壱岐という島は、多くの歴史的起伏を経て今に至っている事を、このたびを通じて学びました。
魏志倭人伝に詳しい一支國はこの壱岐であると言われており、その国都がこの原の辻遺跡です。
古墳も多く遺されています。県内450基のうち6割の260基が島内に遺されているようで、そのうち鬼の窟
掛木古墳
そして、壱岐が壊滅状態に堕ちいり、我国存亡の危機となった2度の元寇
一説には壱岐に残った人々は100人を割る程だったとの事。
その被害者を祀った千人塚が島内所々にあります。
元襲来に備えた日本船が使用していたと推測される碇岩
壱岐の為に玉砕した少弐資時
時が流れ、秀吉の朝鮮出兵の時今度は攻める側の兵糧基地になるなど変遷がありました。
神社仏閣では全国にある月読神社の元宮とされているこちら
味にも歴史にも彩られた大いなる魅力島でした。
東京に戻ってしばらく”壱岐ロス”が続いてます