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多様な文化を享受した島国-マニラの旅

2008-12-23 23:10:03 | 旅行記

 「いよし国際交流の翼」訪問団も12回目を迎えた。これまで訪問した国は、中国・台湾とシンガポール・マレーシア・タイ・カンボジア・ベトナム、そして今回のフィリピンと8つの国・地域になった。中国各地・ASEAN諸国の市民の実際の暮らしぶり、教育や福祉の実情、海外で活躍する日本人、日本語を学ぶ若い学生たちとの交流を通じて国際理解を深める貴重な体験の旅となっている。Img_0230_edited_3 振り返れば、この10年間で中国をはじめ東アジアは大きく変化しており、これらの国々と日本との関係がますます緊密になることが求められている。東アジアは、経済を中心に急速に一体化しており、ASEAN+3(日中韓)首脳会議において「東アジア共同体」づくりに向けた議論も本格化しつつある。「アジアによるアジアの再発見」-市民レベルの交流を通じた私たちの事業も、こうした大きな流れの一助になるのでは、そんな思いで「翼」の旅が続けられてきた。

 Img_0065_edited_3 フィリピンは、多様な文化を享受してきた抵抗の島国である。16世紀にスペインの植民地となった歴史は、マニラ中心部にある城壁都市・イントラムロスのエリアに当時の面影が残されている。第二次大戦で多くの教会が破壊されたが、唯一残されたフィリピン最古の教会「サン・オウガスチン教会」(1571年建築)は世界遺産に登録された。幸い日曜日だったためか、華やかで厳粛な結婚式の様子を見学することができた。Img_0076_edited_2 この歴史あるバロック様式教会では頻繁に結婚式が行われているようで、国民の83%がカトリック教徒というアジア随一のカトリック文化が根付いている。19世紀末、スペイン支配に抵抗して処刑されたホセ・リサールの記念館もパッシグ川を望むサンチャゴ要塞の中にあった。

 Img_0101_edited_2 今回のマニラ訪問の目的の一つは、世界三大夕日の一つ「マニラ湾の夕日」を見ること。「東洋の真珠」といわれる美しい夕日に何度もシャッターを切ったが、驚いたことは、マニラ湾に沈む夕日の時間帯になると多くの若者やファミリーが海沿いの遊歩道に次々と集まり、静かに沈む夕日をそれぞれに楽しんでいる姿であった。フィリピンは現在人口約9千万人、毎年人口が増え数年後には1億人を突破する若い国である。日本の高齢化社会から考えるとなんともうらやましい。

 Img_0141_edited_2 フィリピンは東南アジアの中で識字率93.9%と最も高く、初等教育の義務教育化が制度的にも整っている。アメリカ植民地時代の影響のもとで、英語を公用語として授業に取り入れ、6-4-4制の教育体系、初等教育の無償化などが実施されているが、人口増加や財源不足に伴う教室や教員不足、貧困などによる中退などの多くの課題を抱えている。私たちが訪れたケソン市郊外のドナ・ジュナ小学校は、生徒数が7198人、先生が145人、午前午後二部制の立派な学校だった。中央のグランドでは訪問団を迎える交流会が開催され、障害児クラス・小学生の歌や踊りが披露され、「さくら」を日本語で歌い振り付けを交えた踊りで大歓迎をしてくれた。カメラを向けるとポーズをしてくれる子供たちの人なつっこさ、折り紙や紙風船ではしゃぐ姿も素敵だった。学校敷地で行った植樹・プレートも市民交流の記念として大事にされるはずだ。

 Img_0212_edited_2 もう一つの今回の訪問施設は、フィリピンで看護師・介護福祉士を養成する専門学校である。マニラには各種の専門学校が町の雑居ビルの中にある。狭い教室の中ではあったが、実際に介護訓練の様子を紹介してくれ学生たちとの意見交換を行った。2006年に日本とフィリピンの経済連携協定(EPA)が結ばれ、フィリピン人看護師・介護福祉士が2009年春にも来日する予定となっている。政府は2年間で看護師400人、介護福祉士600人を受け入れる計画で日本での3~4年の研修後、国家試験に合格すれば滞在できる制度となっている。アジアの中で高齢化・人口減少が一番進む日本で、絶対的に不足する介護士をフィリピンなど海外からの人的支援として必要とする時代になっている。学生たちは英語が堪能でホスピタリティにあふれている。「フィリピンでは、親やお年寄りを大切にします」「日本で是非働きたい」と日本への専門職としての就職に大きな期待を膨らませているようだった。

 Img_0115_edited_2 今回のツアーでは、副団長の大塚房子さんが高校生のときにお世話になったシスター・イノセンシアさんにマニラで再会するというドラマチックな場面もあり、経営されている孤児院に古着などを寄付することもできた。『ああモンテンルパの夜はふけて』(渡辺はま子)の唄にあるモンテンルパ刑務所の日本人記念墓地に顕花を行ったが、第二次大戦の戦争犯罪者として処刑された17名の犠牲者もまた日本とフィリピンの歴史を物語っている。Img_0243_edited

  最終日には恒例の日本語を学ぶ学生たちとの交流。フィリピンでNO.1といわれる私立ラサール大学の日本語学科の学生たち15名との交流会が行われた。フィリピンは農林水産業を主要産業としているが、近年、トヨタ・ホンダなどの自動車メーカーの進出やキャノン・NECなどエレクトロニクス製品の加工貿易が経済を牽引している。フィリピンの大学進学率は約30%、毎年40万人以上の大卒者のうち約11万人が商業・経営関係、8万人がITやコンピューター関連の学科を卒業している。Img_0174_edited_3 英語能力の高い大卒者は、アメリカや日本のソフトウェア関連人材としても期待が高いと聞いた。日本語を学ぶ学生たちも日系企業への就職や日本への留学を希望していた。

 Img_0063_edited_2 マニラの街中を走る派手な飾りをつけたジプニ-。米軍の使っていたジープを15人ほど乗れる乗り合いバスに改造したものだが、網の目のような路線で乗りたいときに乗れ、降りたいときに降りれるという便利な乗り物だ。都市の活況とともに農村部には広大なバナナやパイナップル畑が広がっている。しかし富裕層と貧困層の対立、高い失業率、海外出稼ぎ労働者による送金経済で成り立つフィリピン。アロヨ大統領への支持率も30%台と政権への批判も強いと聞いた。スペイン・アメリカ・日本と何度となく他国の支配を受けながら自国の独立と文化を勝ち得たフィリピン。この国の抱える問題を垣間見ながら、交流した子供たちや若い学生たちに未来はかかっているのだと感じる国際交流の旅となった。

 


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