何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

お引っ越し

2016年05月27日 | 死別体験
こんにちは。

連絡が遅れました。

実はブログを引っ越しました。

新しいブログはこちらです。http://blog.livedoor.jp/mothra04281030/

今後ともどうぞよろしくお願いします。


人生航路  誰かの為に生きる

2016年05月11日 | 死別体験


誰かの為に生きる・・・・・・・

誰かが居るから生きていける・・・・・・

なんと素晴らしい事だろう。

祥一郎と出逢う前、私は勿論そんなことは想像もしなかったし、この先そんな経験をするとも思わなかった。

独りで勝手気ままに暮らし、一人で好きなものを食べ、一人で遊び呆け、誰かのために何かをする、誰かの為に気持ちを割くなどという発想自体が無かった。

少しばかり寂しければ、友人がやっているスナックに飲みに行き、たわいもない会話をし、したたかに酔って帰り誰を気にする事も無く眠りにつく。

男と遊びたければ、それなりの施設があるのでそこで発散し、たまには短期間付き合う事も有った。

それでも一緒に暮らしたいと思ったことは無いし、自分のこの自由な時間を手放そうなどとはゆめゆめ思わなかった。

寂しい孤独だ、人肌が恋しいなどと殆ど感じたことが無かったのだ。


もちろんこの自由な時間がある見返りに、一生独りで暮らし、誰にも看取られずに死んでいくのだろうというそれなりの覚悟はあった。

親兄弟、親類縁者など、何年かに一度会うくらいで、どうしているのだろうと心配すらしたこともない。


別に最初からそんな人生観を持っていたわけではないが、環境が私をそうしていったのだと思う。
そんな自分に何の疑いも抱かずに、30代半ばまで過ごしてきた。

そんな私が、祥一郎という運命の人と出逢い、徐々に絆が深まり、家族だと思えるまでになるなんて。

人生はどこでどうなるか本当に見えないものだ。

私がどんな境遇になろうとも、決して別れることなど有り得ない、別れたいとも思わない人と、共に暮らすことができたなんて。

別にどちらの生き方が正しいというつもりはない。

しかし、人と人との触れ合いや温もりを感じながら、家族として暮らすという世間には普通に有るが、私には縁遠かった暮らしをすることになり、私の今までの人生観はまったく様変わりした。

何をするにも何を考えるにも、祥一郎の存在が中心になった。

祥一郎と二人で過ごすために人生航路の舵を切ることになったのだ。

そして20数年間、人生という海を航海していた二人が乗った船は、突然座礁沈没し、祥一郎は海の藻屑と消え、私一人が取り残された。
長い時間をかけて私の頑迷な人生観を変えていった祥一郎との暮らしは、もう失われてしまった。

そして私はやっと辿りついた岩礁に濡れ鼠のようにひとり佇み、消えて行った祥一郎のことだけを想い、何処へも行けずに死を待つだけの存在に成り果てた。

岩礁から泳ぎ出し、どこかの陸地へ辿りつこうという気持ちも微塵も湧いてこない。

いつまでもいつまでもその岩の上で佇み、海が涙で溢れていくのを見るとは無しに見ているだけ。

ときおり、あいつが消えて行った人生の海に向かって、「祥一郎!!!!!どこだ?何処に居る!?」と叫んではまた泣いている。

涙の海が満ちてきて、その岩礁を飲み込むその日まで、私はそこに居る。

きっとそこに居るに違いない。

そしていずれ広い海の中から、祥一郎を探しだす旅に出るのだろう。

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介護現場の憂鬱  私は祥一郎を一人にはしない。

2016年05月10日 | 死別体験



介護の仕事を始めてもうすぐ4年になる。

好きで始めた仕事では無く、不景気で就職口が無いから始めた仕事ではあるけれど。

そんな私でも思う事がある。

勤務先は特別養護老人ホームだが、この4年の間に数え切れないほどのご利用者の死を見てきた。

仕事柄いたしかたない事ではあるが、その死に際して本人と家族との関係をつぶさに見てきて、やるせない気持ちになる事が多い。

亡くなる時は概ね急に亡くなってしまうので、死に目に逢うことは少ないのだけれど、その際の家族の反応が本当に家族だったの?というケースが多い。

一応家族が来るものの、来るべき時が来たかと冷静な人、亡くなってもその日には来ず、翌日にやっと引き取りに来る人、忙しいので数日遺体を預かって欲しいと申し出る人、本当に様々だ。

職場からはもう危ないからといって家族にすぐ連絡するのだが、急いで駆け付けてたとえ死に目に逢えなくとも死んだ自分の親なり祖父母なりを見て涙にくれる家族はあまり居ない。

