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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯916 カースト制度のこれから(2)

2017年11月12日 | 社会・経済


 引き続き、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏ブログ「世界投資見聞録」に示された、「インドのカースト制度は人種差別」と題するレポートの内容を追っていきます。

 橘氏は、インドのカースト制度は(宗教的な禁忌というよりも)人口圧力がきわめて高いインド社会で共同体を安定させるため、固定化された支配層によって歴史的に利用されてきた差別だと看破しています。

 もう少し詳しく見ていきます。カースト制度というと、歴史の教科書で習った「バラモン(司祭)」「クシャトリア(軍人)」「ヴァイシャ(商人)」「シュードラ(奴隷)」の4つを思い浮かべますが、橘氏によればこの身分の区別は「ヴァルナ」と呼ばれており、その語源は「色」にあるということです。

 ヴァルナの起源は(白い肌の)アーリヤ人による(黒い肌の)先住民の征服にあると考えられていて、いわゆる不可触民(アンタッチャンブルズ)と呼ばれる人々は、さらにこの4つの階層の下に位置付けられています。

 こうした「征服者」と「被征服者」間の差別は、大規模な人口移動が繰り返されてきたアジアやヨーロッパでは歴史上頻繁に生じてきたものではあるけれど、そうした古代の歴史が尾を引いている地域は(現在では)ほとんどないでしょう。

 しかしインドでは、実に3500年も前に生まれた身分差別が連綿と現在まで受け継がれている。このようなこの気の遠くなるようなタイムスパンが、カースト制度の一番の特徴だと橘氏は説明しています。

 現代のインド社会は、人口にして15%のバラモン、クシャトリア、ヴァイシャの「高位カースト」が、政治・経済・行政などの多くの権力を握っており、狭義の不可触民だけでなく、ムスリムや仏教徒、シク教徒、さらにヒンドゥーの低位カースト(後進社会階層)を加えた残り85%を占める国民を、(ある意味)支配している実態があります。

 そういう意味では、インドは現在でも、3500年前と同じくアーリヤ人種(白人)が先住民であるダリット(黒人)を差別し、抑圧している「人種差別国家」だと言えるかもしれません。

 しかし、その一方で橘氏は、カースト問題が難しいのは、被差別層(ダリット)が必ずしもカーストの撤廃を求めているわけではないところにあるとこの論評で指摘しています。

 そもそもインド憲法は、17条で「不可触民制は廃止され、いかなる形式におけるその慣行も禁止される。不可触民制より生ずる無資格を強制することは処罰される犯罪である」としてカーストによる差別を禁じているものの、カースト制度そのものの撤廃を宣言したものではないということです。

 なぜこのような条文になったのかと言えば、(その発端は)インドに暮らすムスリム勢力が「自分たちはマイノリティ(少数民族)ではなく一民族である」として独立を強行したことで、ガンジーは残されたインドを「ヒンズーの国」として統一するほかなくなったところにあると氏は言います。

 ヒンズー教を支えるカースト制度の廃止はヒンズー教の全否定につながりかねない。ヒンズー教徒が分断されることによってインド社会が混乱し、イギリスに介入の口実を与えインド独立が頓挫することを恐れたからだということです。

 実際に、イギリス植民地政府がインド内に住むイスラーム勢力の要求を入れて分離選挙を認めたことが、最終的にパキスタン建国につながった。同様に、4000万~5000万人といわれる不可触民に分離選挙が認められれば、独立インドが内部から解体してしまう恐れがあったと橘氏は説明します。

 このため、1932年にイギリス首相マクドナルドが、カースト差別撤廃運動の高まりを受けて不可触民への分離選挙を認めると(コミュナル裁定)、ガンジーは断食によってこれに敢然と抗議した。

 ガンジーのこの「生命を賭した抗議」によって、インド国民の間に「ヒンズーはひとつ」というある種の「合意」が醸成されたが、併せてインド憲法にはカースト間の差別を禁止するとともに、カースト制度によって差別されてきた人々に対する特別規定が設けられ、衆議院および州立法議員の議席が「留保(リザーブ)」されることになったと氏はしています。

 このようにして独立後のインドでは、特別な教育的・福祉的支援によって不可触民の地位を引き上げると同時に、大学や行政機関において「特別枠」を用意することで、彼らをヒンドゥーに「包摂」することが国是となった。橘氏によれば、このリザーブ制度によって、不可触民のなかから高等教育を受け、行政機関で高位の職に就いたり、経済的・社会的に成功する者が現われ、彼らを代表する政治団体やコビンド氏のようなダリット(不可触民)出身の政治家も誕生するようになったということです。

 一方、こうしたリザーブ制度は不可触民の権利拡大運動の成果であり、差別の解消に寄与したものの、その反面、ダリットの政治活動は深刻な矛盾にさらされることになったと橘氏は指摘しています。

 彼らが求めるのはカーストの撤廃だが、カースト自体がなくなれば「指定カースト」への優遇措置もなくなってしまう。こうしてダリットのあいだに、自らのアイデンティティは「被差別」にあるとして、現在では、これまでの既得権を守りつつより大きな政治的権利を求める動きが主流になっているということです。

 実際、現代のインドではカーストが解消されるどころか、低位カーストが政治団体化し国政や州議会で政治家に圧力を加えることで、それぞれのカーストの政治的利益を競っている状況にあると橘氏はこのレポートに記しています。

 マイノリティ(差別される少数者)への優遇措置は彼らの地位向上に資すると同時に、深刻な社会の対立を引き起こしていると橘氏は言います。そして、同様の政治現象は、アメリカの人種(黒人)問題だけでなく、アパルトヘイト後の南アフリカで黒人を対象に行なわれているアファーマティブアクションでも起きているということです。

 そうしたこと考えれば、カースト制度はもはやインド特有の宗教や文化ではなく、「差別のない社会をいかにつくるか」というグローバルな課題の困難さを象徴していると結ばれたこのレポートにおける橘氏の指摘を、私も大変重く受け止めたところです。




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