何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

クロ・・・・・祥一郎はもう居ないよ・・・・・・

2016年05月17日 | 何故死んでしまったの

あれはまだ前の部屋に住んでいた頃。

大阪から再び祥一郎と二人で東京に舞い戻って来た時だ。

たいそうなボロアパートだったがなんとか住む部屋をみつけ、引っ越しも終り荷ほどきをしている最中だった。

いきなり黒い猫が部屋の中までずかずかと入って来た。

なんとまあ人馴れしている猫かと思ったが、祥一郎も私も猫は嫌いでは無いので、その新居に住み出してからも、クロと名付けたその猫になにくれとなく世話をしていた。

クロは元々野良だったが、どうせ誰かに飼われていたのだろう、人を恐れることは全く無く、自分のテリトリーの中であちこちの人間に可愛がられて餌をもらっていたようだ。

私達と仲良くなってもずっと部屋に居る訳では無く、表に出てはあちこちの家に挨拶にまわり、言ってみれば半野良状態。

それでも祥一郎が大変可愛がるので、その内に滞在時間が長くなり、冬の夜などは大概私達の部屋で寝ていた。

ただ閉じ込めておくと、やはり元野良なのでフラストレーションが溜まるらしく、表に出せと騒ぐので、
純粋な家猫にはなれないようだった。

そんな折、以前にも書いたが部屋の屋根が雨漏りするようになり、大家と揉め出してこの部屋を出ることになった。

さて、クロはどうするか。

祥一郎は連れて行きたがったが、すぐ近くの部屋に引っ越すのでまた逢いに来ればいいこと、私達が居なくなってもそこらじゅうに可愛がってくれる人は居る事、半野良だからテリトリーから離れるのはクロにとっても辛いだろうと祥一郎を説得し、新居には連れて行かないことにした。

さて新しい部屋に住み出して暫く立った頃、私はクロに逢いに前の部屋辺りに探しに行った。呼ぶとすぐどこからか出て来て挨拶してくる。

ひとしきり再会を喜んだ後、私が帰ろうとすると着いてくる。

「もう、帰りな。」と手を振っても、追い払おうとしてもいつまでも着いてくるのだ。

結局新居まで恐る恐る付いてきて、部屋の中で久しぶりに餌をやる羽目になった。

しばらく部屋で遊んでいったあと、私はまたクロを連れて元の場所まで案内してやり、部屋に戻った。。

人間の足なら歩いて10分くらいの近所だが、猫にしたらけっこうな距離だったと思う。クロの大冒険だ。

この話を祥一郎にしたら、今度は祥一郎が抱いて連れて来た。

同じようにひとしきり遊んだ後、祥一郎はまた抱いて元の場所に返しに行った。

ところがどうだろう。
今度はクロが自分ひとりで、道を覚えたのだろう新居にやってくるようになった。

なんということか。
猫はあまりテリトリーから出ないはずで、他の猫とも争いが起きるはずなのに、ひとりでやってくるようになったのだ。

そんなことが続いた内、どうやらクロはこの部屋周囲を自分のテリトリーに決めたようで、根拠地は私達の新居になった。
当然今まで居たその辺の猫達としょっちゅう喧嘩しては、傷だらけで帰ってくる。それを祥一郎は抱き上げ慰め、薬まで塗って可愛がっていた。

