何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

グリーフケア グリーフカウンセリングに参加してみた その二

2016年04月18日 | 何故死んでしまったの


きょう、二度目のグリーフカウンセリングに行って来た。

前夜、祥一郎の法要のことで友人に相談をしながら、飲み慣れない酒をしたたかに飲んだため、かなり変な酔い方をし、友人に身体を支えられながら駅に向かってなんとか部屋に辿りつき、そのままぐったり朝まで伏せっていたので体調はかなり悪かったが、祥一郎が背中を押してくれたこのカウンセリングだと信じているので、今回も参加した。

テーマは、①伴侶が亡くなってから葬儀の前後で強く印象に残っていること、②伴侶の死の否認について。

① については、前回のカウンセリングで、葬儀は行われずいきなり火葬の運びとなってしまったことは話してあるので、それを踏まえてスタッフから質問が有った。

「けいさんはパートナー様のご葬儀が無かったと言われていましたが、なにか印象に残っていることはありますか?」

この質問には、祥一郎が亡くなった直後だったので、私自身が精神的に錯乱状態であり、父親とゆっくり話をする余裕も時間も無く、ましてや質問するような雰囲気でもなく、なぜ葬儀をしないのかと落着いて問答するような状態ではなかったこと。
その後父親に連絡する必要が有り、一度実家にお邪魔して、祥一郎と私の20数年の暮らしぶりや、どんな結びつきがあったのか話をさせて欲しいと提案したが、父親からやんわり断られたこと。

実家の方で遺影を作り、それを私に送ってくれた上、墓の場所も知らせてくれたこと、しかし葬儀をしなかったのはひょっとして(以前の日記にも書いたが)私達の関係を公にしたくなかったのではないか、恥だと思っているのではないか、そんな疑心暗鬼が私の方にあり、どうにも父親の本心が図りかねること、父親の二つの行動に整合性が無いこと等を話した。

② の伴侶の死について。

「どうですか、パートナー様の死はけいさんの中で、どのような受け止め方をされていますか?」
との質問については、

この質問には当然ながら、「まだまだ、まったく祥一郎の死は自分の中では受け入れられていません。」
と答えた。
仏壇に遺骨を置き、お供えをし、線香も上げ、毎朝飲んでいた飲みものも供えるという、死者に対する行動をとってはいるが、彼の死を受け入れたとはとても言い難く、遺影は仏壇には置かず、いつも自分の傍に、寝る時も枕元に置いていること、遺影に話しかけ、遺品も殆ど手付かずで、寧ろ遺品に囲まれて過ごす方向に動いていること、祥一郎が食べかけた食物まで冷凍して保存してあること等を話した。

あいつがスプーンでなぞった痕があるジャムや、使いかけのプロテイン、レトルトのハンバーグ等も冷凍していると告白したときは、少々他の参加者から笑い声も出た。変な意味では無く、気持ちが分かるという意味の笑いだったのだろう。

前回と同じく、話しながら涙声になり、感極まってしまいそうになりながらの質疑応答だった。



今回主催者側の言葉で印象に残った言葉は、

「伴侶の死の受け入れ方は様々で、そして時間がかかることだと思います。そしてその時間の流れ方もそれぞれ違うと思います。しかし例え何年かかっても何らかの形になり、何かが明らかになると思います。明らかになるということは、諦めるに通じます。ネガティブな意味での諦めるではなく、ポジティブな意味での諦めると言う事です。」

という話があった。

果たしてそんな境地に自分が本当に達するのか、今の私には分かるはずも無い。

諦めるどころかますます祥一郎への想いは強く募り、喪失感は巨大になり、孤独な時間が恐ろしいほど心を締めつける今の状況をどうにも変えようがない現実を前に、主催者の言葉は私の心にまだ虚しく響くだけだった

しかし少々の収穫もあった。
もらった冊子の中の記述に、「百万言の慰めの言葉よりも、黙って私の手を握り、抱きしめ、悲しみを可能な限り受け止めてくれる人の方が、何倍もありがたい事なのです。」とあった。

それはそうだと思う。

私には、黙って私の身体を抱きしめ、その胸の中でいつまでも泣かせてくれる人の存在が必要なのかもしれない。

しかしながら、今の私にはそんな人が周囲に存在しない。

そしてたった一人で、この生き地獄のような日々と闘って行かなくてはならないのだ・・・・・。

祥一郎・・・・・・・・おっちゃんの悲しみと苦悩はこれからも続くよ・・・・・・。

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