三好キリスト教会(Miyoshi Christ Church)

愛知県のみよし市(三好町)にある小さな教会の案内です。
まだ小さいですが皆様のお越しを心からお待ち申し上げています。

「義と認められた人」this man justified

2023年05月14日 | Weblog
10:21

雨、上がり切ってなくて、まだ小雨降っているけど、公園をぐるぐる歩く人たちがたくさん (@ 保田ヶ池公園 in みよし市, 愛知県) https://swarmapp.com/c/9HsBYnhYYoL


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11:11

今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ルカの福音書18章から
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11:14

"自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
「二人の人が祈るために宮に上って行った。"
(ルカの福音書 18章 9〜10節)

世の中に確実的な、正しいことほ何もない、というわけではない。

神さまに対して自分が正しいと思うことはあるだろう。
ただ、この箇所では、「自分こそ正しい!」と傲っている人に対してキリストは糾弾している。
また、他の人と比較して「私こそ正しい!」と見下すことで自分を保っている人に

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11:18

"「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。"
(ルカの福音書 18章 10節)

パリサイとは「分離した者」の意味。他の人たちと違い、神様に対して正しいことをしているときっちりと考える人たちのこと。

取税人は、ローマの手先となり、嫌われていた人
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11:22

"パリサイ人は立って、こんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します』"
(ルカの福音書 18章 11節)

神に願っている様にみえるが、感謝ばかりの祈りをしている。
主の祈りを見ても、感謝と共に、願いを祈るようにキリストが教えている。
ほんとうに自分の必要というものが無いのか?神に願うことが分かってないのでは?
神に自分の心を開いているようには見えない
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11:26

"一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』"
(ルカの福音書 18章 13節)

取税人は、自分の現状をよく分かっていたし、素直に心を開いて神に報告できた

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11:28

キリストはこのように評価している
"あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」"
(ルカの福音書 18章 14節)


私たちも、自分が本当は何が必要なのかと気付くことが大切だし、神の前に自分をさらけ出す必要がある
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12:02

今日の教会のお花です。
牡丹のように大きなお花ですが、
薔薇の花です
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14:02

今日の教会は午後から、講演会です。
「聖書と美術 ゴッホの秘密」

というタイトルです
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14:21

教会の午後の講演会、
講師は前岐阜県美術館の館長であった古川さんからです

おなじグループの芥見教会の会員でもあります
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礼拝の様子はこちらから(動画です)


・2023年5月14日三好キリスト教会主日礼拝




・おはなしのじかん「アダムとエバ」


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