MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2544 誰も市場には逆らえない

2024年02月17日 | 社会・経済

 俳優の阿部サダヲさんが主演しているTBSの連続ドラマ『不適切にもほどがある!』が、そのぶっ飛びぶりで巷の話題をさらっているということです。

 物語は、今から38年前の1986年に暮らしていた阿部さん演じる主人公の教師が、現代にタイムスリップするところから始まります。

 世のシニア世代ならご存じのとおり、バブル経済を目前に控えた当時の日本に「コンプライアンス」や「働き方改革」などといった言葉は(欠片も)なく、セクハラやパワハラといったハラスメントもごく普通に横行していたのがこの時代。結果、38年の月日を飛び越えたタイムスリップ先でコンプライアンス上問題のある言動をまき散らしてしまう主人公に、(「あの頃はよかった」と)ある種のノスタルジーを(と痛快さ)感じるオジサマ方も多いことでしょう。

 脚本は、こういった(癖のある)ドラマを書かせたら右に出るものいない宮藤官九郎氏。「表現の自由」をがんじがらめに規制する現在のコンプラ社会を笑いに変える(ある種の)問題作として、その存在感をしっかりと時代に刻んでいるように感じられます。

 思えば、社会規範を示す「コンプライアンス」なる言葉が一般化するようになったのはごく最近のこと。しかし、この数年の間に社会は大きく変容し、社会から求められる倫理観や人権意識、公序良俗への認識が急速に高まりにより、(うっかり)昭和の感覚で話をすると眉を顰められる機会が増えたのは事実かもしれません。

 この日本の社会において、以前ならさほど問題ならなかったような言動が、これほどまでに強い非難の対象とされるようになったのは何故なのか。経済評論家の加谷珪一氏が、2月14日の総合情報サイト「Newsweek日本版」において大変興味深い視点を提供していたので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。(『松本人志「性加害」疑惑の背景にある、どんな芸能人も逆らえない「時代の変化」の正体とはつまり何なのか』2024.2.14)

 お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志氏が、女性に性的行為を強要したとする報道をめぐり、エンタメ業界に激震が走っている。今回のような(ハラスメントに関する)スキャンダルについては、昨今「時代が許さなくなっている」という言い方で説明されることが多いが、この「時代が変わった」というのは具体的に何を指しているのだろうかと、加谷氏はこの論考の冒頭で問いかけています。

 これには様々な要因が絡んでいるのだろうが、あえて単純化すれば(その背景には)経済環境の変化、より具体的に言えば資本主義が成熟したことによる企業行動の変容があるというのが氏の指摘するところです。

 戦後の高度成長期、社会全体が未だ貧しく、需要に対してモノが不足していたため、企業は品質の良い製品やサービスを安価に提供できればそれでビジネスが成立していた。(つまり)企業のスタンスや価値観と、提供される商品は完全に分離していたと氏は説明しています。

 しかし、資本主義が成熟化してくると次第にそうもいかなくなる。モノやサービスは十分に足りているので、顧客が商品に求めるものの中には、「なぜその商品を自分が選ぶのか?」というより積極的な理由、言い換えれば、ある種の「物語」が必要になるというのが氏の認識です。

 実査、単純に価格が安く品質が良いだけでは不十分。自身の生活と照らし合わせ、その商品や提供している企業に対して共感できるのかといった、より根源的な部分が選択基準に入り始めていると氏は言います。

 一方、(消費者の)一連の変化を受け、現代社会ではマーケティングの在り方も新しい手法にシフトしている。ライフスタイルや価値観を通じて顧客に訴求することが当たり前となり、米アップルやナイキばかりでなく、この日本でも多くの企業が同様の製品戦略に向けて動き始めているということです。

 このような時代においては、企業がどういった価値観を持ち、どの番組を支援しているのかは、顧客にとって無意識的かつ重要なポイントとなってくる。逆に言えば、(今回のような)性加害疑惑など、人権に関わる騒動に巻き込まれているタレントが出演する番組にCMを入れること自体がリスク要因となってしまうと氏は話しています。

 株式市場でも同様に、リスク管理が甘い企業に対しては、物言う株主から容赦ない攻撃が加えられる。簡単に言ってしまえば、成熟した資本主義社会においては、価値観やモラルを商品に反映させなければ儲からなくなったというのが、この論考における氏の見解です。

 タレントの上沼恵美子氏が、著名芸能人というのは「自分の人格は自分だけのものではない」という趣旨の発言をしていたのは、まさにそういった意味だろうと氏はしています。

 一連の騒動について、「ヒステリックだ」「私刑にすぎない」と反発している人も少なくない。しかし、(彼らの意見の当否はともかくとして)現代資本主義を理解できていないという点において、「時代に取り残されている」ことだけは間違いないだろうと氏はこの論考の最後に綴っています。

 コンプライアンスの問題が近年強く非難されるのは、マーケットがそれを許さなくなったから。「市場に逆らうことはできない」というのはビジネスの基本であり、それが嫌ならビジネスから降りるしかないとこの論考を結ぶ加谷氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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