内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

字の綺麗さ

2021-02-12 21:33:17 | ビジネス境界線
習字について

小学校で習字の授業があると
とても違和感を感じていたのを
少し覚えています

先生が下手だから
採点や指導を受けたくない
そう思うのです

いや
「な」
「る」
はこっちの方が美しいだろ
お前偉そうに何言ってるんだ

とこう思うわけです


字を綺麗と思うのは
どういうメカニズムなのか

よくわかりませんが

人間自体が決まって好む
線と空白の空間を含む全体の感覚と

育ってきた環境で培われる
自我の境界線のタイプによって
感じる感覚


のブレンドなのではないかと思います


この二つの基準軸を言い換えると

①生まれもってきた
ある程度大人数に共通する判断軸と

②環境から手にいれた判断軸

の二つとどうやら言えると思います


小さな頃は
②について自分が選択することは
難しく
自分を育てている誰かの思惑に
随分と左右されます


私は比較的絵にかいたような
上級階級の幻を抱いた
親に育てられたので
何となく上品な教養を醸し出す文化に
ちょっとだけぶちこまれる
という幼少期を過ごしてきました


自分が少し興味があるものも
ありましたが
大多数は苦行意外の何者でも
ありませんでした


私はよく分からず静かにしていなければ
ならない音楽のコンサートが
とても退屈でした

だからプロのピアニストが
一つの曲で何回間違えるか
そこだけをいつも数えていました

私が
「今間違えた」
といっても誰もそれに気づかないことに
苛立ちも持っていました


私にとってもともと音楽というものは
それくらいなものでした

確かに面白いと感じる要素は
色々とあるにはありますが
「間違えてはいけない」
という圧倒的なプレッシャーと戦う修行
「感情は表現しなければならない」
という感情への圧倒的な強制感

この最悪な信念は音楽から
植え付けられたといっても
過言ではない

勿論音楽から得た大きな財産もあり
「出来ないものは細かく分けて
繰り返し練習すると
いつかできるようになる」
という練習法が身に付いたことは
あります

ここで大事なのは
強制されたものは
決して本当の意味で
自分の基準とはならないということです


私はピアノの先生が
「この感情表現を表すために
こう弾きましょう」
という部分に何度も心のなかで
反論してきました

「おれはこう弾きたい」
「こう弾いた時の音を自分に聴かせてあげたい」

そう思っているのに
それを強要される

これは控えめに言って地獄でした

だから今でもそのピアノの先生に
反論したところの基準は
教わったものには合わせない

例えばペダルで音が汚なくなるから
ここはいっそのこと全部ペダルは
踏まない

私はコンクールで入賞しようとはひとつも思っていない
この地獄から逃げられないのであれば
せめてただ自分が気持ちいいと
思う音にさせてくれ
という状態

私はアンビエントのように
音同士の輪郭がはっきりしなかろうが
ペダルを踏んで
爆発的に「盛る」演出を
常に吐き出したかったのだ

私が小学生の時に
表現したかった感情は
「怒り」であり「暴力」である


私は中学くらいになってから
課題曲を決める際に
その気持ちを一回先生に
打ち明けた事があります

「長調の曲は無理
短調でとても激しい曲しか
弾きたくないし聞きたくない」


私にとっては
「どれだけ暴力的か」
音楽については
美しさの基準であった
ということです

そしてその基準は今でも変わりません
デスメタルなど
最も美しいと感じます



話を戻すと今思い出すと
色々な強制的な習い事をさせられ
いい思い出がない中でも
一つだけ
「ああ、あの人の感覚は素敵だったな」
と感じる人がいました



ボロボロの一軒家で
突然どこからか移動してきた
習字の先生

その頃でもう60くらいに見えました

白髪と髭を生やしっぱなしで
いつもその和室で和服で
ちょんと座って待っている

まさに仙人


何もしゃべらない
何も怒らない

その日の書くお題が決まっていて
確か好きな時間にいって
好きなだけ書いて
見てもらって
「ここがいいね」
とかいって何も言わず
手本の字をそっと書いてくれて
返してくれる
全ての先生の字が凄いと思わない時も
あったが
いつも「はらい」の部分の美しさには
目の前で
すっとそれが出来上がっていく様に
見とれていた

何度自分で試しても同じ魔法のような現象は起こらないのです

今でもその時の朱色を
しっかり覚えているくらい
私はあの先生に心底
憧れていたんだなと思い出した

それは先生の字に対しての
憧れというより

「人間としての接し方」
にあるんじゃないかと思う

人間として憧れが起こると
自然とその基準が自分の中に
入ってくる


私は確か小3くらいで
人見知りも激しかったので
書いている人が少なくなると
照れくさくてすぐに帰っていた

でもとにかく
居心地がよかった
ということは覚えている



こうやって私の美意識は
作られてくる


結局人だ


この人がいいと思えば
その人の基準は美の一部になる


これが②の要素だとしみじみ思う