はと@杭州便り

中国杭州で仕事&子育てしているはとぽっぽのページです。

2ヶ月の成果

2014-02-28 17:48:19 | 京都里帰り中
2ヶ月の日本の幼稚園も、最終日を迎えました。

1月、2月の2ヶ月でしたが、ユキはついに一日も休まず皆勤。
最初は戸惑うことも多かったと思いますが、先生も驚かれるほどの適応力(?)であっという間に馴染んで、
クラス22人全員の顔と名前もすぐ覚えました。

中国では35人のクラスに先生が3人に対し、日本では22人のクラスに先生は1人。
中国の子供はクラスで何か配る時も列に並ばず割り込むし、「先生!」「先生!」と我先に発言するのが当たり前。
とにかく自分からどんどん出ていくのが積極的で良い子だと褒められ、毎日先生からおでこに星型のキラキラシールを貼ってもらえる率も高くなる。

日本ではそうではない、とユキも気付いたらしい。
最初の数日、ユキは中国式に自分から先生にどんどん話しかけようとしたら、
先生から「今ちょっと用事してるから、待っててね」「今ちょっと○○君とお話してるから、待っててね」と言われたらしい。
徐々にだが、先生の様子や周囲を見て今話しかけていいかどうか確かめたり、
先生に聞かなくてもお友達に聞いて解決できそうなことはお友達に聞いたりできるようになった。

言葉はそれほど苦労しなかったものの、それでも最初のうちは中国語をそのまま日本語に言い換えているようなところがあったので、
「好き」や「嫌い」をはっきり言うことがあって、周囲の子供たちにキツイと思われたこともあったらしい。
2ヶ月で、徐々に日本語らしい言い回しになっていった。

年中組の子供たちのほとんどが年少から幼稚園に来ているため、
男の子はともかく、女の子はもう結構クラスの中で仲良しグループができていたらしい。
最初の数日は珍しさからか色々と声をかけてくれたクラスの女の子たちも、しばらくするとあまり構ってくれなくなった。

その頃がユキにとって結構辛かった時期だった。
どうしたら良いのかわからず、クラスでもちょっと大人しくて優しいHちゃんに始終つきまとって離れなかったらしい。
家でも何度か「女の子と遊びたいけど、仲間に入れてくれへんねん」と漏らすことがあった。
私は「女の子が遊んでくれないんだったら、男の子と遊んだらいいやん。」と何度か言ったのだが、担任の先生にご相談すると、
「お母さん、それは無理ですよ~。女の子はもう『女子』ですから、女の子の世界があるんですよ。女の子と遊べないから男の子と、というのはちょっと違う気がします。」と言われた。

そういえば、女の子からは毎日のようにひらがなや絵の書かれた「おてがみ」をもらってきて、家でもその「おへんじ」を書いていたりする。
確かにこれは、まだ年中とは言え、もう『女子』の世界かも…。

その頃から週に1~2度、2時半の降園から夕方5時まで預かってもらえる「預かり保育」を利用するようになった。
クラスではグループが違うのであまり話す機会のなかったお友達とも、預かり保育で親しくなったりして、徐々にHちゃん以外のお友達とも遊べるようになった。

そのうち面倒見のいい女の子のお友達から、ブランコや鉄棒、ジャングルジムも教わるようになった。
初めはからっきしダメだったジャングルジムも、徐々に高いところまで登れるようになり、
ブランコも立ち乗り、雲梯は3つくらい、そして鉄棒はナント前回りができるようになった!
できなくて何度も泣きながら、怒りながら、それでも2ヶ月諦めようとしなかったのは、お友達が熱心にユキの練習に付き合ってくれたからだと思う。





みんなで遊ぶ色んな遊び…鬼ごっこや「なべなべ底抜け」、かるた大会や楽器の合奏なども中国では皆で力を合わせて何かする体験が少ないので、とても楽しかったらしい。

そして日本語は、というか関西弁は飛躍的に流暢になった。
「なんでやねん」「あのな、それでな」「~やで」「~やし」「いややなぁ」「ちゃうねん」「~したはるねん」(これは京都弁か?)
もう、どこから見ても(聞いても?)間違いなく関西人である。
幼稚園には絵本室があって、週に4冊まで自由に借りられたので、2ヶ月で60冊以上の絵本を読んだ。
そして毎日女の子からおてがみをもらって、おへんじを書いているうちに、ひらがな全文字がかなり正確に、綺麗に書けるようになった。

