1月の前半の日本経済新聞の経済コラム「やさしい経済学」に、京都大学総合人間学部准教授の柴田悠(しばた・はるか)氏が『幸せに生きるために』と題する興味深い連載を残しています。
幸福を感じることはそれ自体で価値のあるものだが、それぞれの個人に対しても(実際に生きていくうえでの)さらなるメリットをもたらすと氏はこのコラムに綴っています。
米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー教授らの研究などによれば、幸福感がより高い人は、例え生活水準などが同じでも、他人の利益を意識した行動に向かう傾向や仕事の質・満足感・収入がより高く(収入は約20パーセント増加)、人間関係はより豊かだったとされている。さらに、負傷や疾病、死亡のリスクがより低く、寿命が7.5年ほど長いことも分かったということです。
また、「幸福感」の研究を進める関西福祉科学大学の島井哲志教授は近著において、「各瞬間の幸福感」ではなく、「後で幸福感をもたらすような行動や経験」が人の行動や考え方に大きな影響を及ぼすことを示唆していると柴田氏は語っています。
人はどうすれば幸福になれるのか。それ自体は人文科学が追い求めている究極の目標なのかもしれませんが、実は日常的な行動の中で試せる案外簡単な方法によって、私たちも(自身の)幸福感を高めることができるというのがこのコラムにおいて氏の指摘するところです。
その一つ目は、毎日の食事を「味わって食べる」ということ。カナダのブリティッシュコロンビア大学ヤン・コーニル准教授らの調査では、味わって食べる習慣は学歴や所得とは有意な関連はないが、幸福感とは有意な正の相関があることがわかったと氏は言います。
つまり、学歴や所得にかかわらず、この習慣が顕著な人は幸福感が高い傾向があるということ。もちろん、味わって食べることで幸福感が高まるのか、幸福感が高いから(日々の糧に感謝して)味わって食べるのかは分かりません。しかし、味わって食べていない人からは「幸せ」が逃げて行ってしまうというのは何となくわかるような気もします。
因みに、この習慣と肥満の程度は(必ずしも)相関していないと氏は話しています。むしろこの習慣が顕著な人は、(有難いと思い噛みしめている分)小食の傾向が強いということです。
幸福感を高めるための二つ目の方法は、「経験を味わうこと」だと柴田氏はこのコラムに記しています。
カナダのビクトリア大学のポール・ホセ准教授らのグループの調査では、この傾向が強い人は、ポジティブな出来事が少なくても(つまり「上手くいかないこと」が続いても)、多い人と同程度の高い幸福感を感じていたということ。しかも、「ポジティブな出来事が多くてもそれを味わうことのない人」と比べ、幸福感が有意に高かったということです。
詳細を見ていくと、「経験を味わう」ことのない人はポジティブな出来事の頻度によって幸福感が影響を受け、一喜一憂していたと氏は説明しています。一方、経験を噛みしめ味わえる人は、(「気持ちいいね」とか「辛いね」などと)他者とその感情を共有することなどによって、自身も救われることが多かったということです。
そして、幸福感を高める三つ目の方法は、「自然と触れ合うこと」だと氏はしています。
米アラバマ大学のホセ・ユン教授らの調査によれば、自然の豊かな公園で20分以上の時間を過ごすと、活動量とは無関係に幸福感が高まることが判ったとのこと。また、シンガポール国立大学のリ・二エム氏らの実験では、自然公園で20分以上歩く場合、①より長時間歩く、②自然とのつながりを感じる感性が強い、③公園が混雑していない、④公園の動物多様性が高い…場合ほど幸福感を高めることが示されたということです。
自然との繋がりや自然の多様性を感じながら自然豊かな場所でできるだけ長い時間を過ごすことが、人間に幸福感をもたらすということでしょうか。人もやはり自然の中から生まれ出でた「生物」のひとつであり、対人ストレスの中で傷ついた心が、多様性の高い自然に触れ合うことで「癒される」というのは一つの道理かもしれません。
今日からでも実践できるこれら三つの方法で誰もが必ずしも幸せになれるとは思いませんが、人生を「流す」のではなく、経験をきっちりと受け止め、自身の感情をひとつひとつ確認しながら生きることが、(もしかしたら)「幸せ」の近道なのかなとコラムを読んで私も改めて感じたところです。
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