勝ったとはいわないまでも、引き分けに持ち込んだとはいえるかもしれません。九頭竜川の鉄橋で撮影を締めくくったところです。
細呂木を出た時点で空は完全に曇りました。しかし、空全体が曇っているように見えても、彼方の空が晴れていて、日が沈む間際に一瞬だけ夕日が射すこともあります。わずかな可能性に賭け、性懲りもなくやってきたというのが真相です。
淡い期待も空しく、夕日は一度も射しませんでした。空と地平の明るさの違いが狭まったため、鉄橋を行く列車も影絵にはなりません。しかし、さすがにどうしようもないかと思いきや、撮影した画像の中では多少なりとも陰影のある空に見えます。しかも劇的だったのは、さすがにもう無理だろうと見切ったその直後、西の空が一瞬ながらも茜色に染まったことです。一旦撤収した機材を再び担いで河原に戻り、昨日と同じ六時過ぎの特急も撮って締めくくりました。
今の機種に乗り換えてからというもの、肉眼では気付かなかったものまでが写っているという経験をしばしばしてきました。その描写性能がまたしても発揮されたことになります。昨日の夕景にしても、フィルムでは撮ろうと思わなかったでしょう。それが撮影できるようになったのは、紛れもなくデジタル写真の恩恵です。
常々申している通り、機材がデジタル化されてからというもの、写真の撮り方が雑になってしまいました。画質はともかく、撮る楽しみに関してはフィルムが上だと今も思います。しかし、今回は文明の利器に対して素直に感謝したいというのが本音です。
細呂木を出た時点で空は完全に曇りました。しかし、空全体が曇っているように見えても、彼方の空が晴れていて、日が沈む間際に一瞬だけ夕日が射すこともあります。わずかな可能性に賭け、性懲りもなくやってきたというのが真相です。
淡い期待も空しく、夕日は一度も射しませんでした。空と地平の明るさの違いが狭まったため、鉄橋を行く列車も影絵にはなりません。しかし、さすがにどうしようもないかと思いきや、撮影した画像の中では多少なりとも陰影のある空に見えます。しかも劇的だったのは、さすがにもう無理だろうと見切ったその直後、西の空が一瞬ながらも茜色に染まったことです。一旦撤収した機材を再び担いで河原に戻り、昨日と同じ六時過ぎの特急も撮って締めくくりました。
今の機種に乗り換えてからというもの、肉眼では気付かなかったものまでが写っているという経験をしばしばしてきました。その描写性能がまたしても発揮されたことになります。昨日の夕景にしても、フィルムでは撮ろうと思わなかったでしょう。それが撮影できるようになったのは、紛れもなくデジタル写真の恩恵です。
常々申している通り、機材がデジタル化されてからというもの、写真の撮り方が雑になってしまいました。画質はともかく、撮る楽しみに関してはフィルムが上だと今も思います。しかし、今回は文明の利器に対して素直に感謝したいというのが本音です。
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