つれづれ雑記

つれづれ:することが無くて退屈なこと
雑記:日常のことを何でも書きつづる

依田勉三

2011-10-22 | 旅行
10数年前に北海道を旅行した時のことなのであまり記憶は定かじゃないが、帯広郊外の広い公園の中にある開拓百年を記念して建てられた博物館はとても興味深かった。 パネルの説明によると、この地を最初に開拓したのは静岡県伊豆の人、依田勉三で、明治14年ごろ始めて狩勝峠を越えて十勝に入り、調査のため一冬「越冬」したとあった。 「越冬」という言葉は南極観測隊でしか聞いたことがなかったが、当時本州の人が北海道で冬を過ごすということは並大抵のことじゃなかったのだろう。

その後伊豆の人たちを率いて「晩成社」を結社し本格的に開拓したが、何しろ今と違ってブルドーザーも何も無いので、専ら人力と馬だけで原始林を切り開いた困難な作業だった。 その上、野火、イナゴ、干ばつ等で開拓は阻まれ苦難の連続だったらしい。 壁に大きく掲示された勉三と奥さんの写真はボロ小屋に麦わらを積んだだけの部屋で、まるで乞食のような着物を着ていた。 その2人が酪農指導に来たアメリカ人と流暢な英語で話したのでたいへん驚かれたということが書かれてあった。 確か勉三は慶応義塾、奥さんは共立女子大の前身で学んだようだ。 2人とも当時としては格別の教養高い人だったのだろう。

あの時代は高い教育を受けられることは特別な事で、その人たちの多くは自分の利益や立身出世を考えず、世のため人のためという考えが強かったのだろうか。 今の時代小さい頃から、競争社会で常に勝ち残ることだけが求められ、勝てなかった人や、元々競争に参加できなかった人のことは忘れられがちだ。 競争社会でもあるが、その前に共存社会であることを、小さいうちか良く教えていかなければならないだろう。

「晩成社」はその後解体したが、帯広の有名菓子店「六花亭」のマルセイ・バターサンドの丸に成のマークは晩成社のもので、当時のバターのルーツを受け継いでいるということだ。

帯広百年記念館


依田勉三


マルセイ・バターサンド





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