5歳のまだ吸収が早い時期にまとまった期間日本に帰って、日本の文化や言葉を学べたのはとても大きかったと思う。
その分、中国語は随分忘れてしまって、最後のほうはパパとの電話でもまともな中国語が出なくなってしまったのだが。

幼稚園最後の日が近づくにつれ、ユキの中ではもう新学期が始まっている中国の幼稚園の先生やお友達に会いたい気持ちと、
仲良くなった日本の幼稚園の先生やお友達と離れたくない気持ちで揺れ動いているようでした。
「ずっとこの幼稚園にいたい」と言って泣く時もあれば、
「やっぱり中国に帰りたい」という時も。
幼稚園最後の日、担任の先生からは心のこもった手作りのアルバムを頂きました。中にはクラス全員と先生からのメッセージと絵が…。
母の方が涙ウルウルでした。
お友達は抱き合って別れを惜しんでくれました。

2ヶ月で、身体も心もとても成長しました。
日本での幼稚園体験を忘れず、また中国でも元気に幼稚園に通ってほしいと思います。

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4 コメント

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お久しぶりです (Rikorin)
2014-03-28 16:31:53
日本満喫できたようですね。
最後のほうはブログを読んでて
私もウルッてきました。
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Unknown (はとぽっぽ)
2014-04-01 09:39:10
>Rikorinさま

コメントありがとうございます。

中国に戻って2週間ほど中国語がおかしかった娘も、すっかりこちらの生活に戻りました。
ただ幼稚園の先生からは以前より大人しくなった、積極的でなくなったと言われています。

幼稚園はやっぱり日本の方が面白かったようで、中国の幼稚園について「工作も外遊びもなくてつまんない」「給食がおいしくない」「昼寝したくない」「友達がワガママ」などとぼやいてますが、それでも日本の幼稚園に行きたいとは言いません。
私にとってはいつまでたっても日本が故郷ですが、娘にとっては今の時点では中国が故郷なのだと思います。

日本滞在の最後の頃、「空気も水も汚いの知ってるけど、それでも中国に帰ろうよ」と言ってくれたのは娘でした。色々考えさせられました。また杭州で頑張っていこうと思います。
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勉強になったトピック (のぶ in 上海)
2014-04-11 12:57:38
中国と日本の幼稚園の比較を見てこちらも勉強になりました。
人口が日本と比べ物にならないくらい多い中国だから、自分から前に出るのが良しとされるんですね。
「待つ」ってことはチャンスを逃すと思っているからいろんな意味で「待てない人」が多い。

女の子って手紙を書くのを思い出しました。
例の「おねえちゃんも」2歳年上のお友達と手紙のやりとりをしていて日本語の文章がうまくなったのを思い出しました。
また、「おにいちゃん」も年中さんの頃に同じ組の女の子からラブレターをもらっていたっけ。
その「おにいちゃん」ももうすぐ小学生。字の練習させるのに苦労しています。

ゆきちゃんの
「空気も水も汚いの知っているけど、それでも中国に帰ろうよ。」
の一言に心打たれました。
中国人のパパにとって嬉しい言葉じゃないかな。
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Unknown (はとぽっぽ)
2014-04-11 17:03:54
>のぶさん

有難うございます。
ユキは日本から帰ってから、幼稚園の近くの公園で鉄棒みたいな遊具を見つけて喜んで前回りしたら、周囲の人が皆びっくりして見てました。

「危ない!」って言われて。皆ユキが誤って鉄棒から落ちたと思ったらしいです。。。
前回りでこれなら、逆上がりなんかやったら注目度更にアップかも!?と思ったんですが、残念ながらママはもう逆上がりなんかできないのでした。。(涙)

京都のおじいちゃんおばあちゃんも可愛がってくれましたが、ユキにとってはやっぱり日本の家が自分の家だと思えなかったようです。中国に帰りたい、と言うか、家に帰りたかったんだと思います。

最後の方はしょっちゅう二姐を思い出して、「アーイーに会いたい」と言うようになりました。5年間の育ての親はダテじゃないと思いました。

「パパは?会いたくないの?」と聞いてみたら、
「パパ?春節の時に来て会ったばっかりやし。」の一言でしたよ(爆)
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