人間関係が上位に上がる退職理由
転職の際には必ずきかれる質問
「この人がどうしても駄目」
という理由は
それを知らない人が聞くと
全く理解できません
「上司はこんな時に
こんな風にするんです
こんな人間なんです
どうしても耐えられない」
こんな説明になっても
その人や環境が分からない人が聞くと
全く理解できない
それどころか感情の捌け口に
されている気もするし
そこから逃避するための
当て付けでここにきたわけだ
と思われるでしょう
でもやっぱり
本当に人間関係が理由であることは
実に多いのです
拡大解釈してしまえば
どんな理由も
人間関係という言葉に
当てはまってしまいます
同じ理由でも
自分に合った転職先を
見つけられるかどうかは
転職をするタイミングだと
私は思います
何のタイミングかといったら
自分の心の調査の進捗ということです
人間関係の問題を
誰かに何とか聞いてほしい
というような心の状態は
恐らく先に挙げた例のように
なってしまう
もっともっとじっくり考察をして
「どうしてこの人が耐えられないのか」
「今までの感情は自分の何と相手の何がぶつかっているのか」
この辺りを明確にしていかなければ
自分が中心に動ける状態
すなわち主体が
自分に戻ってこないのである
人間関係が発端であったことが
突き詰めていけば
自分の中の問題に自然と
落ち着いてくる
ここで人間は
主体を取り戻すのである
私の場合は
ある恐怖症が自分にあり
それをもたらすのが
それを知らない相手であり
なおかつそれを告白すれば
それを利用されてしまう状況
であったとか
→恐怖症がなければ問題は起こらない
自分のビジネスと相手のビジネスの
商品同士の相性がとにかく合わない
とか
→ここだけはどうしても譲れない飯の種同士がぶつかっているからどちらかが退場するしかない
自分の飯の種が変われば問題は解決する
信念同士が正反対だとか
→この信念がなければ
問題は起きていない
この辺りまで分かってくると
それはもう人に説明するときには
「人間関係」が理由ではなくなる
むしろ自分は
こういう思いや信念を大事にしている
ということが
敵がいることで
よりはっきりしている
その主体を持った自分は
自然と外に目を向け始める
そして自分の思いと似てそうな会社を
探して応募する
ここまでいくともう勝手に出会うべき
会社にであるのである
反対に自分の中に問題をおとしこめて
いない状態では
宝くじのようにさまようことになる
それを面接する方はすぐにわかる
だから不採用にする
ただこれは幸せな結末だ
その会社はきちんと判断の上で
はじいてくれているということは
採用してくれたと等しいほど幸せだ
腐った組織ではこう思うだろう
奴隷として雇うに最適だ
もしくは人間という要素を全く意識
しない会社では能力やキャリアのみで
判断され採用
入社後にまた人間的な要素で
苦しむことを繰り返す
サラリーマン目線であっても
自分に主体があるかどうかは
自分の飯のミチを切り開く上で
最も大事だと思います
それは悩みの問題の要素を
自分の中に発見できるかどうかに
かかっていると思います