私は内心(どうしたものかなあ)と思っていたが、もう昔のテリトリーに戻る気はないようで、祥一郎も喜んでいるので私は諦めることにした。

それでもクロは懲りない猫だ。
新しいテリトリーでも表に出たがり、また喧嘩して戻ってくる生活の繰り返し。

祥一郎はますますそんなクロが愛おしかったのだろう。それこそ猫可愛がりしていた。

私が仕事で居ない間は、クロが唯一の祥一郎の遊び相手兼、話し相手だった。

5~6年も経った頃はもう新しいテリトリーにも馴れたようで、友達の猫もできるようになった。

しかし周囲に猫嫌いの住人が居るので、部屋に居る時間は以前よりは格段に多くなった。
もう祥一郎とべったりの生活が続いて行った。



そして・・・・祥一郎は居なくなった。
クロは何を思うのだろう。

あの日、祥一郎が倒れた玄関先で狂ったように鳴き叫んでいたクロ。

そしてがらんとした部屋の中で、誰かを探すように鳴きながら歩き回っていたクロ。

寒い日などは、ずっと膝の上で寝かせてくれる人が居なくなったクロ。祥一郎の胡坐の上はさぞかし居心地がよかったのだろう。

今はもう、あの二人と一匹の生活は無い。

私が仕事で居ない間、クロは祥一郎の魂とまだ触れ合っているのだろうか。

ときおり虚空をみつめ、突然ひと声鳴くことがある。何をその瞳で見ているのだろう。

大丈夫だよ、クロ
お前はおっちゃんより多分早く、祥一郎に逢いに行けるはずだ。

後から行くおっちゃんを祥一郎とふたりで待ってておくれ・・・・・・・・

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生きる方向性を考える  私にはもう祥一郎は居ないから・・・・」

2016年05月15日 | 何故死んでしまったの

祥一郎を喪って精神錯乱状態があり、そして今は大きな悲しみと共に喪失感と孤独感を、この心と肌身にいやというほど感じる日々が続いているわけだが。

あいつへの想いが勿論消え去ることは無く、悲しみやその他の感覚が全く無くなることはこの先もおそらく私が死ぬまで、そしてあいつに再会するまで消え去るわけではないけれど。

以前と比較してかなり落ちるかもしれないが、まがりなりにも生活のパターンが少しは戻ってきたとしたら、あいつの死を他人に普通に話せるような日がいつか訪れるとしたら、私はその後どうすればいいのだろう。

どうすればいいのかというのは、要するに自分の生きる方向性を見つけることだ。

何ヶ月か数年後かに自分の命が尽きると分かっているのなら、それを楽しみに待つこともできるだろうが、そうではなく、この先何十年もまだ生き続けるのだとしたら、その方向性を考えておくべきなのだろうか。

今の仕事を定年まで続け、リタイアした後は年金・・は貰えるかどうか微妙だけど、駄目なら生活保護ということになるかもしれない。そして日がな一日あばら家で祥一郎の仏壇の前で過ごし、あいつの想いだけを抱きながら、枯れ切った老人になっていくのか。

或いは、仕事をリタイアした後もまだ身体が動くなら、細々とハローワーク等に紹介された高齢者向けの仕事をしながら、もし当選したら都営住宅等に住みつつ、糊口をしのいで生活していくのか。

それとも地域のケースワーカーに助けられて、その頃介護業界がどうなっているかわからないが、何らかの老人施設に入って、ゾンビのように暮らしていくのか。
そう、認知症になる可能性だってある。そうなったらもう生きているとは言い難いが。


こんなパターンも有る。
もう何もかも諦めて、社会にコミットすることを拒否して、祥一郎の遺影と遺骨、位牌だけを持ち歩き、ホームレスになるという可能性だってある。

まあ近々部屋で突然死、孤独死する可能性だってあるのだが。それならばこの先の方向性を考えることも無い。
しかし、必ず突然死するとも限らない以上、たったひとりになった私のこれからの人生をどう生きて行くか、それをいずれ深く考えねばならないだろう。

今は・・・・あまりに精神的ショックが大きすぎて、そんなことはあまり考えられないが。

しかしときおり上に書いたようなことを考えてしまうのは、やはり祥一郎の死によって、寄り添い支え合うものを失くしてしまったからなのだ。

あいつがまだ生きていたなら、なんとか二人で暮らす為にずっと一緒に居る為に、人生の選択肢の方向は必然的に決まって行く可能性があったと思う。
そう、祥一郎の存在は、私の行く先を決める大きな要素だったのだ。

