日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

さらば九州ブルトレ

2009-03-13 23:32:24 | 旅日記
本日発の列車をもって、最後まで残った九州ブルトレ「はやぶさ」と「富士」が姿を消します。ブルートレインという一時代を築いた存在の、しかも本家というべき九州ブルトレが消滅するということで、我が国の鉄道史上における一つの時代が終わりを迎えたことになります。
とはいえ、昨年の同じ日に「あかつき」の廃止について綴った時点で、遅かれ早かれこの日が来るのは想像できたことで、個人的にはそれほどの感慨はありません。むしろ、たかが一列車の廃止をTVや大新聞までが煽り立てる現象には辟易しているというのが率直なところです。

SLなき後のブルトレブームの時代に物心ついた自分にとって、ブルートレインは「高嶺の花」というべき存在でしたが、それがやがて「時代遅れの乗り物」となるのにそれほどの時間はかかりませんでした。
九州との間を行き来するのに欠かせない存在だった「あかつき」と違い、東京発のブルートレインに乗ったのはたった三回でした。ビジネスホテルに一泊するのと変わらない寝台料金が要る上に、夕方に出て翌日の昼に着くという時間帯も勝手が悪く、始発の新幹線で距離と時間を稼いだ方がプランの上でも出費の上でも合理的で、東京発のブルートレインは選択肢に入りませんでした。
初めて東京からブルートレインに乗ったのは8年前、今はなき「さくら」に長崎まで乗り通しましたが、その頃は既に、そんなことをするのはよほどの物好きだけという時代になっていました。全盛期の佐世保行きは既になく、食堂車はとうの昔に編成を外れ、朝食の時間帯に申し訳程度の車内販売が乗務するだけという有様でした。併結相手の「はやぶさ」と分かれた後、昼行特急に何度も道を譲りながら終着駅を目指す短編成の列車には、かつて「栄光の1列車」と呼ばれた名列車の面影もなく、延々19時間かけて長崎にたどり着いたときには、少し切ない気分になったのを覚えています。
その後二年ほど、通勤のため東京駅で乗り降りしていた時代には、その衰退ぶりはいっそう目立つようになりました。18時過ぎのラッシュの喧噪をよそに、くたびれた客車が見送る人もなくひっそりと旅立って行くのを、独り感傷に浸りながら眺めていたものです。

そのことを思えば、この時代遅れの乗り物が今日まで生き残ったことがむしろ不思議です。語弊を承知でいうなら、使命を全うした上での大往生でした。たった一言声をかけるとするなら、「よくやった」という言葉以外にないでしょう。
幼い頃に雑誌で眺めた憧れのブルートレインが、見る影もないほどにやせ衰えて息絶えるまでを見届けたのですから、自分の人生はブルートレインの全盛期から最期までと重なっていることになります。正直ブルートレインが特別好きというわけではなかったのですが、夜汽車の旅には他のどんな交通手段をもってしても代えられない旅情というものがありました。東京発18時3分、長崎着13時5分、8年経った今も始発と終着の時刻を思い出せるのは、それだけ思い出深い旅だったからに他なりません。客車特有の軽いジョイント音を聞き、暗闇に浮かぶ通過駅の明かりを数え、車窓から眺める夜明けの空の美しさに息を呑む。そんな旅も、これからはそう簡単にはできなくなるかと思うと、淋しさが募るのは事実です。しかし、今はむしろ、ブルートレインと同じ時代を生きたこと、おかげで素晴らしい旅ができたことに感謝したいと思います。

福岡では今日史上最速の桜が咲いたと聞きます。名残の花咲く九州へ、最後の旅路の無事を祈って、敬礼…
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