何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

トレーニングする祥一郎

2016年04月02日 | 何故死んでしまったの
「はっはっはっはっはっはっ」

「どすっどすっどすっどすっ」・・・・・・・・・・


私が帰ってくると、祥一郎はパソコンデスクに座っていない。


こんなときはいつも隣の部屋でトレーニングをしている。

とにかく最低二日に一回は必ず、時間を決めて身体を鍛えていた。


勿論専門のお高いトレーニングマシンが有るわけもない。まあストレッチや体操を組み合わせて自分なりに工夫して一生懸命やっていた。
それこそ何十年も継続して。

私など、年齢もあってもうとっくにメタボ体型になっていくことに諦めていたけれど、祥一郎は

「絶対お腹が出たり、痩せていくのはいややねん。」

と、友人にも言っていたそうだ。まあよく続いたこと。

お陰で祥一郎の肉体は、ボディビルダーのあんなムキムキではないが、均整のとれた、細マッチョとでもいうような体型を維持していた。

劇団関係の仕事を以前していたからなのだろうか。

それともゲイ特有の肉体美を維持したいというナルシズムからなのか。

単に健康の為か。

おそらくどれも理由なのだろう。

私が買い物に早く行こうといっても、

「体操せなあかんから、待って。」と言って私を待たせ、「ちょっと、私にも予定があんのよ。」と、二人がちょっとした揉め事になることもあった。それほどトレーニングを生活の中で重視していた。


ここ1年~2年ほどは、区内にみつけた公営の安いトレーニングセンターにときおり通っていたな。

帰って来ては、

「茶髪の、へんなオネエっぽい奴が居ったわ。あれ絶対ホモやで。」
「まあ昼間行ったら、じいちゃんばっかりで、景色の悪いこと。」
「スタッフの兄ちゃんが、なにかと話しかけてくるねん。うちに気があるのやろか。」

等々、聞きもしないのに報告してくれた。

あいつのツイッターの最後の呟きも、亡くなる半月ほど前の、

「日曜のスタッフのBGMのチョイスは、中島みゆきやけど、あれってどうなん。」

だった。12月の5日の最後の呟き・・・・・・・・・・それ以降呟きは何も無いけれど・・・・・・・・


調子が悪くなってからは思うように体操も出来ず、腹水で腹が膨れてきてきっとかなりなストレスだったろう。
そんな状態も一週間か十日余りで、あっという間に祥一郎は逝ってしまったけれど・・・・・・・・



貧乏は貧乏なりに、工夫して自分の体型を維持していた祥一郎。

あの継続力には私も感服していたけれど、願わくばその情熱がもっと自分自身の他の健康維持に向かっていれば、こんな結末ももう少し違ったものになったかもしれない、という思いも無いではないが・・・・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・・

おっちゃんはメタボじゃなくなったよ。鍛えたからじゃなく、お前が亡くなって10キロほども痩せてしまったからね。お腹もげっそりへこんじゃったよ。

こんなおっちゃんを見たらお前はなんと言うだろう。

「ええやん、ちょうどええ機会やからトレーニングしたら?細マッチョになれるで。」

なんて言うだろうか。


うん、おっちゃんがそっちに行ったら、一緒に二人で組んで体操しようね。

おっちゃん楽しみにしてるよ・・・・・・・祥一郎・・・・・・・・・

今夜は飲もう・・・・祥一郎・・・・・・・・

2016年04月02日 | ひとりぽっち
「今夜は飲もう。祥一郎・・・・・」


(昨夜、酔っ払って涙を流し、大声を上げながら書いた記事です。お見苦しい面も有るかもしれませんが、どうぞ読んでやってください。)


祥一郎・・・・・・・・

今夜は飲もう。

おっちゃん明日は休みだし、こんな小雨そぼ降る寒い日は、どこにも出掛ける気にもならないから。

付き合わせて悪かったかな。

でも今夜はおっちゃんの我がままを聞いておくれ。

お前が生きていた頃、とにかく酒の減るのが早かった。おっちゃんストレス溜まりまくって、仕事から帰って来て毎晩必ず晩酌をしていたものね。

休みの日は休みの日で、午後を回ったあたりからおっちゃんは飲んでいたものね。

お前は肝臓の病気をしてから殆ど飲めなかったから、それに付き合わせるわけにはいかなかったけど。

だからここ10年くらいは、部屋でお前と差しで飲むことは殆ど無かったね。

寧ろお前が飲みたいって言ったら、おっちゃんが止めていたくらいだから。

おっちゃんは長い事水商売をしていたから、酒が無くてはどうにもならない身体になっていたのは、お前もなんとなく理解していたと思う。

世知辛い事の多い世の中、酒でも飲まなきゃやってられないからね。

でも一人で飲む酒よりも、お前が居てその背中を見ながら、「ああ、ひとりじゃないんだな。」と感慨に耽りながら飲む酒はまた格別だったよ。

酔って素面のお前に絡んで怒られて、それでもまた絡んで、しまいにはどつかれて、そんな戯れがとてもおっちゃんは楽しかった。

そしてひとしきり絡んだ後、したたかに酔って寝床に入るのが、休み前日の楽しみだったんだ。

お前はよくそんな若干アルコール依存症のおっちゃんに付き合ってくれたね。何十年も。

おっちゃんは小心者だから酒が入らないとあまりものも言えないし、お前に愛の表現も出来なかったんだよ。

お前には迷惑千万だったかもしれないけど、酔ってお前に絡むのは、おっちゃんの愛の表現だったんだよ。

翌朝、若干二日酔いのおっちゃんにお前は何気に玄米茶を出してくれたこともよくあったね。

朦朧とした頭に、あの玄米茶は美味しかったよ。


祥一郎・・・・・

今は一応酒は置いてあるけど、殆ど減らないんだ。

おっちゃん淋しいから何かと人をこの部屋に呼んで酒を飲み交わすことが多くなったけど、それでも
そんな人達が帰った後、一人きりになっても酒を飲む気にはならない。

お前を亡くして慰めに来てくれる人たちも、忌々しい職場だけど、その中でもそれなりに仲の良い同僚が来る時も酒を持ってきてくれるんだけど、その後ひとりになってしまうと酒が余ってどんどん封を切らない酒瓶が溜まってしまうんだ。

だから今は酒をしたたかに飲むのは、オフの日の前日くらいになってしまったよ。

その他の日は病院でもらった精神薬を飲んでいるからね。酒を飲むわけにはいかない。
薬と一緒に飲んだら大変な事になるのは、何年か前に経験して懲り懲りだから。それはお前も知っているよね。あの時はお前が居なかったら、おっちゃんどうなっていたことか。

だから今はきょうは酒を飲む日だと決めて、その日は薬は飲まないようにしているんだ。

きょうはそんな日だ。

だから付き合っておくれ。

お前はもう病気も気にすること無く飲めるんだろ?

嫌な事が多すぎて気が狂いそうになることも、お金が無くてやりたいこともできず買いたい物も買えないことも、今後の生活のことも、年老いたらどう生きようかと心配することも、お前が生前抱えていた色々な悩みなど、何も心配することなく飲めるんだろ?

だから今夜は飲もう。

お前に供えた酒のグラスは全然減らないけれど、きっとあっちで飲んでくれているよね。

どんどんお代わりしておくれ。

そしておっちゃんとふたり、酔っ払ってふざけ合って、一緒に寝よう。

祥一郎・・・・・・・・・・・・いつも一緒だよ。

お前はおっちゃんといつも一緒だよ。心からそう思っている・・・・・・・