







途中から聴きました。
4時25分頃からでしたので改めてラジルラジルで聴きたいと思います。
後半部分は、
・目の病気についてのお話。
・義母や実母への介護。
・母への思い
・「見えなくても生きていく覚悟」ができてから、胸をはって生きることができた。
・笑顔で生きていきたい。
・80歳までを目標にフルマラソンを続けていきたい。
・あなたにあえてよかった。
追加:ラジルラジルで前半を聴きました。10月8日7時から聴収、
聞き手は、さかぐちけんいちろうディレクターです。
・網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)で失明するまでのお話。
・トレーニングは週3~4日。月200km走ります
・練習場所は岡山県総合グラウンド。オリンピアンの人見絹枝さん、有森裕子さんの銅像がある。
・60歳で伴走者さんに遭って始める。14年間。
・伴走者が一緒に走ってくれて初めて安心して走ることができる。
・ラジオ深夜便で車いすでホノルルマラソンを走った人の話を聴き一念発起する。
・国内でのマラソンを目指す(制限時間がある)→歩くことなく5時間を切ってゴール。
・キルギスマラソンの思い出。1600mの高地マラソン、100余名参加、女性10名、70代1名(わたし)。
キルギスと人との交流。大歓迎してもらう。そして岡山の自宅にキルギスから来てもらい宿泊も。
・モットー:今日のせい一杯を走る。余力を使い切る。
ここから後半に戻ります↑
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貝畑さんからメールが入りました。
10月8日(木曜)午前4時に私達のアイドル久保ちゃんが出演します!
朝早い時間ですが、聞きたいです!NHK第一放送(ラジオ)です!
もし聞き逃されたら、ラジコ(スマホのアプリ)でも聞くことができますよ。
楽しみですね。
写真は昨年のおかやまマラソンのスタート前の久保さん(中央)です。
久保 瞳(視覚障碍者ランナー) ・マラソンで得た第二の人生
岡山県にお住いの久保さんは今年74歳、30歳半ばのころ医師から50歳までに失明すると告げられ48歳で目が見えなくなりました。
病名は網膜色素変性症でした。
マラソンで得た第二の人生、久保さんに伺いました。
月、水、金と土(月に2回)、一ヵ月に200kmぐらい走っています。
紐を結んで手を取り合いながら走っています。
岡山市総合運動公園は人見絹江さん、有森さんの像がありオリンピックでメダルを取った人です。
50歳の時にマラソンブームがあり、新緑の風を感じて走れたらどんなに気持ちいいだろうと思ったのがきっかけでしたが、伴奏者がいなくて10年が過ぎて、60歳の時に20歳若い私と同じ病気の彼女が電話をくれました。
紐と言葉で段差があるとかカーブがあるとか説明を受けながら走るので安心できます。
ラジオ深夜便の放送で沖縄の男性で両足義足の人がホノルルフルマラソンを完走したという対談を聞いてしまって、私は目は見えないが自分の足があるのでフルマラソンを走ってみたいと衝動にかられました。
一度でいいからホノルルに行きたいと言ったらリーダーが行こうと言ってくれました。
練習をして、伴奏リーダーが大腸がんになってその年のホノルルマラソンは行けなくなりました。
ホノルルマラソンは時間無制限ですが、ゆるい制限時間で参加できる大会が日本にもあるという事で、63歳の時に宮崎の世界青島太平洋の大会にエントリーしました。
走る時に伴奏リーダーさんに2つのお願いをしました。
一つはゆっくりでもいいから歩くことなくゴールがしたい、5時間が1秒でも切れたらという事でした。
制限時間が6時間30分でした。
結果は4時間44分11秒でした。
うれしくて周りに報告しました。
65歳で吉備路マラソン、第一回神戸マラソン、ホノルルマラソン、そのほか沢山のマラソンに参加して走りました。
72歳の時にはオーストラリアのゴールドコーストのマラソンに行きました。
岡山の盲学校の元教頭の竹内先生がモンゴルに盲学校を作って、その後キルギス共和国に視覚障害者の訓練施設を作って、それを見届けるために行くのでという事を先生から電話があり、シルクロードマラソンもあるという事で走りたいと思って一緒にいきました。
