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張信哲の杭州コンサートに行ってきました!
場所は黄龍体育館。
コンサート用のホールではないのが残念だけど、室内なのでスタジアムよりずっと落ち着いて聴くことができた。
張信哲(阿哲)のコンサートに行くのは、実はこれが3度め。
1度目は2000年10月、天津。
2度目は2001年8月、上海。
なので今回は、ナント8年ぶりのコンサート。
これが上海だったら多分行けなかったと思うが、地元杭州でやると聞くとどうしても行きたくて、相方にユキをお願いして夜、一人で行った。
私が張信哲にハマってしまったのは、99年の秋。
振り返ってみると当時は仕事もプライベートも全然うまくいってなくて、いわゆる「どん底」の時期だった。
あの時期、彼の心にしみるようなハイトーンボイスと美しい旋律に、どれだけ救われたかわからない。
しかし、日本ではほとんど知られていない台湾歌手。
当時はインターネットも今ほど発達しておらず、
必死になって彼の情報を集め、CDを探し、スカパーの中華芸能チャンネルでMTVをチェックする日々が続いた。
そして一年後。
日本で知り合ったファンのAちゃん、Jちゃんと、
コンサートのためだけに2泊3日で中国まで飛ぶ、という、
他人が聞いたらトチ狂ってるとしか思えない行動に出たのである。
(実際、トチ狂っていたかも…
)
そこには「マライア・キャリーのコンサートのためにアメリカに飛ぶ」
または「ヨン様のイベントのために韓国に飛ぶ」というのとは、次元の違う苦労があった。
2000年当時、中国へ行くには事前に旅行ビザの申請が必要だった。
それなのにコンサートの日程が中々決まらず、決まったと思ったら今度は二転三転したのである
。
チケットも全部自分で、中国語で主催方に問い合わせて手配しなくてはならなかった。オンライン予約もなかったため、結局天津在住の知り合いの方にお願いして直接買いに行ってもらったのだが、主催方には日本から日本人が来るとバレてしまい、大騒ぎになってしまった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/namida.gif)
当時は中国のコンサートといえば、サッカースタジアムのような野外で数万人規模でやるのが普通で、
観客は叫ぶわ、舞台に押し寄せるわ、モノは投げるわ、鳴物は鳴らすわ…で、マナーも秩序も何もあったものではなく、静かに音楽を楽しめるような状況では全くなかった。
それでも当時は本当に中毒患者のようになっていて、「どうしてもどうしてもナマで聴きたい」という思いだけで、すべての悪条件をはね返そうとしていたように思う。
あれから9年。
今は動画サイトやブログもあるし、世界のどこにいても情報が手に入る時代になった。
私自身はネットで情報収集することもなく、時々CDが出たと聞けば買う程度のファンに落ち着いてしまったけれど、
今でも時々無性に彼の声を聴きたくなる一時期があって、振り返るとそれはいつも何かしら精神的に疲れているときだったりする。
彼のファンになって、得たものはたくさんあるけれど、
一番大きかったのは「中国語を本格的にモノにしよう」と思ったこと。
それまでは、大学の第二外国語でちょっとかじったレベル、
カタコトでホテルを予約したり、道を尋ねたりできるレベルで満足していた中国語。
しかし新聞や歌詞の意味を知り、中華圏に広がるファンのネットワークに近づこうとすればするほど、自分の中国語力のなさを痛感した。
その体験は30を目前にして留学を決意したこと、そして自分が今ここにいることと、決して無関係ではないと思っている。
自分にとってのこの10年を振り返りながら、懐かしい曲の数々に聴き入った夜でした…
。
場所は黄龍体育館。
コンサート用のホールではないのが残念だけど、室内なのでスタジアムよりずっと落ち着いて聴くことができた。
張信哲(阿哲)のコンサートに行くのは、実はこれが3度め。
1度目は2000年10月、天津。
2度目は2001年8月、上海。
なので今回は、ナント8年ぶりのコンサート。
これが上海だったら多分行けなかったと思うが、地元杭州でやると聞くとどうしても行きたくて、相方にユキをお願いして夜、一人で行った。
