雑然としている私の本の中から古い同人雑誌を探していたら、大学時代のクラス雑誌も見つかった。「die Jugenden」ドイツ語で「青年達」、「若者達」ということなのだろう。
私たちのクラスはドイツ語が第二外国語であった。
あちこちのクラスでクラス雑誌が作られていた。私たちのクラスでも面倒見の良い何人かが編集委員になって作ってくれた。他のクラスのクラス雑誌も見せてもらって楽しむこともあった。
大学に入ってまだ1年経過しないのにこの「die Jugenden」は2号まで出ていたようだ。これが2号目だ。1号はどこかにあるはずなのだが見つからない。
どのような投稿があるのか、目次をゆっくりと見てみた。
目次
1.価値基準の根底となるもの ・・・・・ MS
2.芸術と時間 ・・・・・ NM
3.19世紀に於ける中国経済現象 ・・・・・ OK
4.シュトルムについての雑感 ・・・・・ SM
5.善太郎蛍雪の記 ・・・・・ 匿名
6.演技ノートから ・・・・・ TM
7.三四郎池の思い出 ・・・・・ YK
8.入学から闇屋まで ・・・・・ FF
9.ある会話 ・・・・・ YI
10.ある夜の夢 ・・・・・ KH
11.憶良 ・・・・・ 匿名
△ 祈り ・・・・・ IC
△ 俳句 ・・・・・ FT
△ 不思議な事 ・・・・・ KT
△ 相撲 ・・・・・ OK
K祭(学生祭)特集
・K祭をどのようにみたか
・反省
・問題は発展する
表紙 ・・・・・・IK
表紙を書いたIKさんと「三四郎池の思い出」を書いているYKさんは女子学生である。
もう一人おられた女子学生のSAさんは何故かこの号には寄稿しておられない。
私SMは厚かましくも「シュトルムについての雑感」を書いている。
IKさんは私の2月18日のこのブログ「米国イサカからのお便り」で書いたIさんである。
今も米国コーネル大学で教鞭をとっておられる。
趣味で油絵を描いておられた。わら半紙にガリ版ずり(但し専門業者の手による)のこのクラス 雑誌には油絵の表紙というわけには行かなかったのだろう。
「演技ノートから」を書いたTM君は昨年、私と一緒に元気にクラス会の幹事をしたのに、昨年な かばに急になくなった。彼は学生時代は演劇研究会に属していた。
4月23日の私のブログ#68「K君の最後のリサイタル」で書いたKK君は、編集委員の一人 として、編集後記で集金状況が順調だったと書いている。一人60円あてで集めたようだ。
TM君とKK君のご冥福をお祈りしたい。
この雑誌が出たのが昭和31年(1956年)の1月のようだ。その頃19歳から20歳の若者達 は今は古希を迎えようとしている。まさにTime fliesである。
* 画像:die Jugenden 第2号 1956年1月発行 全86ページ
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