「看取り」という制度が我々の職種にはある。

ここの施設に預けて、容体が悪化しても救急対応はせず、そのまま静かに逝ってもらうという制度だ。

要するにこの老人ホームで最期を迎えて欲しいということだ。施設に入所する時にケースワーカーがその是非を確認するのだ。

この仕事をすればするほど思う。少々極端な喩えかもしれないが、要するにこれは金を払ってする姥捨てなんだなと。

今も施設で元気に過ごしているご利用者でも、家族が頻繁に面会に来る人はごく一部。
殆どの人は、滅多に家族も親類も来ない人の方が多い。

中には、「そちらに預けて任せたんだから、何があってもいちいち連絡しないでください。死んだら遺体は引き取ります。」などという家族もけっこう居ると言う。

「捨てられた・・・私は捨てられた・・」と言って、その後死んでいったご利用者も何人か居る。

介護、老後、認知症、年老いた親や祖父母の面倒・・・・難しい問題は多々あるけれど、この仕事をすればするほど家族とは、血縁とは、何なのだろうと考えさせる事が多い。いや毎日考えさせられる。

私の人生の訓辞は何度か書いたが、「血は水よりも薄い。」だ。

血縁なんて、実の親子なんて、家族なんて、それぞれの事情で扱いがどうにでも転ぶものだ。

家族の絆、それはいとも簡単に崩壊する事が有り得るのだ。

私は今こうして、法的にも血の繋がり的にも全くの赤の他人の祥一郎が死んで、こんなにも悲しみ、苦しみ、後を追って死にたいとまで思っている。

しかし祥一郎の実の父親は、彼が死んだ後ささやかな通夜も葬式もせずに、翌日に火葬にした。実の弟もそれに何の反対もしなかった。

色々な家族関係があり、死んだ後どんな扱いを受けるか、それはどのように家族として過ごしてきたかによることは私自身もよく理解している。実の父親が死んでせいせいしたぐらいなのだから。


私は今、祥一郎を喪ってこんなにも悲しい。

だから今の仕事をしていて、この人が亡くなれば悲しむ人は居るのだろうかと考えてしまうのだ。
ひとり寂しく死んでいったのではないかと思ってしまうのだ。

考えても栓無きことだとは分かっている。


祥一郎は逝ってしまった。

私は、あいつの実の父親や弟や親類縁者がどう思おうと、何を言おうと、あいつの死を悲しみ続ける。悔み続ける。

私の人生の訓辞、「血は水より薄し。」は、今回の祥一郎の死に際してますます正しかったのだと確信する。

この社会のしくみが、家族制度が、血のつながりが、何ほどの物かとばかりに私は祥一郎の死を悼み続けるのだ。

祥一郎・・・・・・

私は決してお前を一人にはしないよ。忘れはしないよ。

涙を流さない、悲しまない、悔やまない、そんなことは有り得ないよ。

当たり前じゃないか。ねえ、祥一郎・・・・・・・・


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悲しみと友達になれる日

2016年05月06日 | 死別体験


ゴールデンウィークで、嫌でも家族連れや、カップルが目につくからだろうか、精神的にどんどん落ち込んで行くのが分かる。

なにやら世間の空気までが薄桃色で、幸せに満ちているのかと思うと、何故自分だけが、何故私と祥一郎がこんな目に遭わなければならないのかと、何にこの思いをぶつけたら、少しは楽になるのかと、
そんなことばかり考えてしまう。

底知れぬ寂しさにやり切れなさに、この身が粉々になりそうだ。

身体は12kgも激痩せし、栄養を欲している。

でも、精神的に受け付けない。食べる事が、生きる為に食べる事が罪悪としか思えない。

祥一郎はどんな思いを残して逝ってしまったんだろうと思うと、生きること自体が罪深いことなのだと考えてしまう。


これが、最愛の家族を亡くすということか。

こんな思いを、こんな災厄を、乗り越えて生きている人が居るのだろうか。
いや、居るのだろう。

だからこそグリーフケアに通って、そのヒントを得ようとしている自分が居る。

同じ悲しみを持った人が集うブログ村に登録して、他の方々のブログを漁るように読んでいる。

私の心は、奥底で助けを求めているのだろう。


悲しみに満ちて涙を流し続けることが、残された私が祥一郎にしてやれる唯一の事だとそう思いながらも、どこかで助けを求めているのかもしれない。

人は最愛の人を亡くした後、悲しみだけで生きてはいけないのかもしれない。

どこかの時点で、現実としての悲しみが、記憶になっていくのだろうか。

愛する伴侶を喪うということは、悲しみ以外のなにものでもない。

でも、悲しみというものは、生きる糧にはやはりなり得ないのかもしれない。
それだけでは人は生きていけないのだろう。


そうなるまでどれだけの時間がかかるのか、それを考えると気が遠くなるような気もするが。

祥一郎の為に悲しむのだ、涙を流すのだと格好をつけたところで、やはり辛い物は辛いし、苦しいものは苦しい。

笑って・・・・とはいかなくとも、落ち着いて祥一郎の死を誰かに語れる日が来るようにと、私はどこかで思っているのだろう。

そう、悲しみと友達になる・・・・

悲しみは消えないまでも、それと折り合いをつけること・・・・・それができた時点で、ある意味乗り越えたということなのだろう。


祥一郎よ・・・・・・

おっちゃんにそんな日はいつ来るのだろう。

お前は、おっちゃんがそんな日を迎えたら恨むかい?

