何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

グリーフケア グリーフカウンセリングに参加してみた

2016年04月09日 | 菩提を弔う

先日の土曜日のオフの日、遅く起きていつものごとく孤独感に苛まれながら過ごしているとき、ふと一カ月程前にネットで検索したグリーフケアの団体に問い合わせたことを思い出した。

グリーフケア・・・・要するに伴侶や肉親を亡くした人達が集まって自分の経験を告白し合い、段階を踏んで悲しみを忘れないまでも、人生の中で昇華していく方法を見つけることらしい。今回は伴侶を亡くした人に特化した集まりだった。

問い合わせたものの、実際に参加すること自体は迷っていたんだが、ふと当日になって思い出した。
開始は13時から。時計を見ると10時だ。まだ間に合う。一応当日飛び入り参加が可能かどうか問い合わせたところ可能だとのこと。

その日も何も予定が無かったし、長い悲しみに満ちた一日をどう過ごすか呆然自失していたので、意を決して参加する事にした。

東京のとある私鉄沿線の駅に降り、会場につくともうほぼメンバーが集まっていた。

主催者側が5人ほどと、今回参加したメンバーが9人。9人の内女性が7人で男性は私ともう一人だけだった。

年齢はまちまちだが、概ね40代前半から60代後半くらいまでか。

今回は第1回目ということで、それぞれの伴侶を亡くした経緯や原因、今の心境を告白した。まあ自己紹介代わりのようなものか。

それに対して主催者が二、三質問するという形式、

当然ながら伴侶を亡くしたシュチュエーションはそれぞれ違っていて、入院闘病を経験した人も居れば、私のように突然予期せぬ形で亡くした方もいた。しかし概ねガンで亡くした方が多かったようだ。

私は最後に発言したが、涙声であまり冷静に話せたとは言えない。

それでもその後はやや落ち着いて、質問することもできた。

参加メンバーのモチベーションも様々で、積極的に発言して見た目はほぼ立ち直っているように見える人、殆ど最初の告白だけで後は殆ど発言せず、この会に参加して果たしてよかったのか懐疑的になっているのではないかと思われる人、まあ参加するだけ参加してみようという様子見のような人、これもまちまちだったような気がする。

この会の目的としては、月2回開催してそれを合計8回、4ヶ月かけて伴侶の死を受容し、人生の道筋を歩いて行けるようにすることらしい。

月日が経てば経つほど祥一郎を亡くした喪失感が大きくなっていく中で、果たしてこの会に全回参加して私の心がどう変化していくのか、それはまだ未知数だ。毎回参加するかどうかもわからない。

しかし、何かをしていなければ、何かに縋っていなければ、自分の心身が瓦解するかもしれない状態の中で、可能であれば参加を続けてみようと思っている。

その経過と結果はその都度また綴っていくつもりだ。

会が終わって希望者だけで近くのファミレスで、肩の力を抜いた会食会も催された。

そこでは初めての参加で緊張していた雰囲気とは変わって、話題は暗いはずなのだが、ややざっくばらんでそれぞれのメンバーの笑みも見られた。

ひとつ感じたのは、女性の参加メンバーのある意味逞しさだ。

悲しいし辛いのは同じなのだろうが、女性同士、「今度皆で旅行に行きましょうよ。」などとお喋りを楽しんでいる様子が見られた。
もう一人の男性メンバーとも話したのだが、男性同士だと旅行に行こうなどという発想はまず出てこないだろうし、女性同士のように会話もはずまないだろう。せいぜい「今度機会があったら一献やりましょう。」くらいだろう

同じ悲しみを共有する者同士だが、女性同士のお喋りというツールは、こんなとき役立つのかなと思った次第。。


会から貰った資料の中の一文に、自分の愚かさを認識させる文言があった。
「私たちは、伴侶の死という貴い犠牲を払う事で、これまで気づくことの無かった命の大切さや、愛することの大切さに初めて気づいたのではないでしょうか。」

そう、あまりに近くにあまりに当然に傍に居たからこそ気付かなかった。それを認識させられ、改めて愕然としてしまった。

かけがいのない祥一郎の命の大切さと、彼を愛する気持ち。
それを彼が亡くなってから気付くなんて、犠牲はあまりに大きすぎた。

果たしてこのグリーフケアによって、その私の愚かさと自責の念は少しでも小さくなっていくのか、それもまだ分からない。
漆黒の暗闇の中で僅かな光も見えないまでも、進む方向ぐらいは見つけていけるか、少々の期待を持ちたい気持ちはある。

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忘れていたこの会のこと、急に思い出し、行く気になったのは、

祥一郎、お前がきっと「おっちゃん、行くだけ行ってみたら?」と肩をたたいたからなんだね、きっと。

会の最中、耳鳴りがして、お前の存在を感じるような気配がしたのは、あれは気のせいだったのだろうか・・・・・

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