三好キリスト教会(Miyoshi Christ Church)

愛知県のみよし市(三好町)にある小さな教会の案内です。
まだ小さいですが皆様のお越しを心からお待ち申し上げています。

主はあなたを知っておられる

2010年01月31日 | Weblog
今日の礼拝は、フーアマン先生は一宮教会でメッセージをされておられます。
そのかわりに、一宮教会の岡本先生が礼拝でのメッセージをして下さいました。

詩編139編、
「あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」とダビデが語ったように、
神さまはわたしたちを完全に知っておられます。
それは近く、顔のすぐ目の前を、覆い隠すように四方から取り囲むように。

「 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」
口に出す前の言葉、つまり口の出そうが出すまいが、私たちが心の中に閉まっておいてある言葉のの一つ一つまでご存じであります。

と言うと、主の前に明らかにしていない色々な罪について思い起こされるかもしれません。
しかし自らの罪の大きさに不安を感じるよりも、神さまは大いなる方で、その色々な罪があるという前提であっても愛して下さるということをいつもの生活の中で覚えていくべきでしょう。

自分の罪を省みない状態では心の中に平安がないでしょう。
神さまは私たちにすばらしい恵みとしての平安をすでに与えて下さっているのですから、自らを省みて、全てを神さまに委ねきるべきでしょう。

本当の平安は、私たちを形作り、私たちをいつも愛して下さる神さまに全てを委ねきった状態のことを言うのです。


今日はお昼ご飯のカレーも、みんなで頂きましたよ。
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「三つの誘惑」

2010年01月10日 | Weblog
今日のメッセージの箇所はルカによる福音書4章
イエスさまが荒野で40日間の断食をした後、サタンが来て誘惑しに来た箇所より。

誘惑というのは何の前触れもなく、不意にやってくる。だから準備が出来ない。だから普段からその準備をしておくことは大切です。
イエスさまは40日の断食をしておられた。40年空腹の状態をもマナを与えて守られた主。しかしその主が「人はパンのみで生きるのではなく、神の言葉で生きる」と聖書を通して語っておられる。
私たち人間を真に養う事が出来るのは、飲み食いではなく、聖書の言葉なのです。

「この世の宝を与える」:宝がある所=自分の心があるところ。
自分が欲しいと思うものがある時、その人の目も心もその「物質」に注がれてしまう。すると、その「欲しいもの」の為に動く羽目になり、結果今度は「物質」が自分を束縛してしまう。そうなると、自分が欲しい「物質」が他の全ての物より優先されることとなり、私たちに全ての物を与えてくれた神さまでさえ押しのけて、「物質」を優先してしまう可能性がある。

「神さまを試す」=「自分の思いの通りに動く神を求める」
天地万物を作った全能の神を、まるでアラビアンナイトの「ランプの精」の魔神のように、「願い事を何でも聞いてくれる便利な人」だと勘違いしてしまうことはないでしょうか?そうやって「自分に近い神は信じる」「自分の意図しない方向に進む神は信じない」というのでは、聖書に書いてある「神さまを試みること」というであり、神さまを「神さま扱い」していない訳です。

誘惑に会わなかった、誘惑に負けなかった人は今までいないでしょう。しかし、人として誘惑に直面されたイエスさまは、そう言った誘惑に負けてしまう私たちの弱さを知っているので、私たちは誘惑に直面した時にイエスさまに頼頼むことが出来るのです。


今日は朝礼拝前に聖餐式を行いました。
お昼からはこれからの教会の色々なことを相談しましたよ。
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