MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2435 もはや「コロナ前」には戻れない

2023年07月04日 | 社会・経済

 「ポストコロナ」とは、新型コロナウイルスの感染拡大によって変化したライフスタイルと、感染収束後にどのように付き合っていくかを語る際の文脈においてよく使われる言葉です。

「アフターコロナ」が、単純に「コロナ禍後の時代」を表す言葉として使われるのに対し、「ポストコロナ」はコロナ禍が社会・経済に与えた影響を踏まえ、人々の暮らしがどう変化するかを語る際に用いられることが多いようです。

 その前提には、即ち、例えコロナのパンデミックが一定の収束を見たとしても、世の中はもうコロナ以前には戻らない(だろう)という信憑の共有があります。コロナの感染拡大が経済・社会が新常態(ニューノーマル)に移行する契機となり、人口移動・分散の動きと産業構造の変化を促すと考える人が多いということでしょう。

 実際この日本でも、新型コロナによる行動制限、自粛生活が続いたことで、出社が当たり前だったオフィスの風景は一変し、仕事や生活スタイルを見つめ直す人が増えているとされています。感染の恐れが減ったとはいえ会議の多くはいまだオンラインのまま、職場の飲み会や接待の機会も大幅に減っているようです。

 三菱総合研究所が(コロナ禍の渦中にあった)一昨年の7月にリリースした報告書「目指すべきポスト・コロナへの提言」では、ポストコロナで目指すべき社会のイメージを「レジリエントで持続可能な社会」と表現し、人口移動・分散の動きと産業構造の変化が促されると予測しています。

 パンデミックとこれがもたらした経済・社会への深刻な影響を経験し、平常時の経済合理性のみを追求した社会の脆弱さを再認識するに至った私たち。ポストコロナの社会では、長期かつ質的な成長と持続可能性の大切さを再認識することで、個人のウェルビーイングと持続性を両立を求める声が高まるだろうということです。

 さて、大きな社会の変化はともかくとして、コロナへの感染状況が落ち着いてきた中で周りを見回すと、私たちの暮らしが大きく様変わりしているのはどうやら事実のようです。

 2023年に入り、「ニューノーマル(新常態)」に入ったと言われる日本経済は一体どこに向かっていくのか。経済評論家の加谷珪一(かや・けいいち)氏が5月10日の「Newsweek日本版」に、『もう元には戻れない日本経済...崩壊したコロナ以前の「前提」と、来るべき未来の姿とは?」と題する論考を寄せているので、その概要を小欄に残しておきたいと思います。

 このところ人手不足が極めて深刻な状況となっている。コロナをきっかけに高齢者の退職が進んだことに加え、ビジネス環境の変化によって、若年層が条件の悪い仕事を強く忌避するようになったことが原因だと、加谷氏はこの論考の冒頭に記しています。

 これまでの日本ではブラック労働が当たり前で、低賃金でいくらでも労働者を雇えるというのが企業にとっての常識だった。人手不足の問題は指摘されていたが、高齢者の就業率上昇と外国人労働者の受け入れによって、それでも何とかしのいできたというのが氏の認識です。

 しかし、日本人労働者の意識が大きく変わったことや、一気に進んだ円安によって日本の相対的な賃金は大きく低下。外国人を安易に雇う仕組みも事実上崩壊し、日本の企業社会における従来の常識はまったく通用しなくなっているということです。

 一方、国民からの切実な声を受け、政府のスタンスも変化していると氏はしています。

 日本には労働基準法や下請法、独占禁止法など、先進諸外国と同水準の労働者や零細企業を保護する法体系が存在していたが、企業の論理を優先するとの観点から、法の執行は事実上抑制されてきた。しかし、最近では、公正取引委員会が相次いで下請けたたきの指導に乗り出したり、残業時間を制限する法改正が相次ぐなど、労働者保護、零細企業保護を強化する動きが活発になっていると氏は言います。

 また、各国から奴隷制度と批判され、日本の恥とも言われた技能実習制度の見直しもようやく決まり、さらには春闘において経済界に対して強く賃上げ要請するなど、政府による企業活動への介入が強まっているということです。

 一方で、コロナ危機以降、日本でもいよいよインフレが深刻化しており、消費者の生活水準はさらに低下していると氏はここで指摘しています。

 とりわけ不動産価格の大幅な上昇が続き、首都圏の新築マンションの平均価格が単月で1億円を突破するなど、もはや庶民では新築マンションを購入するのはほぼ不可能となりつつあるということです。

 これまでの日本社会は、労働者に対して低賃金、長時間労働という「滅私奉公」を要求する代わりに、物価が安く、ギリギリで持ち家を買える環境を提供するという、ある種の契約関係で成り立ってきたと氏はこの論考に綴っています

 これらは「薄利多売」の従来型ビジネスを維持することと表裏一体であり、ある意味、全員が共犯者となって変化を拒む要因になっていたというのが氏の見解です。

 しかし、世界経済は日本の事情とは関係なく成長を続けており、変化を拒絶したことで日本社会は急激に貧しくなったと氏は言います。

 一連の出来事は、個別要因で発生しているように見えるが、全ては水面下でつながっている。無理を重ねて現状維持を続けた社会が、コロナという感染症をきっかけに持ちこたえられなくなっているというのが氏の指摘するところです。

 「ポストコロナ」による意識や社会の変化は、これまで日本経済に蓄積されてきた不合理を一気に顕在化させ、新しい時代への呼び水となっているということでしょうか。そして、それが日本人にとって良い方向へ進むのか(それとも破滅の道に進むのか)どうかは、この数年の私たちの判断に懸かっているのかもしれません。

 (いずれにしても)このまま何も手を打たなければ、変化に適応できた一部の層とできなかった層に二極分化することは目に見えている。低付加価値で規模だけを追う従来型の資本主義から、高付加価値で質を追う新しい資本主義への転換が必要であり、これこそが岸田政権が目指す「新しい資本主義」ではないだろうかとこの論考を結ぶ加谷氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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