北のはげおやじの徒然日記

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命の灯火が

2020-08-03 10:56:35 | 日記
我が家の愛犬「耕太」が息を引き取った。
15歳の誕生日(8月10日)直前の1日19時頃。
ほぼ、犬種の平均寿命のようだ。

3年くらい前から、情緒が少し不安定気味になり、われわれ
夫婦が旅行に出ている間、預っていただいていたペット預り
業者の方から、「夜鳴きが激しく、他の犬などに影響が大きく
なってきた為、今後の預かりは申し訳ないができない。」と言
われ、以降、愛犬を中心に据えた生活に切り替え、今日に至
っていた。

旅行は3年前の奥多摩のオフ会が最後で、5〜6時間ほどの
外出も、必要な場合には、夫婦どちらかが残るように心がけた。

1年ほど前からは、目に見えて身体機能の衰えが目立つように
なり、居間のソファーに飛び乗り、横になっている事が多かっ
たが、いつの間にか飛び上がる事ができなくなり、それ以降は
床に敷いたクッションに横たわるようになっていた。

半年程前からは、歩行そのものがおぼつかなくなり、とぼとぼ
歩きから、日常の散歩も半分は妻が抱きかかえて散歩(?)す
るようになり、2ヶ月ほど前からは、後ろ足のコントロールが
うまくできなくなり、尻餅をつく形で転ぶ事が多くなり、一旦
転ぶと、手をかさなければ立ち上がることもできなくなってい
た。

2週間ほど前からは、完全に歩行ができなくなり、食事さえも
うまく喉を通らなくなってきていた。

先週の水曜日、それまで、熟睡はしないものの、夜鳴きなどは
しなかったが、苦しいのか全身痙攣を伴いながら夜鳴きを続
け、妻が抱きかかえてさすっても痙攣と夜鳴きは止まず、深夜
2時頃に、たまらず札幌の夜間救急を取り扱っている動物病
院へ連れて行ってきた。(小さい頃から診察していただいてい
た動物病院のドクターは、学会参加のため、休診していた)

翌日も、他のクリニックで点滴などを受け、その翌日、主治医
に診てもらったところ、消化器に出血があり貧血気味になっ
ているが、手術に耐えられる体力はなくなっており、点滴など
で延命処置を施しても、1日・2日伸ばす事が出来るだけで
もっても数日だろうから、自然の経過を待つ事に決めて帰っ
てきた。

金曜日には、食事も取れなくなり、鳴き声にも力がなく、目
をつむり息をしていることをお腹の動きで確認できるだけ
の状態になっていた。

そして、土曜日20時頃、寝たきりの状態の耕太を確認する
と息をひきとっていた。

主治医との話からその時が来ることは覚悟していたので
慌てる事はなかったが、「ありがとう」の言葉が頭に浮かん
だ。妻も私も悲しくて取り乱したり、涙を流す場面はなか
った。決して気持が冷たいわけではなく、われわれの人生
を豊かにしてくれたことへの感謝の気持が自然に湧いて
きた。

痙攣し夜鳴きを続け苦しそうだった状態から解放され、
しかもロウソクの火が静かに灯火を消すように最後を
迎えてくれたことは、耕太の為にもよかったと思っている。

晩年の耕太の姿は、我々の晩年の過ごし方を考える見
本になってくれたように思う。

エピソード
何年ごろだったか忘れたが、耕太を連れて散歩によく出
かけた。リードをつけた散歩だけではかわいそうと、石
狩川や豊平川の河川敷に出かけては、人混みを避けて、
自由にかけまわれるようにしてあげた。
ある日、いい時間、駆け回り、帰ることを促すと、いつもな
ら駆け寄って来る耕太が、藪の中で吠えて来ない。
仕方なくこちらから近寄って行くと、藪の中にご老人が
倒れていた。息はしていて、言葉をかけても返事がない
為、救急車を呼び、処置をしていただいた。警察も来ら
れて、第一発見者である妻が色々事情聴取された。当日
の救急隊員の話によると、脳溢血などにより倒れていた
のではないかとのこと。季節は11月だったので、耕太が
発見しなければ、凍死していたのではないだろうか。残
念ながら、その後のことは、消防や警察まして、倒れた
ご本人やご家族などから一切の連絡がない為、どう
なったのかはわからない。

ブリーダーで4匹産まれた中で、一番黒っぽいのに決めた。


2ヶ月間親と一緒に生活してもらい、10月にひきとった


我が家に来たばかりの頃




ソファーに飛び乗り寝ているところ




河川敷などで放すときにも、リードはつけたまま












日曜日、市営の火葬場にお願いし、荼毘に付して遺骨を引き取り、
今は居間のサイドボードの上で骨壷に収まっている。

日曜日、朝には長男が孫を連れて最期のお別れをしに来てくれ、
荼毘にふす現場にも同行してくれた。(孫は寝てしまった為、自宅
に一旦連れて帰った)

