MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯910 チャイナ・セブン

2017年11月04日 | 国際・政治


 10月25日、世界が注目する中、中国では第19期中央委員会の第1回全体会議が開かれ、2期目の習近平体制がいよいよ始動しました。

 全体会議では、中国共産党は党指導部の政治局員25人の中から7人の最高指導部(政治局常務委員)が選出されました。今後、2022年の任期満了まで、「チャイナ・セブン」と呼ばれる彼らが約8900万人の党員の頂点に立って、中国の全ての重要政策や幹部人事の方針を決めていくことになります。

 全体会議では、これまでの最高指導部の7人のうち習近平主席と李克強首相以外の5人は引退することが決まりました。この機に、中国共産党の指導部は、大きく刷新されることになります。

 そこで、新しい最高指導部を序列に沿って見ていくと、まず「中国共産党総書記」と「国家主席」を兼ね、権力のトップに君臨するのが(言わずと知れた)習近平(シー・ジンピン)氏(64)です。

 父親の習仲勲元副首相の失脚により15歳で寒村に下放された経験から、党内では目立たず静かにそのポジションを上げてきましたが、総書記就任後は一転して反腐敗闘争で政敵を排除。現在では、大衆路線を歩む一方で周囲を古くからの部下で固めるなどの強権的な政治手法を持ち味としています。

 続いて、引き続きナンバー2の「首相」のポジションに就いたのが、北京大学を卒業し共産主義青年団を足場に、河南省、遼寧省のトップを歴任するなどのエリートコースを歩んできた李克強(リー・クォーチャン)氏(62)です。

 胡錦涛総書記の下で力をつけ、2007年の党大会で習近平氏と共に50代で常務委員に昇格し2013年に温家宝氏の後任として首相に就任。市場重視の経済政策が注目され習近平氏のただ一人のライバルと目されてきましたが、現在では習氏の陰に隠れて存在感が失われたのと評も聞かれるようになりました。

 ナンバー3は、習近平氏の側近として外遊や国内視察などでも常に傍らに寄り添っている(日本では「官房長官」に当たる)「中央弁公庁主任」の栗戦書(リー・ジャンシュー)氏(67)。

 1980年代から、当時河北省の正定県のトップだった若き習近平氏に出会い、たたき上げとして(30年以上にわたる)長い間の地方勤務を共に過ごした間柄だということです。

 現在では、習氏の腹心として、腐敗の摘発や「核心」の地位の確定などの要所要所で舞台裏を取り仕切っているとされています。

 続く序列第4位は、副首相の汪洋(ワン・ヤン)氏(62)。これまで、市の職員などとして地道に行政や国有企業の改革を断行し、それを南巡講和の際に鄧小平氏に注目された「改革開放の申し子」として知られる人物だということです。

 安微省の貧困家庭に生まれた汪氏は、中学卒業後に食品工場で働いた経験を持つ苦労人で、明るい性格で部下にも慕われているという評もあるようです。

 チャイナ・セブンの5人目は、中央政策研究室主任で復旦大学教授の王滬寧(ワン・フーニン)氏(62)です。

 こちらは「政治家」というよりも、江沢民総書記、胡錦涛総書記、そして習近平総書記と三代の総書記に使える内政・外交の政策ブレーンとして外交筋にも広く知られているようです。

 1980年代には米国アイオワ大学やカリフォルニア大学への留学経験もあり、現在も習氏のほぼすべての外遊に同行するなど、その率直な物言いもあって、王氏への信頼にはきわめて厚いものがあるということです。

 続く6人目は、中央組織部長の趙楽際(ジャオ・ルォージー)氏で、7人の中では最も若い60歳です。

 2000年に、当時最年少の42歳で省庁に就任した(いわゆる)「やり手」で、気遣いの人とも呼ばれているようです。陜西省にある習氏の父親の墓を巨大に建て直したことで習氏の目に留まったとの説もあり、2012年に抜擢された後は習氏の側近を主要ポストに据えるなどの配慮を尽くし、現在では習氏の人事戦略の要を担っているとされています。

 チャイナ・セブンの最後の1人は、上海市党委員会書記の韓正(ハン・ジョン)氏(63)です。

 40年間一貫して上海市で勤め上げ、汚職で解任された党書記の後任に習近平氏が就いた際に、ナンバー2の市長として習氏を支えた手腕と実績が認められ、今回、最高指導部に引き上げられたと考えられています。

 もともと、上海閥と言えば江沢民元総書記のお膝元ではありますが、現在ではすっかり習指導部に立ち位置変えた韓氏をトップに据えることで、(危ない)上海をしっかりと抑えるということでしょう。

 さて、中国の政治情勢に詳しいビジネス・ジャーナル(10月27日)によれば、今回の全体会議で選出された最高指導部「チャイナ・セブン」の7人はそれぞれ(こうして)様々な経歴を持つものの、結局のところ習派でないのは李克強首相ただひとりとなったということです。他の5人のすべてが(バリバリの)親派で固められ、ここに習近平体制は完成を見たということです。

 一方、その李首相自体も、これまでの5年間の首相時代に極力習氏とぶつかることを恐れ穏便に振る舞ってきた。重要会議では首相として演説するわけでもなく、単なる党中央委員でも務まる司会役に粛々と徹し、その姿は哀れさを通り越して痛々しくもあったと同誌は評しています。

 10月24日に閉幕した共産党大会の最後に挨拶した習近平国家主席は、「今大会で行われた政策決定は、新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な勝利を勝ち取り、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するうえで非常に重要な指導的な役割を果たすと確信している」と述べたということです。

 そして、その翌日に行われた今回の最高指導部の人事は、(自らが中心となって)中華民族による世界帝国の復活を目指すとも取れるこうした習氏の野望を実現するための(第一歩の)足固めとも言えるでしょう。

 前出のビジネス・ジャーナルによれば、中国には「一人得道鶏犬昇天」という言葉があるということです。それは「一族の中で一人が権勢を握れば、一家眷属だけでなく、その家で飼われていた鶏や犬まで天に上るような良い思いをする」という意味だと言うことです。

 また、「驥尾(きび)」という言葉もよく使われ、これは、単なる蠅でも一日に千里も走る馬の尻尾にくっついていれば、一日で千里も遠いところに行くことができるということを表しているとしています。

 「誰につくか」で、天国と地獄が決まる国。やはり中国という国は、3000年の歴史の中で「生死を賭けた」権力闘争が繰り返されてきた、まさに「策略の国」だという思いを、今回の党大会で私も改めて強くしたところです。

 そして、これは逆に言えば、なんらかのかたちで習氏が失脚すれば、一族郎党、側近すべてが抹殺されるという意味が含まれていると結ばれたビジネスジャーナルの記事を、私も大変興味深く読んだ次第です。




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