「北山辺の道」の紅葉/正暦寺本堂/F3
奈良の「錦の里」と呼ばれる正暦寺は、正暦3年(992)、一条天皇の発願により兼俊僧正が創建し、当初は86の堂塔伽藍を数えましたが、たびたびの兵火に焼かれ、明治の廃仏殿釈によって荒廃し、現在は福寿院客殿や本堂、鐘楼などにわずかに面影をとどめています。参道にそって流れる菩提仙川の清流は、と紅葉はみごとな紅葉で埋まりまり、臨時バスが出るほどです。
本堂の左側に万葉歌碑があります。
経たてもなく 緯きぬも定めず 娘子らが 織るもみちに 霜な降りそね 1512(大津皇子)
奈良の「錦の里」と呼ばれる正暦寺は、正暦3年(992)、一条天皇の発願により兼俊僧正が創建し、当初は86の堂塔伽藍を数えましたが、たびたびの兵火に焼かれ、明治の廃仏殿釈によって荒廃し、現在は福寿院客殿や本堂、鐘楼などにわずかに面影をとどめています。参道にそって流れる菩提仙川の清流は、と紅葉はみごとな紅葉で埋まりまり、臨時バスが出るほどです。
本堂の左側に万葉歌碑があります。
経たてもなく 緯きぬも定めず 娘子らが 織るもみちに 霜な降りそね 1512(大津皇子)
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