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[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

WEBひろいよみ〜「モンテ・クリスト伯」マイナビニュース。

2018-06-08 | DEAN FUJIOKA
一部引用させていただきます。(質問は要約)

●マイナビニュース



『モンテ・クリスト伯』演出の秘密…西谷弘監督をマニアックに直撃


--サウンドトラックは毎回指定?
指定はしています。僕はそういうリクエストが多いですね。英詞に関しては日本語だと、そっちに耳が行き過ぎてしまうというのが一番にあって、インスト(インストゥルメンタル)だけでは出ない強さが、ボーカル付きのサントラにはあると思っています。今回はスパンが短かったこともあって何も考えずに入ったんですが、このドラマのプロデューサーである太田大さんが、まさに同じようなことを言ってきて、僕がいつも作っている劇伴、ボーカル付き、歌入りのスタイルでできないかということでそうなりました。

同じスタイルや材料だけど違う音楽家に調理してもらうことで、これまでを超えるものができれば面白いなと思いました。期待も不安も大きかったんですが、そこはすごくうまくいったかなと思っています。

--いきなりミュージカルのファーストカット
ファーストカット(劇中の登場人物が撮影した結婚式用映像という設定)は、結婚式用DVDの映像だし、時間軸で考えると15年前だから、その時代は地デジサイズの16:9じゃなくて4:3になるだろうとか、そういう時代の特性が見えてきたのでそこから膨らませていった感じですね。

『モンテ・クリスト伯』の原作『巌窟王』を知ってる人、知らない人にとって、このドラマをどう思うんだろうということ。復讐劇という触れ込みはドラマが始まる前にされるだろうから、その復讐っぽさから一番遠いところから入りたいなというのがあって、そこが一番強く思ったところですね。普通だったら復讐を開始させる第3話の部分から物語が始まって、そこから回想するという作りをすると思うんですけど、あえて復讐とかそういう雰囲気が全くない田舎町の片隅で仲の良い青春群像劇みたいな感じで始まる、意外なところからスタートさせたかった。

このドラマは170年も前の原作を基にしていて、設定が強引だったり、荒唐無稽さも多かったりする原作で、それは海外の作品で時代物だと許せるけど、それを現代に置き換えて、ましてやそれが日本の設定でとなると、なかなか難しいものがあるかなと思って最初不安だったんです。

やっぱり主演がディーンさんって聞かされた時に“モンテ・クリスト伯”になった3話以降のディーンさんって言うのは自分の中で見えるというか計算できるし、今の時代だったら彼にしかできないと思うほど、適役、ハマり役だなって思ったんです。でも、それはみんなが予想できるディーンさんだなって思ったので、最初にどれだけギャップをつけるかというか、まだ見たことのないディーンさんにしたいと思いました。また3話以降のモンテ・クリスト伯は“洋”のディーンさんだから、逆に“和”の“フジオカさん”の部分を前半でどれだけ描けるかを意識しました。

--「なぜ暖と気づかない?」問題
その部分は、整形したのかとか昔はすごく太っていたのかとか、それを特殊メイクでやろうとかそういうのをいろいろ考えました。だけど、それも全部小手先だし、見る人にとっては同じ役者さんだってわかってるわけだし、そこは堂々といけばいいと思いました。もちろんそういう気付いてくれないからという意図もありますが、意外と人間って他人のこと覚えてないなと思ってて、そういうところもあるのかなとも考えました。

第2話の最後、葬儀のシーンで暖(ディーン・フジオカ)がみんなと再会することになります。最初、暖はサングラスをしていて顔が見えない、誰だか分からない感じにしてるんですが、神楽(新井浩文)と南条(大倉忠義)の目の前に現れた時に、気付くに決まってるっていうのを逆手にとってやろうと思って、そこであえてサングラスを外して、なるだけ近くに顔を接近させる芝居をつけたんですね、それでも向こうがわからない、こんなに近くに行っても気づかない、だから復讐してやろうと思う。それは、存在を忘れられたというか、存在が完全に消されてしまったんだという、そのむなしさというか。だから、彼が脱獄して帰ってきて、村にウェルカムで迎えられたら、たぶん復讐しなかったと思う。だけど、一番悔しいのは死んだという情報があったにせよ、ただ十何年いなかっただけで存在が消されてしまうんだという、そういうところに復讐の一番の原点があるという風にしました。

だけど、その時すみれだけはニアミスですれ違わせてるんですね。たかがボートがすれ違うだけの部分、暖の背中を見せるだけなのに何かを感じとるすみれという演出にしました。特に第2話は、いろんなことが集約された回になってると思います。

--暖とファリア真海(田中泯)が出会うシーン
あんな狭い場所で小汚い男たちが2人だけでいるのはどうなのかなというのがあって(笑)。でも、あのシーンが一番編集とか時間がかかった部分ですね。引いたり足したりして苦労しました。

--暖が星を見たくて塀の上にある窓まで少しずつ登れるようになるシーン
感情の起伏とか、思いとか、狭い場所の中なので、そこで躍動感とか成長の部分を伝えるにはどうすればいいかと思って、それであの描写を入れたんですね。だから星が見たいというのもあるし、そこに目指すものがあるというのもあるなと。
ちょうどニュースでボルダリングがオリンピックの競技になるとか、そういうニュースがあってヒントになりました。

--第2話のシーンで、ディーンさんは多言語を話したり、第3話では魚をさばくシーンもあったり
ディーンさんは語学が堪能な人ですから、それを使うというのもそうですが、彼はやっぱり何でもできますね。料理もうまかったですし、運動神経もいいですし、海の中でナイフを加えて脱出するシーン(第2話)なんかもよくやってくれました。

--最終回に向かう終盤の『モンテ・クリスト伯』の見どころ
前半は小さな港町から始まった青春群像だったんですけど、中盤の見どころはやっぱりこの時代になって新たに登場した女性たちの生きざま、女性はなんて怖いんだ、強いんだという部分ですね。そして後半に向けては、真海が復讐というものに行き着いたところに何があるのか、何が見えるのか、もしかしたら復讐に行き着かないかもしれないし、復讐が生んだものは一体何なんだという部分です。

あと楽しみとしては、唯一と言っていい若いカップルで、復讐劇というこのドロドロのドラマの中で清涼剤でもある信一郎(高杉真宙)と未蘭(岸井ゆきの)の、“ロミオとジュリエット”のような関係も進展して、復讐の中にあいまみれていくところも見どころです。




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