繰り返すが、今は悲しみにくれ涙を流し暮らしていくしか無いし、そう有るべきであり、そうしたい。


私にも自死願望はある。
しかし一方で、今の苦しみ、これから先も続く悲しみから逃れるために、自死を選ぶと言うのは何か違うと思うのも事実だ。
なんの根拠も無いが、自死を選んでしまったら、永遠に祥一郎の魂と交わることは無いと心のどこかで強く信じている節がある。
同じような事は、祥一郎と親交の有ったとある霊感のある女性も言っていた。
「自殺なんかしたら、祥一郎さんとは二度と逢えませんからね。」と。

この世は修行・・・などと何処かの宗教家のような口はばったいことを言うつもりはない。

自死願望を抱えつつも、はやり人間は常命というものがあって、それを全うするしかないのかなと考えたりもする。

だからこそ、その常命をどのように生きて行くか。私ひとりっきりで。
その命題が、この先私の前に大きく立ちふさがっていくのかもしれない。



祥一郎・・・・・・・

お前はどう思う?
お前が生きていたなら、おっちゃんはお前と生きる為に、それだけを最優先にして動いていくはずだった。
でもお前は逝ってしまった。おっちゃんの新たな迷いや悩みが増えるのはしょうがないと思わないかい?

もしそう思うならヒントが欲しいよ。

この老いぼれがどう生きて行くか、そのヒントが欲しいよ。

お前はいつかそれを伝えてくれるだろうか・・・・・・・・・・・・。


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「久方のおぞましい夢  祥一郎のこの世への想い」

2016年05月04日 | 何故死んでしまったの

久しぶりの祥一郎の夢。

昨夜、祥一郎の遺影に酒を供え、一緒に飲んだ。その私の想いに答えてくれたのか、何日ぶりか、いや何週間ぶりかで彼に逢えた。

私は尋ねた。

「お前は自分の症状を分かっていて、もう先が無いことをだいぶ前から分かっていたの?」

祥一郎は答えた。

「そんなん、わかるはずないやろ!」

と、私はこっぴどく叱られた。

でも彼の容貌は、頭髪も綺麗に整え、清潔な衣服を纏い、もう死を覚悟したものだった。
さすがにもうすぐそこに自分の死が迫っているので、身支度をした彼を見て、私は見ていて居ても立っても居られず、外に飛び出した。

そこには映画館が有って、この世で最悪に悲しい映画が上映されているらしく、大勢の人々が泣きながら出てくる。後から後から。

それを見て私は思い直す。

祥一郎の死が目前に迫っているのなら、一分一秒でも一緒の時間を過ごさなければ。

そう思い直して、急いで部屋に帰る。

すると祥一郎が、もう死にかけているのに、一階にある部屋のポストの郵便箱を確認している姿が見えた。

近づくと、なんと、彼の身体はもうバラバラになっていて、手足や頭部が散乱しているのだ。

私はまだ意識が残っているような彼の頭部に、一生懸命何かを叫んでいる。

何か反応が無いか、一生懸命いつまでも叫んでいたのだった・・・・・。


悲しい、あまりにも悲しく、少々おぞましい夢だった。



いつものように、この夢の彼のメッセージを読み解こうと思う。

やはり彼は、自分の症状が死に繋がるものだという認識は持っていなかったのではないか。或いは、幾人かの人から指摘されたように、怖くて認めたくなかったのか。

そして後半のおぞましい光景は、死に際しての彼の痛みや辛さ、どれだけ悲しく悔しかったのかを私に伝えているのではないか。
彼はこの世にまだまだ想いを残して死んでいった。私はそう想えてならない。


この夢を見る日の夕方、彼の形身である指輪が無い事に気付いた。

仕事中に汚れてしまうといけないので、外して仕事着のポケットに入れたままで帰宅してしまったのだ。

明日でもいいかなと思おうとしたが、いや、やはりあの指環と一分一秒でも離れたくないと思った私は、急いで職場のロッカー室に戻り、指環を確認し、ほっと安堵して部屋に戻った。

