都内の桜があらかた散ると、旅から旅の暮らしは大詰めを迎えます。桜を追って列島を北上する、花見の旅が始まるからです。都内の桜が早々と散り、順当なら今週末が振り出しとなるところだったわけなのですが、結論としては見送ります。
平時なら、遅くとも二月中には最低限の段取りをしているところです。大型連休までの暦を見据えつつ、開花が多少前後しても対応できるよう、週末の宿の手配と、場合によっては連休初日、最終日の列車を手配しておくのです。しかし今年は一切それをしませんでした。物騒なご時世が続き、あまつさえ飲食店と旅行者に全責任が擦り付けられてしまった現状では、算段を付けたところで取らぬ狸の皮算用になりかねません。皮肉なことに、今のところ連休中でも宿にはかなりの余裕があります。例年のように予め手配を済ませておく必要もありません。土壇場で決めてもどうにかなるだろうと高を括っていたのでした。
二月以降の陽気からして、早咲きになるのだろうとは思っていました。漠然と考えていたのは、今週末に北陸へ行き、信州を挟んで再来週から東北へ転戦するという流れです。しかし、四月を待たずに都内の桜が散るに至って、各地の様子を調べたところ、こちらの予想をはるかに超える早さで開花が進んでいました。北陸では早くも桜が散り始め、信州でも今週末が満開だというのです。三年前の今頃も、金沢で花見をしたことはあります。北陸で満開と聞いてもそこまで驚くほどではありません。しかしその年でさえ、信州を訪ねる前に一度帰京を挟みました。信州に関する限り、やはり異例の早咲きだったあのときをもはるかに超えているということです。それだけに、今が盛りと唐突に言われても実感が湧かず、見送りという結論になりました。
唐突すぎたという事情もさることながら、直接の決め手となったのは天候です。最新の予報によると、明日は終日晴れるものの、翌日は昼から本降りとされています。つまり、花見ができるのは実質的に一日限りということです。日帰りで高遠へ行ったとき、あまりに忙しすぎて放心状態になったという経験があります。体力の陰りを自覚しつつある今、あれを再現できる自信がありませんでした。
あのときの経験を含め、長年花見を続けて気付いたことがあります。桜を追って北上する過程こそ花見の旅の醍醐味であり、見頃かどうかがそこまで重要ではないという事実です。かような観点からすると、日帰りの強行軍で行ったとしても、それは単なる「花見」であって、自身の考える「花見の旅」ではありません。花見だけなら都内でも八重桜は咲いています。今週末はあえて見送り、東北編に注力しようという寸法です。
そのようなわけで、高遠の桜を二年続けて見逃す可能性が濃厚となりました。これにより、仮に来年再訪できても、その時点で三年の空白ができてしまいます。人生の残り時間を考えると無視しがたい損失です。あえて今回見送ったのは、早朝から混むのが必至の土曜しか使えないという事情にもよります。週明けになって、やはり惜しいという感情が頭をもたげてきたとすれば、一日だけ休みをもらって強行することも考えるつもりです。
平時なら、遅くとも二月中には最低限の段取りをしているところです。大型連休までの暦を見据えつつ、開花が多少前後しても対応できるよう、週末の宿の手配と、場合によっては連休初日、最終日の列車を手配しておくのです。しかし今年は一切それをしませんでした。物騒なご時世が続き、あまつさえ飲食店と旅行者に全責任が擦り付けられてしまった現状では、算段を付けたところで取らぬ狸の皮算用になりかねません。皮肉なことに、今のところ連休中でも宿にはかなりの余裕があります。例年のように予め手配を済ませておく必要もありません。土壇場で決めてもどうにかなるだろうと高を括っていたのでした。
二月以降の陽気からして、早咲きになるのだろうとは思っていました。漠然と考えていたのは、今週末に北陸へ行き、信州を挟んで再来週から東北へ転戦するという流れです。しかし、四月を待たずに都内の桜が散るに至って、各地の様子を調べたところ、こちらの予想をはるかに超える早さで開花が進んでいました。北陸では早くも桜が散り始め、信州でも今週末が満開だというのです。三年前の今頃も、金沢で花見をしたことはあります。北陸で満開と聞いてもそこまで驚くほどではありません。しかしその年でさえ、信州を訪ねる前に一度帰京を挟みました。信州に関する限り、やはり異例の早咲きだったあのときをもはるかに超えているということです。それだけに、今が盛りと唐突に言われても実感が湧かず、見送りという結論になりました。
唐突すぎたという事情もさることながら、直接の決め手となったのは天候です。最新の予報によると、明日は終日晴れるものの、翌日は昼から本降りとされています。つまり、花見ができるのは実質的に一日限りということです。日帰りで高遠へ行ったとき、あまりに忙しすぎて放心状態になったという経験があります。体力の陰りを自覚しつつある今、あれを再現できる自信がありませんでした。
あのときの経験を含め、長年花見を続けて気付いたことがあります。桜を追って北上する過程こそ花見の旅の醍醐味であり、見頃かどうかがそこまで重要ではないという事実です。かような観点からすると、日帰りの強行軍で行ったとしても、それは単なる「花見」であって、自身の考える「花見の旅」ではありません。花見だけなら都内でも八重桜は咲いています。今週末はあえて見送り、東北編に注力しようという寸法です。
そのようなわけで、高遠の桜を二年続けて見逃す可能性が濃厚となりました。これにより、仮に来年再訪できても、その時点で三年の空白ができてしまいます。人生の残り時間を考えると無視しがたい損失です。あえて今回見送ったのは、早朝から混むのが必至の土曜しか使えないという事情にもよります。週明けになって、やはり惜しいという感情が頭をもたげてきたとすれば、一日だけ休みをもらって強行することも考えるつもりです。
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