原題は「アーシャ」というこの作品を、訳者の米川正夫は特に「片恋」という題に改題している。
私は、この作品を高校生の頃読んで感激した。
何に感激したのだろう。
おかしな話であるが、女性が激しく人を好きになる。そういうことがあるとは、その頃の私の考えにはなかった。女性は静かなもの。激しい感情は持たないもの。というような概念を高校生のときに私は持っていた。
まだ少女といっていいような年令のアーシャは、旅行先で兄のガーギンがたまたま付き合うようになった友人(私)を好きになるのである。ガーギンも「私」もロシア人の若者であり、ヨーロッパを旅行しておりその時ドイツに滞在している。ガーギンは妹と称するアーシャを連れて旅行している。「私」はアーシャが本当のガーギンの妹かどうかについて若干の疑いを持っていた。
実はアーシャはガーギンの亡き父が召使の女に産ませた子供で、ガーギンにとっては母ちがいの妹であった。ガーギンの母親はガーギンが小さい時に亡くなっていた。
ガーギンは、極めて賢いアーシャの母親を正妻にしようとしたのだが、アーシャの母親はそれを固辞して召使のままでいたようだ。
アーシャは母に似てとても賢い女の子であるが、そのような経歴も意識してかとても激しい気性の女の子であった。
アーシャは「私」を好きになる。「私」もアーシャが好きである。
アーシャは自分が「私」を好きになったということを自覚し、「私」にその気持ちを打明けようとする。
アーシャが会ってほしいという伝言にしたがって、「私」はアーシャのところに行く。
恋のために熱病のような状態になったアーシャが「私」に愛を告白しようとする。
しかし、「私」は急に冷静になり、冷静に対応する。それはアーシャを失望させる。
アーシャは兄のガーギンにせまり、「私」の知らない間にその土地を出発して「私」の知らないどこかに消えてしまう。
「私」は一時はほっとしたような気持ちになるが、やがて自分がアーシャを強く愛していたことに気づく。
しかしその時にはもうガーギンやアーシャの消息はつかめなくなってしまっている。
それから時間がたって「私」は今一人身のままで晩年を送っている。
そして「私」は自分の人生で会った最高の女性としてアーシャを追憶している。
以上があらすじである。
私は、高校生か大学の初年度のころの初夏にこの作品を読んで感激した。文豪ツルゲーネフの筆力にもよるのであろうがアーシャの様子は何度もくりかえし読んだものである。
今、またこの本を読んでいても昔読んだときと同じ感慨をもつ。
そして、昔読んだときには、どうなるかわからない自分のこれからの人生に思いを致しながら読んだのであるが、今は、ああなるほどと思いながら自分の人生をふりかえりながら読んでいるのである。
そして私はこの作品の中の晩年の「私」と同じ気持ちで読んでいるのに気づくのである。
画像:ツルゲーネフ「片恋・ファウスト」米川正夫訳 新潮文庫 全174ページ
私は、この作品を高校生の頃読んで感激した。
何に感激したのだろう。
おかしな話であるが、女性が激しく人を好きになる。そういうことがあるとは、その頃の私の考えにはなかった。女性は静かなもの。激しい感情は持たないもの。というような概念を高校生のときに私は持っていた。
まだ少女といっていいような年令のアーシャは、旅行先で兄のガーギンがたまたま付き合うようになった友人(私)を好きになるのである。ガーギンも「私」もロシア人の若者であり、ヨーロッパを旅行しておりその時ドイツに滞在している。ガーギンは妹と称するアーシャを連れて旅行している。「私」はアーシャが本当のガーギンの妹かどうかについて若干の疑いを持っていた。
実はアーシャはガーギンの亡き父が召使の女に産ませた子供で、ガーギンにとっては母ちがいの妹であった。ガーギンの母親はガーギンが小さい時に亡くなっていた。
ガーギンは、極めて賢いアーシャの母親を正妻にしようとしたのだが、アーシャの母親はそれを固辞して召使のままでいたようだ。
アーシャは母に似てとても賢い女の子であるが、そのような経歴も意識してかとても激しい気性の女の子であった。
アーシャは「私」を好きになる。「私」もアーシャが好きである。
アーシャは自分が「私」を好きになったということを自覚し、「私」にその気持ちを打明けようとする。
アーシャが会ってほしいという伝言にしたがって、「私」はアーシャのところに行く。
恋のために熱病のような状態になったアーシャが「私」に愛を告白しようとする。
しかし、「私」は急に冷静になり、冷静に対応する。それはアーシャを失望させる。
アーシャは兄のガーギンにせまり、「私」の知らない間にその土地を出発して「私」の知らないどこかに消えてしまう。
「私」は一時はほっとしたような気持ちになるが、やがて自分がアーシャを強く愛していたことに気づく。
しかしその時にはもうガーギンやアーシャの消息はつかめなくなってしまっている。
それから時間がたって「私」は今一人身のままで晩年を送っている。
そして「私」は自分の人生で会った最高の女性としてアーシャを追憶している。
以上があらすじである。
私は、高校生か大学の初年度のころの初夏にこの作品を読んで感激した。文豪ツルゲーネフの筆力にもよるのであろうがアーシャの様子は何度もくりかえし読んだものである。
今、またこの本を読んでいても昔読んだときと同じ感慨をもつ。
そして、昔読んだときには、どうなるかわからない自分のこれからの人生に思いを致しながら読んだのであるが、今は、ああなるほどと思いながら自分の人生をふりかえりながら読んでいるのである。
そして私はこの作品の中の晩年の「私」と同じ気持ちで読んでいるのに気づくのである。
画像:ツルゲーネフ「片恋・ファウスト」米川正夫訳 新潮文庫 全174ページ