祥一郎は、私のこの指環に対する想いに答えて、久しぶりに夢で逢いに来てくれたのかもしれない。


祥一郎・・・・・・・・

もっと逢いたいよ・・・・

もっと逢いにきておくれよ・・・・・・・

私の意志でお前に逢うことは、もうできないのだから・・・・・・・・


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「ある若者との会話  慢心していた私」

2016年04月25日 | 何故死んでしまったの


あれはも15~16年くらい前、祥一郎と大阪で暮らしていた頃の事。

その頃の祥一郎と私はお互い仕事を持ち、プライベートは勝手な事をやって、貧乏ではあったがけっこう楽しく生活していた頃だった。

勝手な事をやっていても、狭い部屋だったが帰る場所はお互い一つだった。
まあ男女の夫婦で言えば、イケイケモードが終って、熟した関係になった頃かもしれない。


そんなある夏の夜、あまりはっきりと覚えていないが、なぜか私はコインランドリーで洗濯をしていた。

祥一郎が友人と遊びに行っていたか、実家に帰っていたかそんな時だったと思う。

小汚いコインランドリーに、ひとりなかなかのイケメンの若者が漫画本を読みながら、洗濯が済むのを待っていた。

いやらしいゲイの性癖で、一時ひとりきりだった淋しさもあったのだろう、私はその若者に話しかけてみた。別にどうこうしようという下心など全く無く、単なる暇つぶしだったのだが。

「・・・・・お兄さん、この辺の人?」

大阪の人は見知らぬ人から話しかけられても、けっこう相手になってくれるところがあって、その若者も私を特別に警戒することもなく、答えてくれた。

「はい、そうです。」

「ひとりで住んでるの?」

「はい。ずっとひとりで住んでます。」

「淋しくない?」

「いいえ。全然淋しくないです。なんでも好き勝手にできるし、気楽だし、ひとりがいいです。」

「でもまだ若いのに、恋人とか欲しくないの?」

「全然欲しくないです。ひとりがいいです。ひとりが一番です。」

確かこんな会話をしたと思う。

(何かちょっと変わった若者だなあ、まだ若いのに、友人とか恋愛とか、まだまだ楽しめる年頃だろうに、欝屈してるのかな、それとも対人関係が上手く出来ないタイプなのかな・・・・)

と、少々その若者を憐れに思った記憶がある。

あの若者はまだひとりで生きているのだろうか。
そして、寂しいと感じることも無く、人に依存する事も無く、別れの悲しみを経験する事も無く、ひとりの生活を楽しんでいるのだろうか。

もしそうだとしたら、あの時あの若者を憐れんだ私が負けだったことになる。

私が勝手に負けたと思うだけで、一回会ったきりのほんの数分会話しただけのあの若者にとっては何の関係も無い事なのだが、あの「ひとりがいいです。」と言い切ったあの覚悟に、私は負けたと思う。

妙にあの若者との会話を最近思い出すのだ。

そう、あの時私には祥一郎が居て、ひとりじゃない、私は孤独じゃない、人の温もりを知らないなんて、なんて可哀想な若者なんだろうという奢りがあったのではないか。
今、そう思うのだ。

