この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#74 随想15「I家の人々」Ⅱ(理科クラブ)

2005年04月30日 | 随想

(#73からつづく)私達は「理科クラブ」の一員としてI家を訪問したのだった。理科クラブとは聞きなれない言葉であろう。説明を要する。

私達の大学の教養学部(前期2年は全員が教養学部に所属した。)では学生部がいろいろと骨を折って学生の生活ををサポートしてくれていた。早野先生と西村秀夫先生、大場先生という立派な先生方が学生部を指導管理しておられた。勿論学生部は学生に家庭教師の斡旋もしていたが、この先生方はそれ以外に新しい種類の学生アルバイトを学生と一緒に開発して行った。

単なる家庭教師にとどまらず小学生に実地を通じて一緒に楽しく理科の知識を取得させようという考えから西村先生が考えついたもののようだ。学生部に「たむろ」する学生の中で理科に興味を持つ学生がこれに呼応して「理科クラブ」というのが作られた。
西村先生の小学生のお嬢さんとその友達を対象にした「駒場クラブ」、早野先生の小学生のお嬢さんとその友達を対象とした「吉祥寺クラブ」2つの理科クラブができた。それぞれ早野先生のご夫人、西村先生のご夫人が自宅を開放して献身的に協力された。

しばらくして、これが意義のある企画だということで朝日新聞に報道された。

この朝日新聞の記事を読んで、ご子息の小学校の同級生の母親達と連絡をとり早速私達の大学に電話
をしてきたのがI夫人であった。

早速、「荻窪Aクラブ」が出来た。杉並区神明町 今の南荻窪。

そのころから杉並区は教育熱心なお母さん方のいる地域。このあとすぐに「荻窪Bクラブ」と「荻窪Cクラブ」が出来上がって行く。

私は「荻窪Aクラブ」の所属ということになり、仲間とI家でI夫人のお世話になりながら子供達との楽しい作業が始まった。

私達は、子供達と近くにある大きな楠の木をみつけ、蝶の卵のついた葉をとって来た。子供達はそれをそれぞれの虫かごに入れた。子供達は小学校の4年生だった。3年生が一人いただろうか。是非仲間に入れて欲しいというお母さんがいて、特別にI夫人に頼みこんでグループに入れてもらったようだ。
子供達はそれを家に持って帰った。毎日観察し日記をつけた。

毎週一度土曜日の午後、子供達がその虫かごを持ってI家に集まる。わいわいがやがや、じゃれあったり相撲をとり始める子供達もいる。

子供達の虫かごの中はやがて、卵は幼虫に変る、そしてこれがさなぎになり、やがてある日突然に羽化して見事に美しいアゲハ蝶に変ったときの子供達の興奮、感激。我々学生まで嬉しくなった。

ここまで書くともうご推察がつくだろう。昨日、私達夫婦を訪ねて来てくれたロマンスグレイの紳士は、この時の小学4年の子供の一人だ。I夫人のご子息である。(つづく)


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