「おっちゃん、僕の為にずっと死ぬまで悲しんで欲しい。」と思うかい?

それとも、
「おっちゃん、それでいいんだよ。そうやって生きて行って。」

と、言ってくれるのかい?

愛する祥一郎よ・・・・・・・・


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黙して語らないアイフォン  祥一郎の一年余りの軌跡

2016年05月06日 | 死別体験


先日、アップル社が、米連邦裁判所からのパスコード解除命令を拒否したとのニュースがあった。

https://securitynavi.jp/916

銃乱射事件捜査の為に、犯人の持っていたアイフォンのパスコードロックを外すことは、大勢のユーザーの情報が漏えいする危険があるというのが理由だそうだが。


世界的企業であるアップル社が、連邦裁判所の命令さえ拒否するほどセキュリティに拘ることは、理屈としては理解できる。
悪用しようと思えばいくらでも出来る可能性があるだろう。


祥一郎が亡くなった時、私は頭の中が混乱し、何をどうしたらいいのか何から始めればいいのか、茫然自失していた。

しかしその中で、一年余り前からやっとガラケーからアイフォンに二人同時に替えたその端末、祥一郎の端末を早く解約しなければならないという思いに取りつかれていた。
もう使用する人が居なくなったものを、使用料もかかる上、そのままにしておくわけにもいかないと、亡くなって何日か後にauショップで解約してしまった。

そう、後でその行為がとてつもなく私を後悔させることになるのも知らずに。

祥一郎を荼毘に伏し、四十九日も終った頃、私はとんでもない事をしたと自覚し出した。

直近の一年あまりに祥一郎がやり取りしたメールや電話の記録を見ることができなくなってしまったのだ。
祥一郎が設定しそうなパスコードを何度か試してみたが、どれも虚しく弾かれ、何度か間違ったコードを試してしまったので、もう試すこともできなくなってしまった。

徐々に体調が悪化する中、誰かにその思いを伝えていたかもしれない、助けを求めていたかもしれないと思うと、つくづく私は愚かなことをしたと思う。

まだ契約を解除せずに、慎重にパスコードを選び、試してみるべきだったのだ。

そしてもっとこの件について詳しい人に相談しながら、あいつの端末の情報を何とかして取り出すべきだったのだ。

auショップに相談に行って契約解除した後、パスコードの件はアップルショップに行ってくださいと言われ、アップルショップに電話相談すると、「もうそれは初期化するしかありません。その場合中の情報も消去されます。」とけんもほろろに言われた。
私は泣きながら理由を話し、懇願したが、アップル側から返ってくる返事は「申し訳ありません、それは出来ません。」のみ。

渋谷のアップルショップに直接行って相談もしたが、まったく同じ返事しか返ってこなかった。

考えてみれば、米連邦裁判所ほどの大きな機構が命令したことをアップル社が拒否したほどの問題だ。
そんな重要な問題を、日本に居る、私のような一個人が、例え亡くなった伴侶の情報を取り出したいという理由があったとしても、それを「はいわかりました。ご協力します。」となるわけがない。

それから私は、万策尽きてアイフォンに替える以前にあいつが使用していたガラケーから、メールのやりとりや電話の履歴を調べ、連絡が取れる人には取っていった。

結局見つかったのは、祥一郎が亡くなる直前までLINEでやりとりしていて返事が来ないことをいぶかしんでいたあいつと何度か会ったことのあるゲイの友人と、何年もメールで同じ趣味であるコスメ話をやり取りしていた京都の女性のメル友だけ。

そのゲイの友人は自宅まで訪れてくれて、iiTunesに接続したことがあるのなら、バックアップが残っているかもしれない、でもそれにもパスコードが必要だから、根気良く何度も押してみる必要があるとのこと。友人自ら私のパソコンで行ってくれたが、上手く行かなかった。

各方面の詳しそうな友人知人に相談するも、根本的な解決法は見つからず。

怪しげな秋葉原のデータ復元ショップに連絡しても、「それは中のデータを初期化するしかありません。」との同じ答えしか返ってこない。

どこかに違法スレスレのやり方で復元するショップを探せばあるのだろうかと思うが、未だそれは見つからず。そもそもそんなショップがネットにHPを乗せてはいないだろう。

こうして祥一郎が亡くなる直前まで使っていたアイフォンは、真っ黒な画面のまま何も語ってはくれない。
直近まで祥一郎とやりとりしていた人達とは、殆ど連絡を取り合える可能性は無くなってしまったのだ。

祥一郎・・・・・・・

おっちゃんは愚かな事をしたね。

まだ契約解除もせずに、もっと慎重にことを運んでいたら、お前の少なくとも2015年のプライベートや、連絡する必要がある人が見つかったかもしれないのに。

今頃お前とまったく連絡が取れなくて、心配している人も居るかと思うと、つくづくおっちゃんは馬鹿だったと思う。

ごめんね・・・・・・お前のアイフォンはきっといつまでも真っ黒な画面で、何も語ってはくれないのだろうね・・・・・・

それがお前に申し訳ないし、切ないよ・・・・・・。



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