確かに私には20数年間の宝物のような祥一郎との暮らしがあった。

しかしそれを失い、この歳になってたったひとりで、生きる意味も無くなり、方向も見えなくなってしまった。

あの、孤独をものともせず、かえってそれを楽しむ覚悟があったあの若者。

祥一郎と寄り添い、支え合い、温もりを感じ合う経験をしてしまった私に、あの若者のような強さはもう無い。

愛する人を得ることは素晴らしい。

でも、それを喪うリスクに思いを馳せなかった私は愚かだったのだろう。

出逢わなければよかったというそんな話ではなく、愛する人とこれからも生活できるはずだと漫然と油断していた自分が愚かだったのだ。

祥一郎・・・・おっちゃんはお前がいつも居てくれるという安心感に胡坐をかいて、慢心していたんだね。

お前があんなに突然居なくなるなんて考えもしないで・・・・

もう何もかも遅い・・・・・それが悲しく、悔しいよ・・・・・

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トレーニングセンター  祥一郎の足跡

2016年04月24日 | 何故死んでしまったの


祥一郎・・・・・・

きょうはね、ちょっと思いたって、お前が月に何度か通っていたトレーニングセンターを探して行ってみようと思ったんだ。

区内の町名のついた体育館にあると聞いていたから、調べたらすぐわかったよ。

でも、同じ区内とはいえ、よくこんな遠くまであのボロママチャリで通っていたね。

おっちゃんちょっと迷ってしまったよ。

やっとみつけた〇〇〇体育館。

そこの受け付けでまず聞いてみたたんだ。

「ここは、会員制でカードを発行したりするのですか?」

その質問には月極めで使用する人はカードがあるらしいけど、好きな時に使用する分には一回だけのチケットを購入して、番号を記入するだけらしい。値段は300円
だから勿論ロッカーなんか使用してなくて、私物も預けて無かったね。


体育館に併設されたそのトレーニングルームに見学者として行ってみたよ。

まあ想像していたとおり、それほど広くも無く、うらぶれたトレーニングルームだった。
機械もそれほど多くは置いて無かったね。

でも土曜日だということもあって、結構な人が汗を流していた。

そこに立っていたおそらくインストラクターだと思われる若い女性に聞いてみたんだ。

「ここは、使用するのに名前を記入したりするんですか?

「いえ、チケットを買って頂いて、その番号を記入していただきます。」

ということは遡っても、お前の名前を記入した参加者名簿は無いということだ。

だから一瞬ちょっと迷って、そのインストラクターのお姉さんに、お前の画像を見せてみたんだ。

「あの・・・・こんな人を御存知ですか?」

「えっ?ちょっと私は・・・・あれ、この二枚の画像、同一人物ですか?」

「はい、そうです。」

「あっわたし、知ってるかも知れません。真っ黒に日焼けして、いつも笑顔の方ですよね?」

「多分そうだと思います。」

「お探しですか?」
「いえ、実は・・・・この人、去年末に亡くなってしまって。もしかしたら私物でも預かってないかと思って来て見たんです。」

「えええ?そうなんですか?まだお若いでしょ?」

「・・・・・46歳でした。」

「そ、それは・・・・・・・」

「・・・色々とお世話になりました。」

最後の方はおっちゃん、涙声になってその場を後にしたよ。

もしかしたらお前の名前の書いた名簿くらい残っていないかと思ったけど、無駄だったね。

帰り路、思ったんだ。

お前は貧乏は貧乏なりに、好きなトレーニングを如何に安くやろうと、ここへ通っていた。。

もっと近くにフィットネスクラブはあるけれど、月の会費がとても払える値段じゃなかったので、お前はやっと探したこの場所に通っていた。

一生懸命身体を鍛えて、一生懸命生きようとしていたんだね。

いじらしくて、可哀想で、哀しくて、淋しくて、おっちゃん帰りながら自転車に乗って涙が溢れてどうしようもなかったよ。

結局何もお前の生きた証の収穫はなかった。

唯一、あのインストラクターのお姉さんが覚えていてくれたことか。

なにやら先日書いた、近所のスーパーのお話しみたいだね。

でもうろ覚えでも、あのお姉さんが少しでも覚えていてくれたのは、おっちゃん嬉しかったよ。
きっとすぐ忘れてしまうだろうけど・・・・


お前が通って足跡を残した施設に行ってきて、少しでもお前を身近に感じたかったきょうの出来事だった。

もう遠くに逝ってしまった祥一郎、お前の存在をね・・・・・・・・



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