私が張信哲にハマってしまったのは、99年の秋。
振り返ってみると当時は仕事もプライベートも全然うまくいってなくて、いわゆる「どん底」の時期だった。
あの時期、彼の心にしみるようなハイトーンボイスと美しい旋律に、どれだけ救われたかわからない。
しかし、日本ではほとんど知られていない台湾歌手。
当時はインターネットも今ほど発達しておらず、
必死になって彼の情報を集め、CDを探し、スカパーの中華芸能チャンネルでMTVをチェックする日々が続いた。
そして一年後。
日本で知り合ったファンのAちゃん、Jちゃんと、
コンサートのためだけに2泊3日で中国まで飛ぶ、という、
他人が聞いたらトチ狂ってるとしか思えない行動に出たのである。
(実際、トチ狂っていたかも…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
そこには「マライア・キャリーのコンサートのためにアメリカに飛ぶ」
または「ヨン様のイベントのために韓国に飛ぶ」というのとは、次元の違う苦労があった。
2000年当時、中国へ行くには事前に旅行ビザの申請が必要だった。
それなのにコンサートの日程が中々決まらず、決まったと思ったら今度は二転三転したのである
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
チケットも全部自分で、中国語で主催方に問い合わせて手配しなくてはならなかった。オンライン予約もなかったため、結局天津在住の知り合いの方にお願いして直接買いに行ってもらったのだが、主催方には日本から日本人が来るとバレてしまい、大騒ぎになってしまった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/namida.gif)
当時は中国のコンサートといえば、サッカースタジアムのような野外で数万人規模でやるのが普通で、
観客は叫ぶわ、舞台に押し寄せるわ、モノは投げるわ、鳴物は鳴らすわ…で、マナーも秩序も何もあったものではなく、静かに音楽を楽しめるような状況では全くなかった。
それでも当時は本当に中毒患者のようになっていて、「どうしてもどうしてもナマで聴きたい」という思いだけで、すべての悪条件をはね返そうとしていたように思う。
あれから9年。
今は動画サイトやブログもあるし、世界のどこにいても情報が手に入る時代になった。
私自身はネットで情報収集することもなく、時々CDが出たと聞けば買う程度のファンに落ち着いてしまったけれど、
今でも時々無性に彼の声を聴きたくなる一時期があって、振り返るとそれはいつも何かしら精神的に疲れているときだったりする。
彼のファンになって、得たものはたくさんあるけれど、
一番大きかったのは「中国語を本格的にモノにしよう」と思ったこと。
それまでは、大学の第二外国語でちょっとかじったレベル、
カタコトでホテルを予約したり、道を尋ねたりできるレベルで満足していた中国語。
しかし新聞や歌詞の意味を知り、中華圏に広がるファンのネットワークに近づこうとすればするほど、自分の中国語力のなさを痛感した。
その体験は30を目前にして留学を決意したこと、そして自分が今ここにいることと、決して無関係ではないと思っている。
自分にとってのこの10年を振り返りながら、懐かしい曲の数々に聴き入った夜でした…
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はとさんとはちょうど同じくらいに阿哲のファンになりました!
歌友会にはずっと継続して入っていますが、
なかなか情報チェックは出来てません・・。最近は中華圏の歌では阿哲しか聴かなくなりました。
来月の上海演唱会行きたくてちょっと揺れましたが・・やはり赤ちゃん置いては無理と断念。。強行スケジュールはなかなか難しくなってしまいました。いつか行けるかなあ・・。
お互い子育てで身軽に動けない状況になってしまいましたね~(苦笑)。
私の方はもう何年も歌友会ともごぶさたです。
彼が歌い続けてくれるかぎり、いつかきっとまた聴ける機会はくると思います。
大陸に飛んでくるときは、ぜひご一報くださいね♪
ちなみに私もアメリカのアイドルたちにあこがれて歌から言葉を学んだ口です!そして30を目の前に留学したのも同じだなぁ~。笑。