遺骨を引き取った後、昼だったので、長男と3人でイタリアレストラン
で会食した。

シャレた料理だった。

ビーツとジャガイモの冷製スープ


極細パスタカッペリーニを使ったトマトとバジルのパスタ


趣が変わって美味しかったが、本当は、せっかくイタ飯屋に来たので
私はペンネ料理をいただきたかったが、メニューになくちょっと残念。
たまに親子三人で会食するのもいいものだと思った。

さて、旅行を再開できるようになった。早速、三男から遊びに来るよう
誘いを受けたが、コロナ禍や私の歩行能力の低下から、どうなりますか。



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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (sinjyusai)
2020-08-03 13:10:44
こんにちは。

お疲れ様でした。

私も犬や猫を沢山飼って
何回も見とりました。

可哀想ですが仕方ないですね。

気を落とさないようにしてください。
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Unknown (一年生)
2020-08-03 14:44:37
こんにちは

耕太君、幸せな一生だったようですね~

人の命も救ったなんて、人間でも中々

経験できないことです。

カメラ(写真を撮る人?)を見る目がいいですね~

耕太君のご冥福をお祈りいたします。





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Unknown (vell24)
2020-08-03 20:06:48
こんばんは。
耕太くんのご冥福をお祈り致します。

若い頃の写真を拝見するととても男前ですネ。

人命救助もしたなんてスゴイ活躍したのですネ。

最期は苦しまずに静かに迎えられて良かったですネ。最期に苦しむのはやりきれなくなりますから。そして最期までチャント面倒を見てあげられて良い飼い主さんですネ。

札幌には犬に対応してくれる市営の火葬場が有るのですネ。それは良いです。船橋には民間のは有りますが、市営はなく、市に任せるとゴミとして処分されます。コレが結構悲しいです。
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真珠彩さんへ (北のはげおやじ)
2020-08-03 22:16:49
いつか訪れる別れの時なので、
その別れの瞬間までどのように
かかわっていったらよいのかを
考えながらの対応でした。

妻が中心に世話をしてきたので、
妻が十分に対応できたと思えたら
それが一番と思っていましたが、
それができたと思えたようです。

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一年生さんへ (北のはげおやじ)
2020-08-03 22:24:57
耕太が発見した人がその後、無事に
社会復帰できていたら良いのですが、
その後どうなったのかは、わかりま
せん。

臆病な気質で、人の好みも激しく、
見知らぬ人が、かわいいと近づいて
きても、唸り声をあげて、近づくな
と意思表示をするタイプでした。

妻は、誰にでもなれなれしくしない
耕太だけに、自分には心許すことを
飼い主として満足していたようです。
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ヴェル24さんへ (北のはげおやじ)
2020-08-03 22:31:42
飼い主の欲目なんでしょうが、他の
柴犬と比べても、顔立ちや立ち姿な
ど格好いいと思っていました。(笑い)

私は札幌ではないですよ。近郊の隣接市
ですが。市営の火葬場で対応していただ
けるのは、大変ありがたいです。

市民以外には利用できませんが、職員の
方の対応も、懇切でありがたかったです。
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Unknown (furutaro)
2020-08-03 23:24:57
愛犬とのお別れ、そのお気持ちお察しいたします。
失礼ながら、愛犬にも飼い主にも幸せな最期だったのではと思いました。
幼い頃からの写真の姿や最期の様子に、わが家の場合を昨日のことのように思い出していました。
人生を豊かにしてくれたことへの感謝、そうですよね。
とはいえ、家族の一員を失った悲しみは大きいです。
これから天国で見守ってくれますよね。
どうか安らかに。
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Unknown (zuisou)
2020-08-04 07:37:26
おはようございます。

犬の寿命は人間より短いわけですから
犬を飼うということは看取る事も自然ですね

見送る悲しさよりも、飼ってる間の幸せの方が大きいと思いますしね。

これからは時間を気にせず出掛けられますね
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古太郎さんへ (北のはげおやじ)
2020-08-04 07:59:40
私が言うのもなんですが、主に妻が世話をして
いましたが、それはかいがいしいものでしたよ。

そんな関係でも、何かのきっかけで噛んだりする
ことがあり、妻は何度も噛まれていました。

妻に飼われて耕太は幸せだったと思います。


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随想さんへ (北のはげおやじ)
2020-08-04 08:06:17
時間を気にせずに出かけられるようになりま
したが、現状ではコロナ禍などで遠出はでき
そうにもありません。

旅行はもう少し状況を見てからでしょうか。
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