はと@杭州便り

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敦煌旅行 2

2015-07-18 14:48:58 | その他
2日目、西千仏洞~葡萄棚レストラン~陽関。


西千仏洞

敦煌市中心から西南に約35キロ、党河の流れる断崖上にある石窟で、莫高窟の西にあることから西仏洞と呼ばれる。
現存する石窟は合計19ヶ所で、 莫高窟と同系列の様式の北魏と唐の壁画が残っているが、大半が破損している。
古代の党河は、この付近で大きく流れを東へ変え、急流が窟のある断崖を直撃していたため、多くの石窟が崩れ落ち流されてしまったそうだ。
公開されている石窟は5か所。


西千仏洞の下は小川が流れ、放牧されている羊がのんびり寝そべっていた。

ちなみに党河は敦煌の人々にとって命の水で、敦煌市内にも流れている。
水源は祁連山の雪解け水なので、とても冷たくて綺麗です。
ガイドの代さんの話では、敦煌の人口は年々増え続けて、今は18万人。
電気は風力発電があるので困らないし、空気も水も綺麗で工業汚染がないのが自慢だが、一番の問題は水不足。
年間降水量がたった40ミリ足らずなので、地下を通ってくる雪解け水に頼らざるを得ないのだが、
地下水のくみ上げ量が増えた結果、月牙泉の水位も年々下がっているらしい。
政府は数年前から新しい農地の開墾、灌漑を禁止したりして、水不足対策に乗り出しているが、
増え続ける人口と町の発展にとって、水問題はとても深刻らしい。

敦煌の主な産業は観光業。
昔は交通がとても不便だったが、今は高速道路も通り、鉄道の新駅も空港もできた。
敦煌への観光客と言えば、昔は日本人、欧米人が中心だったが(私の来た18年前もそうだった)、今ではほとんどが中国人。
代さんの勤める旅行社でも、日本語ガイドは最盛期50人ほどいて、まだ足りないくらいだったのが、今では4人にまで減ってしまったとか。
昔はシルクロードに憧れて来る日本人がたくさんいたのに、今は減ってしまったのだろう。
それに、人民元レートと中国のインフレによって、ツアーの料金も年々上がっていることも原因かも知れない。
その分、豊かになった中国人観光客が増えているらしい。
市内はどこもホテルやマンションの建設ラッシュだった。

西千仏洞を後にして、陽関へ向かう。







陽関近くの葡萄棚レストランで昼食。



オアシスのポプラ並木。

敦煌周辺では昔は綿花やトウモロコシ栽培が中心だったが、今はブドウ栽培が盛んで、ワインも作っている。
ワインは商品作物なので利益が良いらしく、金持ちのブドウ農家の中には自家用車を2台持っていたり、
市内にマンションを購入して子供を市内の学校に通わせる人も多いらしい。
私たちの行った葡萄棚レストランも、すごく立派で大きな農家だった。

葡萄棚にポプラ並木と言えば、昔は新疆の代名詞だったのだが、今は敦煌でもあちこちで見られる。
そういえば、18年前に比べて緑が多くなったような気がする。

焼けつくような暑さの中、陽関へ





陽関、と言っても今は烽火台しか残っていない。
昔の陽関は洪水で流されてしまった、という説があるらしい。



地平線の見える絶景ポイント
左側がオアシス、右側がゴビ砂漠。



陽関と言えば、高校の漢文でも習った王維の有名な詩。

送元二使安西 元二の安西に使するを送る

渭城朝雨潤軽塵 渭城の朝雨 軽塵を潤す
客舎青青柳色新 客舎青々柳色新たなり
勧君更尽一杯酒 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
西出陽関無故人 西の方 陽関を出づれば 故人無からん

二胡でも「陽関三畳」という曲があって、昔弾いたことがあるけど、
ここに立つと、確かにここが昔の国境線だったことがわかる。
今でも敦煌を過ぎて新疆ウイグル自治区に入ると、街並みも風景も、人の生活の様子も、
中国ではなく中央アジアの感じがするからだ。

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