PHOTO 旬彩

当ブログ内において著作権は我に有します。 
画像の転載、2次使用はお断り致します。

源右衛門の思い出

2017-04-11 09:16:12 | 日記
 
 故・六代目、館林源右衛門の長男とは高校の時の同級生だった。
お互いに写真が好きで、よく一緒に撮影に出掛けた。
佐世保市四ヶ町の映画館へも何度か行った。
 三船敏郎、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン主演のレッドサンを見たことを記憶している。 帰りには彼の家に泊まった。
広い日本庭園と和の立派な平屋建家屋に驚きながらもお世話になった。
 ある日、朝食を頂いていると、源右衛門さんから高校生活はいかがですか?と尋ねられた。
彼がいるから一緒に楽しんでいますよ、と応えた。
高校生の身で、よくもこの様な人間国宝級のお家に泊まり食事や会話をできたものだと後でしみじみと思った。

 彼とはその後別々の大学へ進んだこともあり、疎遠になっていたが、高校卒業の20年も後になって仕事がキッカケで何度
か電話を交わし、源右衛門窯を訪れた。

 20何年振りだなあ! 旧友は昔と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
源右衛門名はまだ襲名しておらず、専務として主に販売を担当していると話していた。
流石に全国の主要都市を駆け回るビジネスマンらしい腰の低さだった。
 源右衛門の製品の中で源コレクションのランチョンマットなどは使っていたけども、あらためて展示室の器の値段を見て唾を飲み込んだ。
とても手が届きそうになかった。

 さらに時を経て先週末、大牟田市のギャラリー集(つどい)で春の源右衛門展が開催されていることを知った。
もう9回目になるそうだ。
ひょっとしたら旧友の近況を聞けるかもしれないと思い出かけた。
店主から衝撃な事実を知らされた。 旧友は19年前、42歳の若さで亡くなっていた。
あの時再会して間もない頃だったのだ、思い出が去来しこみあげてくるものがあった。

 20年前には手が届かなかった源右衛門の器を買った、左が「緑彩唐草文」のマグカップ、右は「赤濃丸紋割」の焼酎杯。
次はまた有田の源右衛門窯を訪れてみたい。
旧友の供養になりますように。

合掌