三宅孝治の独り言

税理士三宅孝治の日々の想いを綴ります。

稲盛和夫塾長の記事です。Ⅲ

2014-07-08 10:36:47 | 経営者にちょっといい話
■(証言そのとき)不屈不撓の一心:9 競争育む、信念の大合併 稲盛和夫さん


 第二電電(DDI)は1989年7月、関西電力などとの合弁で「関西セル
ラー電話」を設立し、携帯電話サービスを始めました。「赤ちゃんが生まれた
ら、名前をつける前に電話番号をもらうようになる。いずれ一人ひとりが電話
番号をもつ時代が来るでしょう」。開業式でこうあいさつしたのを覚えていま
す。

 我々DDIの携帯参入の地域割りの条件は、圧倒的に不利でした。全国展開
できるNTT、同じ新電電の日本移動通信(IDO)は首都圏、中部圏を割り
当てられている。我々は、関西とその他の地域でした。

 ただ、関西セルラーは最初の年こそ赤字でしたが、翌年度には経常利益49
億円を稼ぎ出した。自動車電話ではなく、携帯電話が主流になると証明できた
。各地域で電力会社など地元の有力企業と組んだのもよかった。電力会社の施
設を利用させてもらった。うまくいったと思います。


 ■NTT独占へ対抗

 96年、政府の電気通信審議会でNTTの分離分割の方針が示されました。
しかし、その後、NTTが猛烈に巻き返して、純粋持ち株会社という結論にな
りました。第2次臨時行政調査会(土光臨調)の「分割・民営化」の理念とは
大きくかけ離れてしまった。

 NTTの分離分割を前提にしていた我々DDIは、戦略の抜本的見直しを迫
られました。当時、私は会長で、奥山雄材社長と戦略を練りました。「日本の
情報通信市場の健全な発展には競争が必要」。それが、DDI設立の精神です
。NTTに対抗するには携帯電話ではトヨタ系のIDOと、国際電話では国際
電信電話(KDD)と一緒になる。大同団結する以外にない、と腹をくくりま
した。


 ■「対等」は無責任に

 交渉は奥山社長にあたってもらいました。ただ、DDIが経営に責任をもち
、存続会社になることを基本にしました。トヨタ自動車からは「対等と言わず
とも対等の精神でという風にはならないでしょうか」という話もあったようで
す。そこは譲れないと、奥山社長に踏ん張ってもらった。

 「対等の精神」というのはきれいな言葉ですが、結局は無責任になる恐れが
ある。合併した大手銀行でも人事をたすきがけにするとか、二つの会社が経営
しているようになっている。

 交渉は難航しました。こちらが主張を譲らなかったので、マスコミには「稲
盛の覇権主義」とも書かれました。でも、これが最後のチャンス、通信の世界
での総仕上げという思いもあった。先方には「NTTに対抗するには合併しか
ない。徒手空拳で、DDIを上場企業まで育てた実績を評価していただきたい
」と伝え続けました。

 最後の話し合いは、99年8月の東京でした。トヨタの会長だった奥田碩(
ひろし)さんとの会談で、こう言いました。

 「今回の話は、私心から、利己的な思いからではない。NTT独占に対抗す
ることは国民のためになるとの思いからです。そこは信用していただきたい」
。奥田さんは、私の真意を理解してくれたようでした。

 当時は、KDDとの合併も話が進んでいました。この3社による合併で、国
内2位、世界でも10位に入る国際電気通信会社のKDDI(au)が誕生す
ることになるのです。

 今では営業収益は4兆円を超え、従業員は2万人です。こんなに順調にいっ
た合併は珍しいと思います。 (聞き手=編集委員・多賀谷克彦)

朝日新聞 2014年05月26日

      ………………………………………

■(証言そのとき)不屈不撓の一心:10 会長を引退、65歳で得度 稲盛和夫さん


 満65歳になった年に、京都府八幡市にある臨済宗妙心寺派の円福寺(えん
ぷくじ)で得度(とくど)しました。師にあたる西片擔雪(にしかたたんせつ
)老師から「大和(だいわ)」という僧名をいただきました。

 「なぜ仏門に」。当時、多くの方から尋ねられました。この年は京セラ、第
二電電(DDI)の会長から名誉会長に退いた年でした。

 私のように、創業者であり、経営のトップに長年いた場合は、どうしても「
自分がいなければ会社が動かないのではないか」と思いがちです。会社に執着
し、身を引く時機を逸し、会社の仕事を一生することが良いことだと思ってい
る方をたくさん見てきました。それは、決していいことではない。私が早く身
を引くことで、後継者を育てることもできます。

 社員の定年は60歳だったので、経営者も60歳で退くべきだと考えていま
した。ただ、60歳のころはDDIの仕事が忙しいころでしたから、めどがつ
いてから退こうと思っていました。


 ■死に備え勉強する

 私の人生は80年ぐらいと、昔に会ったヨガの聖者の言葉から思いこんでい
ました。だとしたら、最後の20年は死ぬための準備に必要だろう。それには
、心を静かにできる環境に身を置いて勉強しないといけない。それが仏門に入
ろうとした理由です。

 擔雪老師には、仕事で思わぬ事態に陥ったときにも助言をいただきました。


 京セラが開発するセラミック製の人工関節が軌道に乗ってきたころです。股
関節の認可もとり、大学の先生方から「股関節がうまくいっているから、ひざ
関節もつくってほしい」と頼まれ、研究していました。

 臨床試験用に2~3例つくってみたら、非常に具合がいい。先生から「たく
さんの患者さんがいるから、もっとつくってくれ」と言われ、担当者が作り始
めてしまった。そしたら、1985年の国会で「認可もとらないで人体に埋め
込んで売っているやつがいる。けしからん」と指摘され、マスコミにも盛んに
取り上げられた。


 ■災難は「お祝いを」

 薬事法では同じ材料の人工関節でも、新しい形状やサイズでつくる際は個別
の認可が必要でした。そうなると、大学の先生方も黙ってしまった。いくら弁
明しても通らず、京セラが勝手にしたことになりました。

 老師のところへ行って事情を話し、大変悩んでいますと相談した。そうした
ら、老師はけろっとして「稲盛さん、お祝いをしないといけないですね」と言
うんです。「困っているのになんですか」と聞くと、老師は「いやいや、その
程度の災難で済んだのなら、お祝いせんならん」とおっしゃる。

 私が理解できずに「何がですか」と言うと「人間は知らぬ間にささいなこと
でも悪さをして業(ごう)をつくっていきます。このような災難が起きたとい
うことは過去に背負い込んだ業が発現し、消えたということです。この程度の
ことで済んだのなら結構なことじゃないですか」とおっしゃる。

 「ほんまに変なことをおっしゃるな」と、そのときは思いました。でも後日
、考えてみたら、すばらしい教えだと思いました。

 私は、友人で災難に遭った人には「あんたの業が消えたということです。喜
ばないといかんよ」と慰めるようにしてきました。そういう考え方をする禅宗
の坊さんというのは、やっぱり偉いなと思いました。
(聞き手=編集委員・多賀谷克彦)

朝日新聞 2014年06月02日