6000m級の山々が連なっていてまだ貧しい国でした。
走るところは1600mの高地でした。
フルマラソンは100名ぐらいの参加で女性は10人で70歳は私一人でした。
風景などの説明があり想像しながら走りました。
15km付近でお腹具合あが悪くなりトイレに行きたかったが、身振り手振りである男性に伝えて畑のなかのトイレに連れて行ってくれました。
お礼を言ったら大きなチューリップをくれました。
言葉は全く通じませんでした。
チューリップの色は赤でした。
制限時間は7時間でしたが、5分前にゴールすることができました。
おばあちゃんがゴールしたという事で大変な歓迎を受けました。
NHKだったと思いますが、「世界ののど自慢」がありキルギスで優勝したグルムさんという女性が日本に来て「涙そうそう」を歌って、岡山でもコンサートという事になりました。
グルムさんを含めて通訳の方とか4人が我が家に一泊泊まっていただくことになりました。
グルムさんは全盲の方です。
30代半ばで見えない部分がある言うことに医者に行きましたら、網膜色素変性症という事でした。
50歳までに失明すると告げられとてもショックでした。
私は一般臨床検査師をとりました。42歳で段々見えなくなる中で姑さんの介護をしました。
最後は姑さんは入院しましたが、手をさすっていたらしばらく握って離さなかったんで、私の介護に納得してくれているんだなとほっとしました。
母の介護もしました。
そのうち天国で母に逢えたら見えなくなったけど大勢の人に支えられて結構楽しい人生だったよと、報告出来るようにこれからも生きていきたいと思っています。
夢は80歳を目標にフルマラソンを走り続けたらいいと思っています。
自分から笑顔を発信しながら生きていけたらいいと思っています。
転載終わります。
お読みいただきありがとうございました。
今朝、藤田さんよりメールを頂きました。
新作俳句と川柳です。
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河川敷 グリーンに映える 彼岸花
ももパには ピンクが似合う 仲間達
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ありがとうございました。
すてきな俳句と川柳ですね。
パチパチパチ!
以前のメールに追加しました。画像も送っていただいたのですが掲載できませんでした。申し訳ありません。
以下は以前のメールです。
おはようございます。藤田ばーばです。
ももたろうパートナーズに走り始めて14年が来ます。
来月で…これからも走る人よろしくご指導お願いします。
↓ 昨年の3月の写真です。朝の挨拶時です。マスク姿ではない貴重な写真です(右から二人目)。
↓ この夏の写真です。準備体操中です。マスクが欠かせません。
↓ 朝の挨拶時です。後ろ姿です。この夏です。
藤田さん、ありがとうございました。
こちらこそご指導よろしくお願いします。
お読みいただきありがとうございました。
※皆さんの自己紹介お待ちしています。
ももたろうパ-トナ-ズの皆様へ
認定NPO法人ヒカリカナタ基金理事 中川美登里です。
ご存知の方も多いと思いますが、ヒカリカナタ基金のアピールをさせて頂きたいと思います。
理事長の元岡山県立岡山盲学校教頭の竹内昌彦先生は、過去30年間で全国で2500回以上の人権教育に関する講演活動を行っています。
全盲である竹内理事長は、日本の盲人は恵まれている、きちんと教育も受けられ職業にも就ける、しかし開発途上国ではそれは叶わない。
そんな国に住む盲人に職業を持たせてあげたいとの思いから、講演の謝金や募金などを元に、視覚障害者のための職業訓練校をモンゴルやキルギスに設立しました。
キルギスの学校設立時には、ももたろうパ-トナ-ズの久保瞳さんも同行され、丁度行われたマラソン大会に参加し完走されて、キルギス国内で超有名人になられました。
その後、現地での現状を見ると、日本では簡単に治る目の病気が原因で多くの子どもが失明していることが分かりました。
職業を提供することも重要ですが、それ以前に目が見える人生を提供することが出来れば、それの方がもっと価値がある!
