されられた上で幽閉の憂き目に…。

ちなみに,

アンリとマルグリットって言う新婚夫婦ですが,

やはり反りが合わず,

互いに愛人を持ちます。

マルグリットの回想の中に,

 私が夫に嫉妬していたと思われるのは心外

って主張が繰り返し出てくるんだとか笑。

よほどアンリに対して男性的な魅力を感じていなかったんだね。

体臭って大事…笑。


ところで,

シャルル9世の後は,

弟のアンリ3世です。
(ん?名前のレパートリーの少なさ…笑)



マルグリットの初体験の相手と噂される人物。

シスコンぶりではこちらで紹介したチェーザレ・ボルジアといい勝負かも笑。
(今は消滅してる記事です)

ただ,

女性には興味がないって噂もあって,
(少なくともバイは確定か?笑)

母カトリーヌには頭痛の種でした。

何しろ,

その頃には四男であるアンジュー公フランソワは死んでおり,
(だから名前のレパートリー…笑)

ヴァロワ家の最後の1人だったから…。

政略結婚による妻も放りっぱなしだったし,

母親が用立てた数々の美女にも無関心。

世継ぎが生まれる気配は皆無でした。


そうこうしているうちに宗教内乱は激化。

ブルボン家のアンリは幽閉から脱出し,

再びプロテスタントに改宗して反旗を翻すし,

名門貴族であるギーズ家のアンリも王権を狙って挙兵。
(ギーズ家はメアリー・スチュアートの母親の実家)

いわゆる「三アンリの戦い」と呼ばれる王位継承戦争にまで発展したってわけ。
(もはや名前のレパートリーの少なさを自ら茶化している笑)

初めは同じカトリックであるヴァロワ家のアンリ3世とギーズ家のアンリが結託し,

ブルボン家のアンリを圧倒してたんだけど,

実戦で勝利したギーズ家のアンリに国民の人気が集中し,

本人も王冠への興味を隠さなくなったので,

アンリ3世が独断で彼を暗殺させてしまう。

そんな中,

70歳を目前にカトリーヌが亡くなります。

まさに王朝の末期って感じでしたが,

なんとか最後の息子の死を見ずに済んだのが幸いかな。

母の死の7か月後,

アンリ3世のもとに1人の修道士が現れます。

重大な話を持ってきたって理由による謁見だったが,

その懐から出てきたのは親書ではなく短剣。

これによってヴァロワ家が断絶するってわけ。


漁夫の利を得たのがブルボン家のアンリですね。

フランス国王アンリ4世の誕生。

そして,

マルグリットはフランスの王妃となるわけなんだけれど,

実は彼女は数年前から幽閉されているんです。

理由は"不品行"つまり男性問題…笑。

エピソードには事欠かないんだが,

有名なのはラ・モール伯爵との熱愛。

彼女にとっては最愛の恋人と言うべき相手だったみたいだけれど,

政治闘争に巻き込まれて斬首刑に処されてしまう。

その上,

彼の遺体は引き裂かれてパリで晒しものに…。

このとき,

マルグリットは夜の闇に紛れて,

街角から伯爵の首を持ち去り,

冷たくなった彼の唇に接吻。



自らの手でモンマルトルの墓地のを掘り,

埋葬してあげたとの事。

ただ,

そのラ・モール伯爵ですら,

彼女にとっては数ある恋人の1人に過ぎず,

1週間後には従者の少年を押し倒していたって言うんだから恐れ入る笑。


さて,

フランス国王となったアンリ4世でしたが,

前途は多難でした。

自分を国王と認めるのは,

国内の一部のプロテスタントだけだったんだから…。

武力によってカトリック勢力を虱潰しにしていくしかなかった。

しかも,

それが終わっても,

フランスにプロテスタントの国王が誕生する事を快く思わない,

スペイン国王フェリペ2世が立ちはだかる。

イギリスの支援により,

何とかコレも撃退したものの,

国内平定のためにはカトリックへの改宗が必要と判断します。

まさに"宙返りのアンリ"の面目躍如。

プロテスタント→カトリック→プロテスタント→カトリック,

目まぐるしい改宗の嵐。

ただ,

「ナントの勅令」を出し,

信仰の自由を認めて,

宗教内乱を終結させたので,

国民の人気はめっちゃ高い。

いや,

それ以上に愛人が山ほどいたって言うのが人気の理由かも。
(50人以上らしい笑)

フランス人的には,

我らが国王は男らしく,

女性にもてて欲しいんだとか笑。
(不倫スキャンダルなどでゴダゴダ言わない)

そうなると邪魔なのは王妃マルグリット。
(世継ぎも生まないし…)

当時,すでに影響力の弱かったローマ教皇へ圧力をかけ,

結婚の無効を認めさせます。
(カトリックでは離婚ってシステムがない)

マルグリットの方も年金を貰えるって条件で納得。
(激臭夫と別れられて金まで貰えるんだから笑)

晴れて独身の身となったアンリ4世の次の妃は?

長年の戦争と国内平定のための買収により金欠気味だった彼にとって,

必要なのは持参金。

と言うわけで,

あのカトリーヌと同じフィレンツェの大富豪メディチ家より,

マリー・ド・メディシスが嫁いできたってわけ。



ちなみに,

結婚の翌年には待望の王太子も生まれます。

後のルイ13世。

ブルボン王朝は安泰ですね。

その後,

怒涛のルイが続くのは周知だと思う。
(ルイ13世,ルイ14世,ルイ15世,ルイ16世→ギロチン)


一方,

30年を超える幽閉生活からマルグリットが解放されたのは,

王太子誕生よりも後。

ただ,

幽閉中も城中の男達を身分に関係なく篭絡していて,

好きなように使っていたらしいので,

そんなに悪い生活ではなかったって話だが…笑。

当然,

解放後も多くの男と情事を重ねましたが,

"運命の恋"と呼べるようなものは最後までなく,

子供も生まれる事はありませんでした。

62歳で亡くなった後,

その莫大な遺産は義理の息子であるルイ13世に相続させたらしい…。
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