堤防の左は水田が広がっているが土はどす黒く見え、田植えの準備もされていない。 ということは津波が堤防を越えて、一帯は水浸しになったのだろう。 河口から10kmに及ぶ堤防の破壊、津波の浸水はちょっと想像できなく、現場を見て改めてそのすごさを思い知らされた。
一路内陸を横断して気仙沼を目指し、海岸近くの本吉という町に出たが、道路脇に破壊された耕運機や農業機械がうず高く積まれていた。 海岸から3.5kmほど入った内陸だが川伝いに津波が遡ったのだろう。 津波は海岸だけでなく川沿いの町や田畑を呑み尽くし、漁業、商業、農業の全てを台無しにしてしまった。
大谷海岸という海水浴場の道の駅で一休みしようと思ったが、壊れたままで仮設トイレしかない。 高台の家も大半は破壊されている。 元の海水浴場に戻るのは何時のことだろうか?
気仙沼に近づくと瓦礫処理のショベルカーなどが盛んに作業している。 見渡す限り町は破壊されて何も残っていない。 ここは南気仙沼で、震災、津波の直後、重油が燃えて町中火の海になったところだ。 積み上げられた大量の車は全部茶色に錆付いていたのは火災で塗装が融けて無くなったからだろう。
2年前に来た時に歩いた道を辿ってみた。 気仙沼駅から港へ下る道は以前と変わっていないが、港や魚市場、魚マーケットなどは、建物は残っているが廃墟同然。 町も多くの商店や民家がなくなり歯抜け状態だった。
広場の復興店舗の喫茶店でコーヒーを飲んだ。 お店の人は大谷海岸にお住まいで、1階は津波で全部の家財が流されたそうだが、幸い家は無事で住んでいるとのこと。 しかし数ヶ月間の不便だった生活や多くの隣人を失い、この町が元に戻るのは10年以上かかるのでは・・・と。
町の北側も全滅状態で大きな船が乗り上げたままだ。 少々のクレーンではとても移動できず、いずれ壊さないといけないのかもしれない。 1年以上経ってもまだ手付かずのものがたくさんある。
大谷海岸 海水浴場の案内図
南気仙沼の瓦礫処理作業
火災で焼けて錆付いた車の山
気仙沼の復興店舗でコーヒーブレイク 繁盛して欲しい
気仙沼の町に打ち上げられた大型船
一路内陸を横断して気仙沼を目指し、海岸近くの本吉という町に出たが、道路脇に破壊された耕運機や農業機械がうず高く積まれていた。 海岸から3.5kmほど入った内陸だが川伝いに津波が遡ったのだろう。 津波は海岸だけでなく川沿いの町や田畑を呑み尽くし、漁業、商業、農業の全てを台無しにしてしまった。
大谷海岸という海水浴場の道の駅で一休みしようと思ったが、壊れたままで仮設トイレしかない。 高台の家も大半は破壊されている。 元の海水浴場に戻るのは何時のことだろうか?
気仙沼に近づくと瓦礫処理のショベルカーなどが盛んに作業している。 見渡す限り町は破壊されて何も残っていない。 ここは南気仙沼で、震災、津波の直後、重油が燃えて町中火の海になったところだ。 積み上げられた大量の車は全部茶色に錆付いていたのは火災で塗装が融けて無くなったからだろう。
2年前に来た時に歩いた道を辿ってみた。 気仙沼駅から港へ下る道は以前と変わっていないが、港や魚市場、魚マーケットなどは、建物は残っているが廃墟同然。 町も多くの商店や民家がなくなり歯抜け状態だった。
広場の復興店舗の喫茶店でコーヒーを飲んだ。 お店の人は大谷海岸にお住まいで、1階は津波で全部の家財が流されたそうだが、幸い家は無事で住んでいるとのこと。 しかし数ヶ月間の不便だった生活や多くの隣人を失い、この町が元に戻るのは10年以上かかるのでは・・・と。
町の北側も全滅状態で大きな船が乗り上げたままだ。 少々のクレーンではとても移動できず、いずれ壊さないといけないのかもしれない。 1年以上経ってもまだ手付かずのものがたくさんある。
大谷海岸 海水浴場の案内図
南気仙沼の瓦礫処理作業
火災で焼けて錆付いた車の山
気仙沼の復興店舗でコーヒーブレイク 繁盛して欲しい
気仙沼の町に打ち上げられた大型船