MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2543 中腰でいるのは辛いけど

2024年02月14日 | 社会・経済

 今年の1月1日、元旦の日本を襲った能登半島地震。被害の全容がなかなかつかめない中、被災地では懸命の救助・復興作業が続いているようです。

 「どうしてこんなことになったのだろう…」私たちの生活基盤をひっくり返すような突然の天災に呆然となった時、そこに(原因となるような)「悪意」のようなものがあるに違いないと考えてしまうのは、ひとえに人の弱さ故のことなのかもしれません。

 今回の地震に関しても、SNS上には「某国の地震兵器」「人工地震による電源施設への攻撃」といった書き込みが相次ぎ、「人工地震」というワードだけでも、地震が発生した1日午後4時から4日午前0時までの間に約37万件が投稿された(朝日新聞調べ)とされています。

 最も投稿数が多かったのが1日午後5時台で、約3万件がつぶやかれたとのこと。同紙によれば、このうち人工的に起こした地震や津波の軍事利用を禁じる国際条約に触れた投稿が約259万回表示され、さらに(添付されていた)同条約について説明するサイトは、実に14億回以上閲覧されたということです。

 人は何故、(荒唐無稽と頭ではわかっていても)あからさまな陰謀論に興味を持ち、人によっては大きく惹かれてしまうのか。

 1月12日の毎日新聞が、『脱・陰謀論 文化人類学者が重視する「分からない」に耐える力』と題する明治学院大名誉教授で文化人類学者の辻信一氏へのインタビュー記事を掲載していたので、小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 膨大な情報が波のように押し寄せ、真実が見えづらい現代社会において、SNSなどを介し、陰謀論やデマにはまり込む人は後を絶たない。そうした中、今こそ「分からない」に時間をかけてつき合う力が必要だと辻氏はこのインタビューで説いています。

 「タイパ」という新語が象徴的しているのが、役に立たない、つまり「ムダは悪いこと」だという価値観の一般化。辻氏は、一見すると疑う余地のないこの感覚に対し、「(現代社会では)「役に立つ」ということが、ある種の強迫観念になりつつあるのではないか」という問題提起を行っています。

 スマホなどの携帯デバイスの普及やAIの台頭などで以前よりずいぶんと便利になった社会で、現代人はますます、高度なテクノロジーと競争しなければならなくなっている。まるで自分が機械の部品のように、取り換え可能な存在だということに目を向けざるを得なくなっているのが、今の社会が到達している場所だいうのが辻氏の認識です。

 検索窓に疑問を打ち込めば、「答え」や解決策が瞬時に見つかる(とされる)この時代。しかし、今ほど「ネガティブケイパビリティー」が重要な時はないと氏は指摘しています。

 ネガティブ・ケイパビリティ(英: Negative capability)とは、不確実なものや未解決のものを受容する能力のこと。判りやすく言えば、「異質なものや役に立たないこととつき合う能力」だと氏は説明しています。

 それは、見方を変えれば、「待つ」「聴く」などの「受け身の力」でもある。しかし、最近はこうした力の欠如で、よく分からないことに耐えきれず、分かりやすい答えに飛びついて、分かったことにしてしまう風潮が強まっているというのがこのインタビューで辻氏の指摘するところです。

 インターネットを通じ、拡散される科学的根拠に乏しいスピリチュアル系の情報の数々。例えば、死をもたらす未知のウイルスに対してワクチンは打っても大丈夫なのか…分からないことだらけの状況に不安が広がるのは当然のことだと氏は言います。

 一方、そんな中で分かりやすい物語を介して同じ思考を持った人が集結し、同質性によって結びつく。陰謀論も同質性の吸引力がつくる「疑似コミュニティー」の一種だというのが氏の認識です。

 陰謀論は、まさにそんな「分かりやすさ」によって支えられている。どんな事象でも「分からなさ」に縁取られているはずなのに、ネガティブケイパビリティーが欠如していれば、「これが真実です」という説に飛びついてしまうと氏は話しています。

 似たような思考を持つ人が集って共鳴する「エコーチェンバー」や自分好みの情報に囲まれる「フィルターバブル」というSNSのリスクの存在も聞かれるところ。現代人は、自分と「違うもの」と一緒にいることが、あまりにも下手になってしまっているというのが氏の見解です。

 しかしその一方で、「陰謀論か科学か」といった二者択一に陥るのも危険だと辻氏は(このインタビューの最後に)念を押しています。科学者はもちろん、注意深く答えを出してはいるだろう。しかし、グレーゾーンやあいまいさを排除してしまう効率主義や、「科学の絶対化」といった危うさにも注意する必要があるということです。

 「自分だけは真理を知っている」という魅力には、抗いがたい誘惑があるのも事実です。また、「誰かを救いたい。目を覚まさせたい」という使命感で、陰謀論やスピリチュアル系の極端な言説に走っている人もいることでしょう。

 まずは、本当に小さなステップでいいので、一見苦痛を和らげてくれるかのような「分かりやすい場所」から、外に一歩でも踏み出してみること。出たり入ったりしていても構わない。(一つの論説に固執せず)外があることに「気づく」ことが大事だと話すこの記事における辻氏のアドバイスを、私も興味深く受け止めたところです。



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