日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

豊穣の福井を行く 2020 - 敦賀鉄道資料館

2020-09-20 13:20:59 | 北陸
出発前から微妙だったのが本日の予報です。おおむね晴れると予想された連休初日とは違い、翌日の予報は晴と曇に分かれていました。要はそれだけ読みづらかったということでしょう。しかし、結果としてはどちらも一応的中したことになります。「一応」というのは、晴と思えば晴、曇と思えば曇ともいえる中途半端な空模様だからです。残念ながら、列車を撮るには今一つの条件となってしまいました。とはいえ使い道がないわけではありません。移動の前に敦賀港を訪ねます。
初めてここを訪ねたのは、全国各地の貨物線、専用線を訪ね歩いていた二昔と少し前です。貨物線はその後役目を終えたものの、駅の跡地が整備され、見学可能な施設ができたと聞きました。噂を聞いて訪ねたところ、その正体は駅の跡地そのものではなく、周辺の埠頭と倉庫が公園として整備されたものでした。中でも見所というべきは、岸壁の公園の一角にある敦賀鉄道資料館なる施設です。ここから長浜まで南下する路線が、現代に続く北陸本線の原型であり、北陸における鉄道の始まりでもありました。鉄道発祥の地にちなんだ展示施設が、長浜に続き敦賀にもできたことになります。
開業当時の駅舎をそのまま転用した長浜鉄道スクエアと違い、こちらの建屋はかつての駅舎を模したもので、展示についてもささやかです。しかし、要衝の座を米原に譲った長浜とは違って、敦賀は今も日本海縦貫線の要衝であり続けています。その歴史の重みを感じさせる展示は一見の価値ありです。
年表を主体にした二階の展示室に対し、玄関脇の休憩室では「敦賀鉄道物語」と題する映像資料が放映されます。それらによって今更ながら知ったのは、ここまで走ってきた道が、実はかつての線路だったということです。まず港の方へ向かう形で線路が敷かれ、福井へ延長されるときもスイッチバックで分岐していたという歴史は、初代横浜駅こと桜木町駅にも通ずるものがあります。スイッチバックをなくすための新線が造られ、その途上に本線の駅が移転したという歴史についても同様です。ただし、新線を直線状に分岐させた横浜と違い、こちらでは旧線が港へ直進していました。緩やかに弧を描く敦賀駅の構内も、そのような歴史を知れば納得です。D51の1号機が当地に新製配置されたことも初耳でした。いずれも敦賀の要衝たる所以を物語る逸話です。
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