何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

ゲイであることは恥なのか?  私はそれを許さない

2016年04月14日 | LGBT


ゲイであることは、恥なのか。
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祥一郎が亡くなってから、何年も何十年も音信不通だった私の昔の知り合いに連絡を取ることが多い。

勝手なものだ。自分が悲嘆にくれているときだけ、突然連絡するのだから。

しかしそれを止められない。少しでも祥一郎のことを知っている人にこの悲しみ、あいつの無念さを知ってもらいたい、その一念で今でも古い電話帳を引っ張り出しては連絡している。

その中でもう40年も前になる、私が初めてゲイバーで勤めたその店のマスター、今はもう引退した同じ在日コリアンの男性がいる。

祥一郎の顔も知っていて、今回のこの悲劇に心を寄せてくれた。

しかし電話で話した内容の中で、ひとつ慄然とさせられた一言があった。

祥一郎の実家から、未だ墓にお骨を入れたという連絡も戒名をつけたという連絡も無いという話をその元マスターとした。

事実、祥一郎の父親からは、最後に連絡をとった際まだお骨は家に置いたままで、遺品整理も手つかず、勿論戒名もまだという話は聞いた。
暖かい季節になったらぼちぼちやりますから急かさないでください。連絡しますから。という話ではあった。

しかしその元マスターの言った言葉、

「連絡は無いと思うで。だって実家の恥やから。」

そのひとことが、私に突き刺さった。

どこの誰とも知らない人間、それも男と自分の息子が20年以上も一緒に暮らして、そしてその部屋で死んでいった。

それは祥一郎の実家、とりもなおさず父親にしてみたら恥なのだろうか。

以前書いたと思うが、私の方から一度実家にお邪魔して、今までの生活の事、私と祥一郎の共に過ごした人生のことをお話ししたいと提案したことがある。

それはやんわり断られた。加えて、今回のことは親戚一同にも連絡していないという話もしていた。

あれから三ヶ月余りが過ぎた。

未だ父親からは何の連絡も無い。

それも含め、色々な事も考え合わせると件の元マスターの言った通り、祥一郎の父親は、私と祥一郎のことを口外したくない、知られたくないと思っているのだろうか。

葬式も出さなかったのはそれが理由なのだろうか。


もしかしたら、私に連絡せずに身内だけでひっそりと葬式を挙げたのではないか、20数年間自分の息子がどこでどうしていたのか、親類縁者に適当にごまかしているのではないか。

あの最期の日。
火葬場で泣きじゃくっていた私の背中をさすってくれた祥一郎の実の父親の行動は、ポーズだったのだろうか。

弟さんの一言、「俺達よりも長く一緒に暮らした貴方にみとられて、兄もよかったと思います。」
という言葉は、取り繕っただけなのだろうか。

疑心暗鬼は膨らんでいくばかりだ。

長く一緒に暮らしたゲイのカップルと、そのお互いの実家や親類縁者との関係。

今の日本では明らかに複雑で、おいそれと公にできないことは事実だと思う。

しかし、もし祥一郎の父親が私達のことを少しでも恥だと思っているなら、そして話し合う機会があったなら、私はそれに反論し立ち向かうだろう。

そしてこう言うだろう。

「お父さん、確かにそちらにとっては難しい複雑な心境になる事かも知れない。でも、ひとりの人間ともうひとりの人間が、例え同性同士と言えども20数年間苦楽を共にし、家族同然に暮らしたことは消せようのない事実なのです。それは貴方がどう思おうと、事実として厳然としてあったことなのです。
貴方がどう思うかは貴方の自由です。でも、私はこのことに対して卑下も一切しないし、貴方に悪いとも思いません。寧ろ貴方の息子を家族として、かけがえのないパートナーとして、分かち難き伴侶としてこんなにも愛したことを誇りに思っています。」と。

恥だと思うなら思うがいい。

しかし、私達のあの温かく煌めいていた年月を、恥の一言で片づけるのだとしたらそれは自分自身の尊厳が低劣なものだということを思い知るがいい。

祥一郎・・・・・

おっちゃんはお前の父親が、そんな人では無いと祈るよ・・・・・・・



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