何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

生きる方向性を考える  私にはもう祥一郎は居ないから・・・・」

2016年05月15日 | 何故死んでしまったの

祥一郎を喪って精神錯乱状態があり、そして今は大きな悲しみと共に喪失感と孤独感を、この心と肌身にいやというほど感じる日々が続いているわけだが。

あいつへの想いが勿論消え去ることは無く、悲しみやその他の感覚が全く無くなることはこの先もおそらく私が死ぬまで、そしてあいつに再会するまで消え去るわけではないけれど。

以前と比較してかなり落ちるかもしれないが、まがりなりにも生活のパターンが少しは戻ってきたとしたら、あいつの死を他人に普通に話せるような日がいつか訪れるとしたら、私はその後どうすればいいのだろう。

どうすればいいのかというのは、要するに自分の生きる方向性を見つけることだ。

何ヶ月か数年後かに自分の命が尽きると分かっているのなら、それを楽しみに待つこともできるだろうが、そうではなく、この先何十年もまだ生き続けるのだとしたら、その方向性を考えておくべきなのだろうか。

今の仕事を定年まで続け、リタイアした後は年金・・は貰えるかどうか微妙だけど、駄目なら生活保護ということになるかもしれない。そして日がな一日あばら家で祥一郎の仏壇の前で過ごし、あいつの想いだけを抱きながら、枯れ切った老人になっていくのか。

或いは、仕事をリタイアした後もまだ身体が動くなら、細々とハローワーク等に紹介された高齢者向けの仕事をしながら、もし当選したら都営住宅等に住みつつ、糊口をしのいで生活していくのか。

それとも地域のケースワーカーに助けられて、その頃介護業界がどうなっているかわからないが、何らかの老人施設に入って、ゾンビのように暮らしていくのか。
そう、認知症になる可能性だってある。そうなったらもう生きているとは言い難いが。


こんなパターンも有る。
もう何もかも諦めて、社会にコミットすることを拒否して、祥一郎の遺影と遺骨、位牌だけを持ち歩き、ホームレスになるという可能性だってある。

まあ近々部屋で突然死、孤独死する可能性だってあるのだが。それならばこの先の方向性を考えることも無い。
しかし、必ず突然死するとも限らない以上、たったひとりになった私のこれからの人生をどう生きて行くか、それをいずれ深く考えねばならないだろう。

今は・・・・あまりに精神的ショックが大きすぎて、そんなことはあまり考えられないが。

しかしときおり上に書いたようなことを考えてしまうのは、やはり祥一郎の死によって、寄り添い支え合うものを失くしてしまったからなのだ。

あいつがまだ生きていたなら、なんとか二人で暮らす為にずっと一緒に居る為に、人生の選択肢の方向は必然的に決まって行く可能性があったと思う。
そう、祥一郎の存在は、私の行く先を決める大きな要素だったのだ。

繰り返すが、今は悲しみにくれ涙を流し暮らしていくしか無いし、そう有るべきであり、そうしたい。


私にも自死願望はある。
しかし一方で、今の苦しみ、これから先も続く悲しみから逃れるために、自死を選ぶと言うのは何か違うと思うのも事実だ。
なんの根拠も無いが、自死を選んでしまったら、永遠に祥一郎の魂と交わることは無いと心のどこかで強く信じている節がある。
同じような事は、祥一郎と親交の有ったとある霊感のある女性も言っていた。
「自殺なんかしたら、祥一郎さんとは二度と逢えませんからね。」と。

この世は修行・・・などと何処かの宗教家のような口はばったいことを言うつもりはない。

自死願望を抱えつつも、はやり人間は常命というものがあって、それを全うするしかないのかなと考えたりもする。

だからこそ、その常命をどのように生きて行くか。私ひとりっきりで。
その命題が、この先私の前に大きく立ちふさがっていくのかもしれない。



祥一郎・・・・・・・

お前はどう思う?
お前が生きていたなら、おっちゃんはお前と生きる為に、それだけを最優先にして動いていくはずだった。
でもお前は逝ってしまった。おっちゃんの新たな迷いや悩みが増えるのはしょうがないと思わないかい?

もしそう思うならヒントが欲しいよ。

この老いぼれがどう生きて行くか、そのヒントが欲しいよ。

お前はいつかそれを伝えてくれるだろうか・・・・・・・・・・・・。


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