自分自身が元気なうちに1000人の子供たちにヒカリを届けたい との想いでNPO法人ヒカリカナタ基金を設立しました。
今年これらの活動が認められ、ひとつステップアップして「認定NPO法人」となりました。
現在までモンゴル・キルギスの職業訓練校については、過去300人を超える卒業生がそれぞれの技術を生かし職業に就き、生活が劇的に向上しています。
モンゴルの学校は、現在国営になり、国によって運営されています。素晴らしいことが起きてます。
また、小児性白内障等の眼病の手術を行った子供たち、モンゴル3人、キルギス124人、ネパ-ル21人、ミャンマー16人、カンボジア62人の合計226人にヒカリを届けることが出来ました。
ミャンマーでは、手術1年後に私たちに会いに子供たちが来てくれて、医師、学校の先生、エンジニア、画家になりたいと、目が見えるようになったからこその将来の夢を語ってくれ、涙が止まりませんでした。
今期はコロナの影響で各国には行けませんが、現地の医療機関や支援NPO法人と連絡をとり、累計300人は達成する予定です。
国内での活動としては、約10年前に点字ブロック発祥の地に記念碑を建てました。
今年は10周年でしたが、コロナ禍で中止とした点字ブロックの日のイベントを2021年3月28日(日曜日)に行います。
ももたろうパ-トナ-ズの皆さんに是非参加して頂きたいと思っています。
予定を空けていて下さいませ。
詳細は後日改めて報告させてください。
これからも認定NPO法人ヒカリカナタ基金の活動支援、応援をよろしくお願いいたします。
※ご紹介ありがとうございます。
素晴らしい活動ですね。
写真はミャンマーの活動でしょうか。
「ヒカリカナタ」を「遥かカナタまで届けます」。
ありがとうございました。
ブックマーク欄にヒカリカナタ基金のホームページを載せています。
クリックしていただければと思います。
お読みいただきありがとうございました。
こんにちは、二宗祐樹と申します。
私は中学3年の時に、盲学校の先生の紹介で桃太郎パートナーズに入会しました。
桃太郎パートナーズに入会してから高校を卒業するまでの学生時代は朝早く学校に登校し、学校の先生にお願いして朝ランニングを10分程度しました。
朝の運動場は気持ちよく、ランニングをして良かったです。
また学校では冬に授業で操山登山や20分完走などをしていたので、運動量が多かったです。
また、駅伝やマラソン大会にも出ました。当時は3キロしか走れませんでした。
出場した主な大会は、早島駅伝、御津健康マラソンなどでした。
そして学校を卒業してから埼玉県所沢市の訓練施設に入所しました。
そこで、2017年の6月に東京の代々木公園と所沢の航空公園でメインに活動しているバンバンクラブという視覚障碍者の伴走クラブに入部しました。
他にも東京近辺で活動しています。入部のきっかけは、祖母の紹介と、施設の掲示、ランニングを続けたいということでした。
最初は近くの航空公園で走っていましたが、途中で代々木や葛西臨海公園などでもしていることを知り、最寄駅までの歩行が慣れた頃からは代々木や葛西に参加するようになりました。
参加当日は最寄の新所沢駅から公園の最寄駅まで駅員さんに介助してもらって行きました。
桃太郎パートナーズとの違いはいくつかあります。
まず参加申込期限が火曜日までと決まっていて、木曜日ぐらいにはマッチングリストがメーリングとホームページで発表されることです。
マッチングリストが前もって発行されることで、当日の伴走者が前もって分かります。
当日は最寄駅で伴走車と待ち合わせし、公園まで行きます。現地集合する時もありました。
次に、シャッフルランがあることです。これは1周(1キロ)ごとに伴走者が変わるものです。私も何度も参加しましたが、いろいろな人と走れて楽しかったです。
また英会話ランチやミュージックピクニック、バーベキューや花見など、イベントがたくさんあって楽しかったです。
そのクラブは練習時間が3時間近くあったので、私は10キロほど走りました。
他にも代々木公園で活動している団体を3つおしえてもらい、参加していました。
バンバンは毎週土曜日、他の活動は週替わりで日曜日にありました。
アキレスふれあいマラソンなどのたくさんのマラソン大会に出場し、10キロ走れるようになりました。
キロ7分ほどで、10キロのマラソンの記録は90分程度でした。私は東京近辺でのランニングは楽しかったです。
そして2019年の1月に岡山に帰り、桃太郎パートナーズへの参加を復活しました。
岡山に帰った後、西大寺マラソンと赤穂義士マラソンで10キロ、早島駅伝で2.5キロの駅伝に出ました。
関東でのランニングの成果が出て良かったです。
家では夏以外は、時間がある時に父とランニングをしています。家の周りを30分ほど走っています。
また数か月前からはランニングの時間を増やすために、桃太郎パートナーズの会場に30分早く行って開始前に少し走り、終了時間も30分遅くしています。
練習時間を増やす前は5キロしか走れませんでしたが、時間を増やしたことで距離が増えて良かったです。
今はコロナの影響でマラソン・駅伝大会はありませんが、これからもランニングをがんばって走距離を増やしたいです。
体重も減ってきたので、これからもどんどん減らして、スリムな体を作りたいです。
写真:津高・さるばいけです。グリーンのジレを着ています。
↓ 森の中を快走中です。
↓ 岡山県知事の三木行治さんの墓地の下を通ったときの写真です。
※関東の詳しい情報ありがとうございました。
みなさん、いろいろ工夫されていますね。
とても参考になりました。
二宗さんの行動力にも驚きました。
すごいです。
ありがとうございました。
ぞくぞくと自己紹介メールが届きます。
お待ちしています。
お読みいただきありがとうございました。