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星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

『セデック・バレ』をやっと観た。

2017-02-18 | DEAN FUJIOKA
甲子園に出場した台湾の野球チームのことを描いた映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」。
一時期、この映画が好きすぎて、その製作総指揮を担当したウェイ・ダーション(魏德聖)監督の『セデック・バレ』をいつか観てみたいと思っていた。

日本統治下の台湾で実際に起きた原住民族による抗日暴動「霧社事件」を描いた作品。そう言われてしまうと、なんとなく日本では簡単にお目にかかれる作品ではなさそうだな、と。

そしたら、なんと去年TVで放送されることを知った。これはひとえにディーン・フジオカ効果だとわかり、嬉しかった。同時期に『I am ICHIHASHI』や『荒野のピンカートン探偵社』『王子様をオトせ!』などなど、TVがディーン祭になっていたから。『セデック・バレ』にディーンさんが出演してくれていたことにつくづく感謝した。言い方が逆で申し訳ないけど。

なのに、録画したまま超大作すぎて今まで見ていなかった。ゴミン。ようやく今週、3夜連続ドラマのように分割して観た。
アメリカなら「ラスト・オブ・モヒカン」。日本なら「阿弖流為」。
描かれているのは、民族の誇り。人間の尊厳に関わる生き様、死に様で、マイノリティの話でありながらひじょうに普遍的な話だと感じた。

司馬遼太郎著『街道をゆく40 台湾紀行』では「山人の怒り」の章に霧社事件のことが文庫本10ページにわたって書かれている。山地人出身の若い警官である花岡一郎の最期が、事件の本質を隈なく物語っている、と。映画でもそこの描き方が大事なポイントだったといえる。

そして、モーナ・ルダオという頭目がその時部族の中にいたこと。
なぜ蜂起するのか。日本人への復讐のためになら、やらない。虹の橋を渡って祖先に会うためにやるんだ。ここの台詞がぐっとくるじゃないですか!
民族の誇りを絶やすことなく、子々孫々の代にまで伝えること。せめてその話を語り継ぐこと。作品に残すこと。読んで、観て、感じて伝えること。大事な仕事だと思う。

ディーンさんは日本の通信兵役で出演。
日本から参加した俳優陣とは違って、この場合、現地採用というのだろうか。初めから出演していることを知って見ているせいか、日本人の中では飛び抜けてオトコマエなんである。そして、ちゃんと台詞もある。数少ない出番の中で健闘している。
最初の注進の役。村が襲撃された場面で通信兵の仕事を全うしようとする姿。(慌てている状況でさえカッコいいなあと思ってしまう。)特に襲撃現場。弾をよけるために駆け寄ったポスト、火花が炸裂する瞬間に遭遇。地面にも銃弾!こんどは一瞬敵を見て再び現場に飛び出し、通信ケーブルのリールをピックアップし室内へ猛スピードで戻る。
銃弾を浴び崩れ落ちる壁や混乱する部屋の中で必死の形相で連絡を取ろうとする。短いシーンながら、緊迫感と混乱が伝わってくる重要なシーンだ。自分の持ち場と仕事を死守しようとする名もなき一通信兵。
見てくれている人がいたということだよね。何よりここに出演したことが『I am ICHIHASHI』につながり、それが血肉となり、今のディーン・フジオカを作っているのだと
思うと、出演してヨカッタねといえる大事な映画なのだ。



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